拝啓 闇の中から真打が見えた(最終パート)
赤いジャケットを着た男に呼び出されたのは、昼ごろの話であった。ドモンは男から強引に渡された金貨一枚に釣られ、会合先に指定されたレストランに足を運んだ。
待っていたのは、この間ドモンが演芸場に足を運んだ時、無粋にも乱入してきた小柄な男──ニコルソンであった。彼は分厚いステーキにナイフを入れ、大口を開けてステーキを食べている最中であった。
「二本差しの旦那。よく来てくださいました! まずは、ささ好きなものを注文して下さいよ。とにかく、こちらは困ってしまっておりましてね……」
「や、それは助かりますねえ。こっちは昼ごはんがひもじくて。同じステーキをお願いします」
しばらくして運ばれてきたステーキを、ドモンは特に躊躇なく口に運び、その肉厚さと肉汁を楽しんだ。半分ほど食い進めたところでナプキンで口元を拭い、ニコルソンに話しかける。
「それで。わざわざこんなところに呼び出して、なんだってんです。おまけに前金まで出してくるなんて、ただごとじゃなさそうですねえ」
ふとニコルソンの後ろを見ると、数名の男たちが立っているのにドモンは気がついた。いずれも赤いジャケットを羽織っている。鋭い視線が、ドモンを射抜いている。友好的なものには見えなかった。
「……ま、いいでしょう。とりあえず話を聞こうじゃありませんか」
にたりと笑いながら、ニコルソンは口の周りの肉汁を拭い、指をちょいちょいと動かすと、男たちに葉巻を準備させ、それを咥えた。すかさず、ひときわ筋骨たくましい口ひげを生やした男が、携帯火種で葉巻に火を点けた。
「おう。……旦那、ありがとうございます。とにかく、先方も困っておりましてね。噺家キョウタロウ、ご存じですか」
不遜な態度で葉巻をふかすニコルソンに、ドモンは眉一つ動かさない。今の彼は、愚劣で小悪党の憲兵官吏なのだから。
「ええ、まあ」
「そこの弟子にスケという若いのがおりましてね。これがまあ相当のワルでして。なんとまあ、殺し屋に頼んで兄弟弟子を殺してしまったと言うんですよ」
兄弟弟子。昨日のレドの話にもたしか出てきた。彼はシンという弟子を殺すように、誰かに頼まれたのではなかったか。
「キョウタロウ一門では、お上のご厄介にはなりたくないとこれを隠したわけなのですが、スケの扱いに困っておりましてねえ。そこで旦那にお願いなのですが……スケを、うまく処理してもらえませんかねえ」
「処理、ですか」
「ええ、いや何……正確には後処理というやつです。身元不明の死体とでもしてもらって、スケは憲兵団の書類上行方不明になる……ってえのはどうでしょう?」
ドモンは、溢れ出る感情に蓋をしたまま、できるだけ抑揚のない声で言った。
「金は?」
ニコルソンは口ひげを生やした男に皮の袋を持ってこさせると、中身の金をテーブルの上へとばら撒いた。一つずつ金貨を側に寄せる。枚数は、二十枚。
十分な金額だ。あの世への送迎費には。
ドモンは袋を受け取り、憲兵団の印である白いジャケットの右袖口に仕込んだ隠しポケットへ入れた。重い金だ。
「手はずはどうするつもりなんです?」
「今日の夜……キョウタロウ一門で、ちょうどこのレストランを貸しきって、一番弟子のキンの二代目襲名披露の前祝いをやるんです。スケには、そこに遅れて向かってもらう。そこで、こっちのヒゲ……ダニーがやつを料理する。キョウタロウ師匠には、披露会で二代目をキンが継ぎ……自分が引退することを『承諾』してくれる予定になってるんでさあ。いや、その前に……衝撃が大きすぎて、倒れるかもしれないですねえ」
ニコルソンは指で葉巻を挟み込んだまま、愉快そうに笑った。響き渡る悪漢の笑い声。その声はまさしく、無知からくるものであった。
彼は知らない。目の前にいる男が、そんな悪党の上を行く、さらなる悪党であるということを──。
「あなたが、つなぎ屋さんですか。あたしに内々の言伝だって事を言いなさったが、一体何のことですか」
ブクロ演芸場・キョウタロウの居室。金髪のワンレングスのかつらに、これまた金髪のヤギめいたヒゲをつけて変装したジョウと、キョウタロウの二人は向い合って座布団に腰を下ろして話を始めていた。
ジョウは、キョウタロウの大ファンだ。こみ上げてくるものがどうにも抑えきれなかった。しかし彼はプロである。まずは仕事を遂行せねばと、肩掛け鞄の中から、金貨を一枚差し出した。
「これをお返しに上がりました」
「……あたしは金貸しはやらないんですがね」
「これは、お弟子さんのシンを殺そうと、スケさんが殺し屋に払った金です。……しかし、殺し屋が動く前に、シンは殺された。僕はそのお金を返しに来たんです」
キョウタロウは差し出された金貨をじっと見つめていた。膝の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめたまま、触れようともしなかった。
「そうですか……スケは、せがれは……シンを、殺していなかったのですか……」
彼は言葉に詰まりながらそう言い終えると、金貨を自分の方へと寄せ──改めてその金貨を差し出した。
「これは、受け取るわけには参りません。あたしにはその資格は無い。スケはあたしの弟子。弟子の不手際で出た金を、あたしが手にするわけには参りません」
ジョウは返された金を鞄に仕舞いこむ。複雑な思いであった。情報屋をなぶり殺しにした連中の中に、キョウタロウの弟子がいる事を伝えれば、彼やスケは助けられる。
しかしそれは、果たして断罪人として踏み出すべき行為なのか? ともすれば、仲間を危険に晒しはしないのか。短い時間の中で彼はそうした正当化の理由を探していた。
僕は、この人のラクゴが好きだ。
ジョウが初めて聞いた彼の噺は『死神』というものであった。どうしようもないダメ人間が、死神を見ることのできる目と退ける呪文を授かり、それを利用して金儲けするものの、やがてうまくゆかなくなり、悪用をしてしまう。そして最期は、死神に諭され、命を落としてしまう。
恐ろしい話であった。死神は文字通り死を司り、能力を得た男は、死を操る事で富を得て、そして命を失った。
自分たちもまた、死を操り富を得る存在だ。だからジョウはなおのことこの噺が恐ろしかったし、魅力的であったのだ。
「──死神という噺、とてもよかったです。僕、あなたのラクゴが、そのう……好きで……」
「それは、ありがとうございます。噺家として冥利に尽きるというものですよ」
「もし……もしですよ。シンを殺して、スケを陥れた連中が、あなたをも葬り去ろうとしているのなら……そんな連中の命を、死神の如く吹き消す連中がいるとしたら……キョウタロウ師匠、あなたはどうしますか」
キョウタロウは顎を撫で、少しだけ考えると、顔を上げ、口元に笑みを浮かべて言った。
「死神は、気まぐれなものですよ。あたしのような噺家がどうこうできる存在じゃあない。……それに、あたしも聖人じゃない。もし、そんな死神がいるのなら、あたしの命を差し出してでも願いたいものですよ」
折れた巨大十字架オブジェに、月の光が満ち、影が落ちる。夜の廃教会は、どこか不気味であった。
「今回の依頼金は金貨二十一枚。一人頭金貨五枚、銀貨二枚、銅貨五枚ってわけだね」
ジョウは受け取った金貨一枚と、ドモンが持ってきた金貨二十枚を腐りかけの聖書台に並べ、両替しながら言った。アリエッタはすばやく自分の取り分をじゃらじゃら掴みとり、袖から財布を取り出すとすべてを素早く入れた。彼女のくすんだ青い前髪は掻き分けられ、中から赤渦を巻いた瞳が覗いている。彼女は殺しの機会が近くなった時だけ、瞳を晒して人が変わったようになるのだった。
「あの可愛い子を死なせるのは、私の流儀に反するもの。……ちょっと昂ってきたわ。すぐ戻ってくるから」
そう言い残すと、彼女は教会から姿を消した。恐らく──というより確実に、男娼を買いに行ったのだ。呆れ顔のドモンにジョウは顔を見合わせ、自分たちの取り分を漁る。
「……ジョウ、二本差し。アリエッタは勝手にやってのけるとしてだ。俺達はそのキョウタロウってやつの目を掻い潜って、残りを全員片付けなきゃならんってことだろう。バレたらたとえあんたでも揉み消すのは難しいんじゃないのか」
レドが尤もな疑問を呈しながら、残った金の全額を回収し、黒スーツの内ポケットへと仕舞いこんだ。ドモンは彼の疑問に頷きながら、笑っていった。
「あんたねえ、そういう所がまだまだ甘いってんですよ。僕らはプロです。殺しが商売なんです。なら、無理を通してナンボでしょう?」
レドの返事を待たずして、朧げに点いた三本のろうそくに、ドモンは息を吹きかけ消した。教会は真の闇に落ち、殺し屋という名の死神達は姿を失った。
東地区のレストラン付近。
魔導ランプは大通りにそって明るく道を照らしているが、一つ道を逸れれば暗い。スケは、キンから指示され、劇場の掃除を済ませてから夜道を急いでいた。なんでも、急だが弟子全員を集めて会合を開くと言うのだ。
シンが命を落としたばかりだというのに──それも、自分のせいでそうなったばかりだと言うのに。スケは断ったが、キンが強く言うので行かざるを得なかったのだった。この世界では、上下関係は絶対だ。気乗りはしなかったが、生きていくのなら仕方がない。
夜道を心もとない手持ちランプで照らしながら、スケは歩く。その後ろ、ビルとビルの影。闇に紛れるような浅黒い肌、赤いジャケットを羽織った、筋骨隆々の口ひげを生やした男が、手に長いナイフを持ってスケの背中を見ていた。月の光で、ぎらりと輝くナイフ。男の──ダニーの任務は、このナイフをあの愚かしい小僧の背中に突き立てれば終いになるのだ。
「仕上げは自分でやらねえとな……へへへ」
残虐にして冷酷非道なダニーは、ぎょろりと視線をスケの背中へ定め、足音を立てないよう気を使いながらナイフをゆっくりと上げた。月の光が再び刃に当たりきらめく。まるで鏡のように磨かれた刃に、赤渦を巻いた瞳が映り込む。舌なめずりするダニーの口が、突然細かい鎖で編んだ手袋で塞がれた! 抵抗しようにも恐ろしいほどの力の持ち主で、ダニーの身体はまるでドラゴンか何かに引っ張られるかのごとく引きずられ、階段を上がり、屋根の上へと放り出された!
「こんばんわ、神を信じぬ不心得者」
這いつくばるダニーが見上げたのは、赤渦を巻いた目を覗かせ、長身巨躯を修道服に押し込めた、シスター・アリエッタの姿!
「誰だ、てめえは!」
よろよろと立ち上がり、ダニーはナイフを構えた。傾いた屋根の上から、星空とともに月が、そして巨躯の影から赤渦を巻いた瞳だけが、ダニーを射抜く。すかさずナイフを薙ぎ、突き刺そうとナイフを握った手を伸ばすダニー。しかしその腕をアリエッタは脇に絡め、へし折った! ナイフが転がり、虚しく鉄の乾いた音が響く。絶叫するダニーの胸ぐらを持ち上げ、屋根の頂上へと引きずると、無理矢理にたたせ、両手を挙げさせた。
「では行きましょうか。神の慈悲が届かぬ場所へ」
優しくダニーの背中を撫でてから、容赦なく押した! 角度のついた屋根の上で、ダニーは右足を踏み出した。左足。右足。左足。右足。左。右。左右。左右左右左右──
「たすけッ、止ッたすけッとめッたすけて!」
情けない声をあげながら、ダニーは転がるようにして屋根を駆け下りる! 当然角度がつきすぎ、途中では止まれない! 屋根の際でなんとかバタついたものの、止まることは叶わず、彼は断末魔の叫びを遺し転落! 全身骨折して死亡!
「キン。どうしたんですお前は。そわそわして」
キョウタロウは妙に落ち着かない様子のキンに対し、叱責するような調子で言った。キンはそれに恐縮しきりだ。一番弟子とはいえ、キョウタロウは皆に平等に厳しい。キンにとってはそれが気に食わないところでもあった。彼の下で学び、実力をつけても、キョウタロウの厳しい態度は変わらなかった。二十年耐えたが、これ以上は耐えられない。
「いえ、なんでも」
「ニコルソンさんと仲直りのための会食ということで、一門出張ってきているんだ。一番弟子のお前がそんな調子で、どうします」
叱責めいた言葉に眉を潜めながらも、キンは葉巻をふかしているニコルソンへと目を向けた。彼は余裕の表情で笑顔を向けている。キョウタロウと数人の弟子で長テーブルを並べ、その向こう側にニコルソンがただ一人座っている。ナプキンを襟元に入れて余裕の表情だ。それがまたキンの感情を逆撫でた。一人苛ついているのが馬鹿らしいではないか。
「キンさん。キンさんはいらっしゃいますか」
客室の扉を開けて、金髪にメイド服を着た小柄な女が入ってきた。そばかすをうまくメイクで隠し、完璧に女装したジョウである。自分の名前を呼ばれ、立ち上がるキン。
「何です」
「スケさんとおっしゃる方が、緊急の用事だと……」
彼女の口から出てきた名前に、キンは動揺し思わずニコルソンを見た。彼は素知らぬ様子であったが、視線を赤いジャケットの部下三名へと向けた。彼らは主人の意図を汲み取り、すぐに立ち上がる。キンについてくるつもりなのだ。
「分かりました。すぐに行きましょう。……師匠、では引き続きお楽しみを。あたしはスケに一言言わないと気が済みませんよ」
キョウタロウは静かに頷いただけで、何も言わなかった。手元の燭台には、ろうそくが六本。キンが乱暴に扉を閉じたことで起こった風が、四本のろうそくを消した。
「あなた方。スケをきっちり始末つけてくれるんでしょうね」
赤いジャケットの男の一人が、静かに頷いた。ジャケットの裏側に仕込んだ長ナイフに手を当てる様を、キンに見せる。こんな男たちが三人もいれば、誰かがしくじっても問題ないはずだ。キンは不安を払しょくするようにそう思い直し、キンがいるというレストランの外へと出る。
「や、どうも。あなたがキンさん?」
暗がりでも分かる、憲兵官吏の証である白いジャケット。夜風にたなびく、紫色のマフラー。癖のついた黒髪をぼりぼりとかきむしり、男は闇から現れた。
「あなたは」
「イヴァン憲兵団憲兵官吏のドモンです。夜分遅くに失礼します。……いや実は、困ったことがありましてねえ。スケさんのことなんですが」
「スケが何か」
キンはわずかに羽織の袖の外へ指を出し、ちょいちょいと指示をした。後ろを向き、腰の後ろで手を組むドモンへ差し向けると、赤いジャケットの男たちが長ナイフをいっせいに抜いた。
「誰かがスケさんに差し向けた死神が、あんたらの命を吹き消しに来たって言ったら、分かりますか?」
三人の男たちが、一斉に長ナイフを振り上げた! ドモンは長剣の柄を逆手で持ち振り向きざまに一人を斬殺! 向かってくる男の腹に刃を押しこみ刺殺! 柄を持ち替えて死体となった男を蹴り倒し、刃を抜き、最後の男に向かって上段から刃を振りぬいてやはり斬殺! 一瞬の内に血の海と化した中を、ドモンは刃を振り血を飛ばしながら歩き、キンへと近づいていく。
「よせ、よしとくれ……ね、願いはなんだ!」
「あんたみたいなのが死ぬことですよ」
いうが早いがドモンは横薙ぎに刃を振るい、キンを切り裂く! たたらを踏んで後ろを向いたところを、今度は刃を深く押し込んだ! 無理矢理刃を引き抜き、キンの身体は地面へと転がる。ドモンは彼の金色の羽織で豪勢に血を拭うと、剣を納め、死体に背を向けた。
「キンもスケも遅いですな、ニコルソンさん」
キョウタロウは穏やかに酒をあおりながら、ニコルソンへと言った。一方ニコルソンは気が気ではない。一緒にやった部下も、戻ってこない。いらいらと葉巻の灰を落としながら、彼らが出て行った扉を見つめるばかりだ。その時である。先ほどのメイドに化けたジョウが飛び込んでくると、叫んだのである!
「大変です! キンさんが、外で亡くなられております!」
「何だって!」
「大変だ! キン兄さんが!」
一門の弟子たちがにわかに立ち上がると、ドタバタと扉を抜けて飛び出していく。その瞬間、突如部屋の窓が一つ開き、勢い良く夜風が吹き込んできた。燭台に宿っていたはずのろうそくが消え、部屋が一気に暗闇へと落ちる。
「なんだ? 何が起こった?」
ニコルソンは葉巻の火でろうそくを点けなおす。一本では手元もおぼつかないと、二本目のろうそくにも火を灯した。キョウタロウは何も言わず、彼がろうそくに頼りない火を灯すのをただ見ていた。
そして彼は見たのだ。赤い六角形が回転しながら、窓から入ってくるのを。鉄骨を折り取り、黒革の手袋にそれを握りしめ、ニコルソンの首筋へと押し込んでゆく姿を。
「死神……」
キョウタロウは呟く。赤錆色の瞳が、ニコルソンから引き抜いた血染めの鉄骨を見つめる。彼はゆっくりと傘を閉じる。わずかに吹き込んだ風が、二つ灯っているろうそくのうち、一つを消した。同時にニコルソンが前へ倒れ、そのまま動かなくなった。
死神は窓から消え、部屋にはキョウタロウのみが残された。彼が見ているのは、暗闇を照らすろうそくの灯りだけ。胸を握りしめるキョウタロウ。吹きすさぶ風に揺られるろうそくの炎。
「……消える」
やがて音を立てて、炎は消えた。
拝啓 闇の中から真打が見えた 終




