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必殺断罪屋稼業  作者: 高柳 総一郎
★拝啓 闇の中から欺瞞が見えた
20/72

拝啓 闇の中から欺瞞が見えた(最終パート)






 魔導式ランプは、深夜になると消えてしまう。管理会社所属の魔導師達にも生活がある。彼らが仕事を終える十二時頃、ランプから炎は消え、街は暗闇に堕ちる。

 よって人々は、簡易な魔導回路が組み込まれたランプを持ち夜を歩く。もちろん、夜目が効くからいらない、という猛者もいるが、ヤスヒコは前者であった。頼りない光の先に、憎悪があった。

 素っ首叩き落としてやる。

 なぜ、ミオの事をよく見ていなかったのだ。

 一体誰が、なんのために?

 ヤスヒコの脳内では、そうした言葉がぐるぐるとうずを巻回り続けていた。ゆらぐ炎は、彼の問いに何も答えてはくれなかった。

 彼はようやく、目的の地に辿り着いた。ゴミ処理場から運ばれてくる、据えた臭い。ヤスヒコは慎重に足を運び、倉庫の扉にたどり着く。ランプを地面にゆっくりと置いた。

 すすり泣く声。女の声だ。

 ヤスヒコは扉を蹴り破りたい衝動をなんとか押しとどめ、慎重に戸袋に左手を差し入れる。逆手で剣の柄を握り──一気に扉を押し開けた。同時に、ヤスヒコは剣を引き抜く。虚空を裂く刃。順手に持ち替えた剣の切っ先を伸ばし、暗闇に目を凝らす。ランプの炎は、暗闇の先を容易に照らしてはくれなかった。

「ミオ。大事ないか。返事を……」

 誰かがすすり泣く声は、未だ続いていた。不意に、倉庫のランプがひとつだけ炎を灯した。ガラクタが積み上げられた倉庫の中が、朧げに浮かび上がる。その中に、彼はミオの姿を見た。縄で縛られ、気絶させられているミオの姿を。

「ミ……!」

 彼は妻の名前を最後まで言うことができなかった。彼が見たのは、妻の首筋に短剣を突きつけている女であった。彼女は美しい金髪を振り乱し、泣き続けていた。彼女がもし刃を少しでも押しこめば、ミオは命を落とすことだろう。

「待て。何があったのか、拙者は知らぬ。知らぬが……そなたにも家族がおろう。ミオは……拙者の大切な妻、大事な家族。傷つけば悲しい。同じように拙者も、そなたを傷つけたくない……」

「ごめんなさい」

 女は涙混じりの声で、必死に声を絞り出した。

「ジョーが言ったの……殺さないと、殺すって……エイトの元に、かえりたいの」

「そなたの子供か」

「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……」

 ひたすらに涙を流す彼女に、ヤスヒコは剣を向ける以外に選択肢を持たなかった。彼女は、追い詰められている。恐らくは、彼女もヤスヒコと同じ立場なのだ。ミオを殺さねば、子供の元に帰れない。誰かが仕組んだこの悪質な茶番に、同じように巻き込まれた。他人の命を奪う引き換えに、家族の命を救うことを強要されたのだ。

 その時であった。ひらひらと、まるで舞い降りるかのごとく羊皮紙がヤスヒコの前へと落ちる。ヤスヒコは剣を片手で構えたまま、左手でその紙を拾い上げた。

『やあ、ヤスヒコ。君はとても動揺しているんだね。無理もないことだ。君の目の前にいる女は、君の妻を容赦なく殺すだろう。君が取りうる選択肢はふたつ。女を殺して妻を救うか、妻を見殺しにするか。……この物語は、ハッピーエンドで終わる。それを考えると、見殺しにする選択肢を取るのはあまり得策ではないな。妻を救いだすんだ、ヤスヒコ。親愛なる君の友人ジョーより』

 またもジョーからの手紙だ。この光景を見ているのか。ようやく彼は確信した。この茶番は、ジョーが仕組んだものなのだ。そして、ミオはこの女を斬らねば助からない。おそらくはこの女も、ジョーから指示されているのではないか。同じように家族を盾に取られ、ミオを本気で殺すように仕向けられたのではないか。

 ヤスヒコは強く剣の柄を握る。目を閉じ、息を整える。今ならば、ミオは気絶している。ならばわかるまい。

 何の罪もない女を、俺は斬らねばならない。

 ヤスヒコは、今は亡き帝国騎士団の要職を務めた偉大なる父親から、小さい頃から剣の鍛錬を仕込まれてきた。父いわく、剣術とは人を守るためにあれ、騎士の身体とは主君を守るためにあれ。そんな剣を、俺は女へ向けているのだ。

「許せ」

 彼は短く言葉を切った。彼は愛する妻を、これ以上失うわけにはいかなかったのだ。彼女にも、家族がいる。だが、それ以上に彼には守るべき妻がいるのだ。

 じりじりとヤスヒコは女との距離を詰める。ヤスヒコの剣術はハタ家伝来、一太刀で敵を葬り去る、一撃にすべてを賭けるものだ。間合いにさえ入れば、女の頭をかち割るくらいは難しくない。

 息を整えてからは、彼の動きは速かった。

 女がナイフを振り上げる。ヤスヒコが右足を踏み込む。体重がかかり、彼の身体は跳躍! 刃は彼女の頭を一瞬で砕き、女は即死! 血しぶきが飛び、ミオにも女の血がかかった。ヤスヒコは妻を血で汚してしまったことに罪悪感を抱きながらも、死体と化した女を押しのけ、妻を揺り動かした。

「ミオ! 気を確かに持て!」

 息はある。脈もある。心の臓も間違いなく動いている。彼はそんな事実を一気に確かめたことで、身体の中に溜めこんでいた息を吐き出した。その矢先のことであった。

 窓を破り、扉を蹴破る! 剣を構え、三人の男女がヤスヒコとミオ、そしてズタボロに頭を砕かれた女の死体を取り囲む!

「とうとう姿を現したか、敵性亜人め!」

「剣を捨てろ!」

 取り囲んだ男女に、ヤスヒコは大いに見覚えがあった。憲兵団に現れた、厚生局の人間。敵性生物対策室のメンバーだ。リーダー格の中年男ライアンは、事態がよく飲み込めぬまま、剣を握りしめているヤスヒコを柄で殴る! 剣を取り落とす彼を、ショーンとメロウが二人がかりで素早く縛り上げた!

「き、貴殿らは……」

「敵性生物対策室の者だ」

 ライアンは長剣をくるくると回しながら、余裕たっぷりに言ってみせた。

「憲兵団に潜む敵性亜人。俺の目はごまかせんぞ。四代前に血が混じっただと? なんでもない風を装いやがって」

「何を! 拙者とて馬鹿ではないぞ!」

 笑みすら浮かべるライアンの言葉に、ヤスヒコは激昂! 思いつく限りの憎悪を言葉に込め、投げつけた!

「拙者が手にかけたこのご婦人。ミオを……妻を殺さねば子供に会えぬと申していた。拙者も手紙で、ジョーという男に彼女を殺せと言われた。見ろ!」

 もはや物言わぬ死体と化した金髪の女。振り乱れた髪の間から、歪んだ形の耳が覗く。エルフだ。十年前、皇帝暗殺に端を発する内戦直後、亜人の排斥作戦案が持ち上がった際、尖った耳を持つエルフ達は、それさえなければ人間のように見えることから、自ら耳の一部を切り落とし、人間に紛れたと言われている。死んだ女は、エルフ──亜人だったのだ。

「ジョー? 一体何の話をしてるんだ」

 ライアンは小馬鹿にするように言い、手紙を拾い上げた。

「その手紙を書いたのは、ライアン殿! そなたではござらぬのか!」

「何を言ってる。もちろん違う。……まあ、だれだっていいさ。これは君の犯行の証拠になる。ジョーなんて人間は存在しない。君は架空の存在から犯行の指示を受け、実行した。ショーン、そうだな」

「ですね、ライアン」

「敵性亜人を追っていたら、とんでもない事件に遭遇してしまった、ということでしょうか」

 ショーンとメロウはそれぞれライアンに同調し、結論づけた。そこでようやく、ヤスヒコは自分が彼らに絡め取られたことを知った。これは、単に妻が誘拐されただけの事件ではない。すべてはこのライアン達が、ヤスヒコを殺人犯に仕立て上げるための策略だったのだ!

「……し、しかし! ミオは知っているぞ。ミオは攫われここに来た。その誘拐犯の顔を恐らくは見ている。ライアン殿、そなたらの企みは破綻している!」

「そうなのか」

 羊皮紙を黒スーツの内ポケットに仕舞いながら、ライアンは冷ややかな視線をヤスヒコに浴びせつつ、メロウに聞いた。

「ええ。『保護する』時に、顔を見られたかもしれません」

 メロウの言葉に頷くと、ライアンはため息をつく。演技めいた大げさなため息であった。

「そうか。なら、仕方ないな」

 ライアンはヤスヒコが取り落とした剣を持ち上げ、逆手に持ちかえる。そして、間髪入れずに、ミオの心臓めがけ刃を突き入れた! 一瞬覚醒し、目を見開くミオ。それを見据えるヤスヒコ。手を伸ばすこともできず、刃が飲まれていくさまをただ見ていた。

 何も、声が出なかった。かけるべき言葉は、無限にあったはずなのに。

 彼はただ獣のごとく暴れた。叫んだ。しかし、彼を縛り上げた縄は固く、容易に解けることが無かった。ミオの肌は病的に白くなり続け、血だまりは広がっていった。

「なあ、ヤスヒコ。ジョーはこう書いてる。『この物語はハッピーエンドで終わる』──そういうことだ。君の奥さんは死ななくちゃならないし、君も裁かれなくちゃならないんだ」

 ライアンはひどく穏やかな調子で、ヤスヒコに語りかけた。

「つまり俺達にとってのハッピーエンドだ。君は裁かれ、処刑される。精神を病み、罪もない女性を二人も殺した敵性亜人としてな。奥さんの事は、残念に思うよ。なあ、ヤスヒコ」





 次の日。

 憲兵団本部に、ヤスヒコの姿は無かった。

 筆頭官吏・ヨゼフが、珍しく目を伏せ暗い表情で、淡々と事実を述べた。ヤスヒコの妻、ミオが死んだこと。その現場には、身元不明であったが──エルフの女性の斬殺体があったこと。そして、それを実行したのがヤスヒコであり、本人もそれを認めたこと。

 ヤスヒコの人となりを知る憲兵官吏達からしてみれば、あまりにも受け入れがたい『事実』であった。彼は誰よりも愛妻家であったし、職務に忠実で、正しい憲兵官吏であった。

「先輩。自分、信じられません」

 ジョニーがぼそりとそうつぶやく。ドモンは目を閉じ、あいまいに頷いた。ドモン自身も、信じられなかった。あのヤスヒコが、妻も含め二人も殺すなどと考えられない。彼の妻が死んだのもそうだ。妻のティナも、昨日彼女とお茶をした事を嬉しそうに語っていた。

 彼女はもういない。そして、ヤスヒコもいなくなるだろう。

 憲兵官吏は役人である。国に仕える役人の根底にあるのは、騎士の精神である。彼らは身体を張って主君に仕え、その誇りを守らんとする。

 しかし、その誇りを自ら汚すことになったとしたらどうか。それは騎士達にとって最大の不名誉であり──それをそそぐためには、自らの命を捧げる以外にない。

 ヤスヒコは死ぬ。国や、憲兵団や、騎士という曖昧な価値観のために。

 ヨゼフは淡々と、それが厚生局敵性生物対策室の手柄であることを伝えると、報告が書いてある羊皮紙を巻き取る。彼は意外にも、ドモンに向けて『こちらに来るように』とハンドサインを無言で放った。

 何もしたくなかったが、ドモンはゆっくりとヨゼフの後ろにつき──執務室へと入った。ヨゼフは大きな顎を撫で、これまた大きなため息をついた。

「ドモン君。今ヤスヒコ君は、自宅で謹慎中だ。……じき、行政府から処刑の日程が発表されるだろう」

 ヨゼフは仰々しい黒塗の箱を開くと、雪のように白い布でくるまれた物を取り出した。机に置くと、彼は紐を解き、中の物を白日の元に晒す。

 それは、木鞘に納まった短剣であった。儀礼的短剣。騎士は処刑されることはまずない。何か不名誉をこうむり、名誉を挽回すること敵わぬ場合、皇帝の名においてこの短剣が下げ渡される。

 死を賜る。それが、この剣の意味だ。

「その前に、君がこの剣を渡せ」

「なぜ、僕がそのような……」

「団長の温情だ。対策室の連中、敵性亜人だなんだのと、上に強く報告したようだ。よほど、自分たちの手柄が誇らしかったらしくてね。……上は、ヤスヒコを憲兵官吏ではなく、単なる犯罪者として、公開処刑にするつもりらしい。……これは、団長の独断専行だ。僕だってこれを君に託せば問題になる。……君は、これを何食わぬ顔で渡せばいい」

「結果は」

 ドモンは深い隈の差し込んだ目を伏せながら、静かに尋ねる。

「結果は、もう覆らないんですか」

「ああ。団長も強く抗議した。だがムダだった。覆らん。君なら、謹慎中の人間に会いに行っても、また馬鹿をやったかの一言で済ませられる。……今回は、僕が許す。だから、頼むんだ」







 監視の憲兵官吏達は、ドモンの姿を見て静かに目を伏せ、あらぬ方向へと視線を移動させた。ドモンは堂々と静まり返ったヤスヒコの自宅へと入り──彼に出会った。

 ヤスヒコは床に正座し、白装束を身にまとっていた。

 多くの悪人と戦ってきた剣は、無造作にテーブルに置かれていた。ドモンが入ってきたことに気づいているのかいないのか、ヤスヒコは黙して語らぬ。

「ヤスヒコさん」

「……ドモン殿にござるか。わざわざ足を運んでもらって申し訳ござらぬ。お気遣い痛み入る」

 ドモンは彼の前に同じように腰を下ろすと、ジャケットの裏から包を取り出し──広げた。木鞘の短剣。一目見たことで、ヤスヒコはすべてを察し──ドモンに微笑んだ。

「ははは……いや、申し訳ござらぬ。ドモン殿を笑ったわけではないのでござるが」

「分かっていますよ」

 ヤスヒコは立ち上がると、戸棚から小さな袋を取り出すと、ドモンへとぐいと差し出した。金属音。文字通りの金の音。

「これを、ドモン殿にお頼み申す」

「……なんの金ですか、これは」

 ドモンは触れずとも中身を察し、ヤスヒコの手を制していった。ヤスヒコはなおも微笑むと、ドモンの手を引き寄せ、袋を握らせた。

「拙者は、エイトという少年の母親を斬り申した。母親がエルフだったのだから、おそらくは子供もそのはずにござる。この中には、金貨が二十枚は入っているから、探して渡して下され」

「……ヤスヒコさん。あんた、なぜ……人を殺したのを認めたんです。どう考えたって、あんたはめられたんですよ。もっと粘れば、団長だって手を……」

 彼の言葉を遮るように、ヤスヒコは手をかざし、首を振った。彼には既に何も無かった。すべてが抜け落ちた後の殻が、今の彼であった。

「あの対策室のライアンという男に絡めとられたのは確かにござる。しかしそれ以前に、拙者は妻を三人も亡くし申した。ミオは、ミオだけは、もう失うまいと思っていたのに、それも全くの無駄になり申した。……もはや、拙者には守るべきものが無くなったのでござるよ。それどころか、拙者は罪なき母親の命をも奪った。ハタ家に泥を塗った以上、生きている資格はござらぬ」

「ですが!」

 言い終えない内に、ヤスヒコは木鞘の短剣を手に取り、抜いた。白刃がきらめき、鏡のごとくヤスヒコの悲壮な表情を映した。

「ドモン殿。どうか、拙者の最期の願いをお聞き届けくだされ。その金を、確かに頼みましたぞ」

 彼は白装束をはだけると、白い包みで剣の柄を包み、そのまま自らの腹へ刃を突き入れた。流れる血。ヤスヒコのくぐもった唸り声。彼はもう止まらない。刃を止める気もない。

「はは、は……情け……のう……ござるな……。どうか……介錯……願えぬか……」

 血だまりがゆっくりとヤスヒコの足を濡らす。ドモンは無言のまま長剣を抜いた。

「……願い叶うならば……どうか、妻の……仇を……」

 振り下ろした彼の剣は、ヤスヒコを見事に苦しませずにあの世へと送った。血だまりに沈んだ彼の遺体にドモンは十字を切る。

 神がいるかどうかは分からない。だが断罪人は、ここにいる。彼の無念は、必ず晴らすことだろう。






 深夜。郊外の廃教会にて。

「そんなの、神が許さないわ」

 アリエッタは悲鳴をあげるような調子で言った。

 断罪の話はドモンから持ち込まれ、実行に移されようとしていた。レドにジョウ、そしてアリエッタにとって、聞きたくない事実を、彼らは聞くことになった。

 すなわち、レドが預かっている少年──エイトの母親の死である。彼女もまた、対策室の欺瞞に巻き込まれ、命を落としたのだ。

「……二本差しの旦那。裏は取れたよ。連中、架空の人物から手紙を出す形で指示して、亜人に殺人を犯させたのさ。ヤスヒコさん家で探したら、手紙が残ってた。つまり今回は、旦那の後輩さんと……エイトのお母さんが標的だったってわけ」

 彼らの目論見は、見事に達成された。エイトの母親がミオを殺そうとも、亜人との混血であるヤスヒコが手を下そうとも、どちらに転んでも良かったのだ。

 アリエッタはくすんだ青い前髪を掻き分け、赤渦の巻いた瞳を晒す。怒りに燃えた瞳だ。

「可愛い少年の笑顔を奪うような事は、たとえ神が許しても私が許さない」

 そう宣言すると、聖書台に並べられた金貨二十枚へと手を伸ばす──がレドがそれを遮った! 珍しい行動に、アリエッタは文字通り目を丸くする。レドはゆっくりと聖書台の前へ立つと、金貨を取り分け、袋へ戻す。残ったのは、金貨四枚。

「エイトは、一人で生きていかなくちゃならない。金が必要だ。これだけ取り分があれば、少なくとも俺は十分やれる」

「なんですって? あんたねえ、自分がガキを育ててるんでしょ。それならその金貨十六枚は、あんたのものになるってことじゃないですか」

 寝ぐせだらけの黒髪を掻きながら、ドモンは鋭い視線を突き刺し、指摘した。白いジャケットの上に巻いた紫色のマフラーが、夜風に揺れる。レドの黒スーツ・赤ネクタイ・黒シャツという殺し装束と同じく、この紫色のマフラーはドモンが殺しに臨む時のトレード・マークだ。

 ドモンの指摘に、意外にもレドは鼻で小馬鹿にするように笑ってみせた。

「二本差し。あんた、本気で殺し屋がガキを育てられると思ってるのか?」

 レドの言葉が、ドモンの記憶を呼び覚ました。その記憶が、皮肉にもレドの言葉を肯定した。返しようのない事実であった。

「……じゃ、なんのためにガキを預かったんです」

「さあな。……俺の親父の真似をしたかったのかもしれない。……あんた、役人だろ。あの子の行く先くらい、ちゃんと面倒みてくれよ」

 彼はそれだけ言い放つと、金貨一枚と金貨の詰まった袋をスーツの内ポケットにしまい込み、後ろで結んだ赤錆色の長髪を揺らしながら、教会の外へ──闇へと消えていった。

「傘屋の野郎、相変わらずいけ好かないやつですねえ」

 ドモンがしみじみ言うのへ、ジョウとアリエッタはすばやく取り分の金貨一枚を取っていた。

「なんだっていいじゃん。レドがやる気ならさ」

「その通りよ。……ジョウ、私もとてもやる気になっているもの。……昂ってきたから、ちょっと喜捨してきますね」

 アリエッタはわしわしとジョウの頭をハンチングごとなでた後、急いで夜の街へと消えた。彼女は病的な少年趣味であり、娼館狂いなのである。ジョウはやれやれと口を尖らせると、ドモンに向き直って言った。

「じゃ、この後は手はず通りにね」

 ドモンは静かに頷く。二人の断罪人は、それぞれの方向で灯ったままのろうそくの炎を吹き消した。廃教会は、闇に落ちた。





 対策室の面々は浮かれていた。

 なにせ自分たちの活躍が認められ、西側騎士団への左遷は取り下げ。昇給まで決まったのだ。全ては室長のライアンの仕掛けた欺瞞が、真実になったことによるのだから、笑いが止まらない。

「しかしライアン。予算の使い込みはどうするんです?」

 はしご酒、三軒目。既に赤ら顔のライアンは気分よく笑いながら、瓶の中の酒をあおる。彼は元々アルコール中毒なのだ。

「ああ? 馬鹿を言うな、ショーン! 人事部長が握りつぶしてくれただろう! 持ち出すなら……そうだな。亜人の被害にでも遭うんじゃないか。『敵性亜人』のな!」

「さすがはライアンですねえ!」 

 ショーンの肩にしだれかかるメロウが、気分よく室長を賞賛! 釣られてショーンも笑い、三悪党は再び爆笑した!

「大変ですよ! 大変です!」

 その時である! 浮かれ調子の三人組の目の前に、転がるように男が現れた。金髪で小柄な、口ひげを生やした商人風の男であった。

「何事だ」

 比較的酒の量が少なく、冷静なショーンが役人めいて言った。手は腰に下げた剣に添えられている。商人風の男はその剣を見たのか、必死に頭を下げた!

「お、お、お願いです! あっちにいる亜人が……私の持っている金を狙おうと! お願いでございます! 金ならお出ししますので、どうかお助け下さい!」

 ライアンは『金』と聞いた途端、ふらつきながらも剣の柄を握る。敵性亜人は滅ぼさねばならない。打算的感情から生み出される、歪んだ正義感が、ライアンを奮い立たせる!

「我々は敵性生物対策室の者だ。……貴様、運がいいぞ。俺達に任せろ! どっちだ!」

「あ、あちらでございます!」

 対策室の面々は剣を引き抜くと、商人風の男が指差す方向へと走る! しかし、そんな彼らの走りもすぐに止まってしまった。そこは、建物と建物に囲まれ、ガラクタの積み上げられたために狭いだけの空き地だったのだ。

「……ライアン。誰もいないようですが」

 ショーンが剣を構えつつ警戒する。ライアンはと言うと、酒をもう一度煽り、瓶を叩きつけて割った。それから、ふらふらと剣を構えた。どう見ても酔いが覚めていない。メロウに至っては、壁にもたれかかっている始末だ。

 ショーンが彼女に何か言おうとした直後であった。メロウの首に何者かの手が回り、掴まれた! 目を丸くするメロウだが、何も抵抗叶わず宙に浮いていく。手は屋根の上から伸びており──引っ張りあげたのは、修道服に長身巨躯を押し込めた、シスター・アリエッタ! 彼女の赤い渦を巻いた瞳が月の光に反射し怪しく輝く!

「ようこそ、神を信じぬ不心得者」

 そう笑うと、何も抵抗叶わぬメロウの身体を両手で持ち上げ、彼女の腰を自身の首へセット! そのままメロウの身体に手をかけ、腰を支点に折りにかかる。これぞ現代で言う、アルゼンチンバックブリーカーである! ミシミシと全身の骨が折れる感覚に、メロウはようやく正気を取り戻すが、最早何もかも遅かった!

「や、やめ……」

 木材を叩き折るような無慈悲な音とともに、メロウの首、腰、太ももがあらぬ方向へと折れる! アリエッタは興味を無くしたように彼女を屋根の下へと放り投げた。地面にたたきつけられ、無惨な死体と化した同僚に動揺するショーンの目の前で、今度は赤い花が咲く。いっしゅんたじろいだ彼の目に入ったのは、赤い傘を開いたレドの姿であった。

「馬鹿にしやがって!」

 ショーンは剣を振り下ろすが、レドは同時に傘を閉じ、華麗に身体を翻し回避、体勢を崩しながら前のめりになる彼の後ろへ回りながら、傘の鉄骨を一本折り取り、右手に握りこむ! そして肩に手をかけ一気に鉄骨を首筋に押しこんだ! ずぶずぶと埋まってゆく鉄骨を引き抜くと、血染めの鉄骨が完成し──ショーンは事切れ絶命! レドは傘へと鉄骨を戻し、ガラクタの作る影へと溶け消える。

 一瞬の出来事であった。一瞬の内に、部下二人は無惨なる遺体へと変わっていた。はっきり言って、ライアンには何が起こったのか全く分からなかった。無造作に構えた剣を、怯えながら影に向け続けるばかりだ。

 そんなことを繰り返している内に、彼の剣の切っ先が捉えたのは、憲兵官吏の白いジャケットであった。彼が死に追いやった、黒髪で亜人の憲兵官吏──ではなかった。

「おお、あんた……部下が殺られた。緊急事態だ!」

 黒髪に寝ぐせのついたその憲兵官吏は、紫色のマフラーを巻いていた。彼は黙して語らぬ。ただ、腰に下げた大小二本の内、長剣を引き抜く。

「敵はまだ近くにいるはず……おい、なんだ貴様……」

 月明かりが、ドモンの射殺すような視線を浮かび上がらせた。ライアンがその視線に気づいた直後、ドモンは剣を切り払っていた。かかとの上、両足の腱の部分が一気に裂け、立っていられず前のめりに倒れこむ!

「や、やめろ! なんのつもりだ!」

 ちょうど三指突いて土下座の体勢となったライアンの背中に、ドモンは長剣の柄を両手で握りしめ──一気に彼の背中に突き入れた。心臓を貫き、ライアンはうずくまったまま死んだ。まるで、自らが死に追いやった人々に、詫びをいれるかのごとく。





 エイトは結局、イヴァンの最西端──ペンドラム領に本社を置き、子供のいない商人の家へと引き取られることとなった。人の良さそうな夫婦に連れられ、エイトは西大門から旅立っていく。

 レドとドモン、アリエッタにジョウの四人組は、エイトの見送りにここまでやってきていたのだった。

「……レド兄ちゃん」

「これは、選別だ。とっときな」

 レドはぶっきらぼうに、子供用の小さな赤い傘を差し出した。この時のために作っておいた特注品である。まるで曇りが晴れるように、エイトは笑った。レドもえくぼを作った。

「ぼく、兄ちゃんのこと、ずっと覚えているよ」

「ああ」

「だから、ぼくと、母さんのこと……忘れないで」

「ああ」

 手を引かれ、遠ざかっていくエイトの背中。レドは最後まで見送ることをせず、踵を返して、その場を去っていった。ドモンは猫背になりながら、レドの背中を目で追っていた。

「見ました?」

「……何をです?」

 アリエッタがあふれる涙を拭いながら言う。ドモンはぼりぼりと頭を掻き、驚いたように言った。

「傘屋の野郎、目が赤かったですよ」

「泣いてたんじゃない」

 ジョウの言葉に、ドモンは再びレドの背中を追った。彼の背中は、人混みの奥で既に小さくなっていた。






拝啓 闇の中から欺瞞が見えた 終

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