拝啓 闇の中から真打が見えた(Aパート)
帝国の存在する大陸においては、はるか昔から語られる伝説がある。この世界とは異なる世界より、世界を救う戦士が現れるというのが、その内容だ。
いまではすっかり数が少なくなった亜人達の中でも、エルフ族の女性のみが使える秘術『英霊召喚の儀』により、多くの英霊達がこの大陸を駆け、そして死んでいった。
十年前に暗殺された神聖皇帝アケガワ・ケイも、戦争終結を願ったあるエルフによって召喚されたと言う。この英霊召喚の儀は、一度限りであることと、術者へのリスクが未知数であることを除けば、そう難しい儀式ではない。事実、歴史の中では誰が召喚した人物かわからぬような者が多数存在した。
彼らは皆『英霊』と呼ばれ、身体のどこかに青く淡く発光する『召喚印』があらわれる。場所によって、人知を超えた能力を持つものもいたが、大抵が手や足に宿り、人より優れた手先の器用さや脚力を持つにとどまった。
英霊たちは、周期的に『ニホン』と呼ばれる国から呼び出された。これは全くの偶然であったが、文字通り英雄視されることが多かった英霊たちがもたらす異文化は、大陸の人々の文化に大きな影響を与えることとなった。
そうした文化の中でも浸透が早かったのが、『ラクゴ』という話芸であった。面白い話、恐ろしい話、艶っぽい話──文字通り身一つで、場所も座る場所があればよいというこの『ラクゴ』は、長く戦争が続いた時代においても国の垣根なく愛された。
そんなラクゴは、わずか三十年前、たったひとりの男によって浸透した。男の名前はキョウタロウ。英霊として呼び出されて長い彼は、路上で喧嘩に巻き込まれ昏倒、気絶した瞬間、この大陸に呼び出された。
若き噺家であった彼は、実力こそあったが、英霊として大陸に呼び出されたことで悩んでいた。彼が学んで習得してきた『古典』は文字通り『ニホン』の文化・風俗に根ざしたものであり、こと大陸の人々には馴染みのない文化も多く、ラクゴのストーリーがそもそも伝わらないこともざらにあったのだ。悩んだ彼が選んだのは、この世界の文化にあった形で話を作り直し、新たな『ラクゴ』を完成させることであった。『新作ラクゴ』は評判を呼び、彼は生ける伝説の噺家として、帝国が成立した後も、その名声をほしいままにしたのだった。
楽しげな下げ囃子の太鼓が鳴る。客の万雷の拍手を背に、着物の袖を揺らしながら、背中を丸めた白髪の男がゆっくりと舞台袖へと戻ってくる。
「師匠、お疲れ様でした」
弟子の一人が差し出すおしぼりを受け取り、キョウタロウはごしごしと顔を拭った。
「はいよ。今日お客さんノリ良かったね」
「ハイ」
キョウタロウは既に五十を超えている。自分が若い時は考えもしなかったことであるが、現在は弟子を二人とっている。卒業して、今や立派な噺家になっているのも少なくない。帝都イヴァンでは、そうした芸を見せる劇場がいくつかあり、弟子やキョウタロウも含め頻繁に公演を行っている。
思えば遠くへ来たものだ。
キョウタロウはしみじみと考える。この世界において、ラクゴは本来存在しないものだった。それが今や、自分が開拓した始祖のように扱われている。それが気恥ずかしくもあったし、彼が尊敬する偉人達──ラクゴにおいての師匠たちだ──に申し訳ない気持ちもあるのだった。
「スケ。シンと一緒に、部屋にちょっと来なさい。大事な話があるんですよ」
スケは若い。師匠と同じ、灰色の着物を身につけた、黒髪の穏やかな青年である。黒髪にも関わらず、澄んだ空のような青い瞳が印象的だ。
スケに呼ばれ、シンも部屋にやってきた。彼はスケとは対照的だ。金髪に赤い目、いかにも派手な彼だが、ことラクゴに関して言えば真面目な男だ。
「二人とも揃ったね。いや何ってわけじゃないんだが、お前たち、弟子になって何年になった」
テーブルを挟んで椅子に座った二人の弟子は顔を見合わせ、スケがまとめるように口を開いた。
「自分たちは同じ時期に師匠に弟子入りしましたので、もう四年になります」
キョウタロウは嬉しそうにゆっくりと頷くと、二人を見回してから口を開いた。
「そうかいそうかい。噺家ってのは、師匠の芸を盗んでナンボだ。四年間あたしのところで、お前たちにはいろいろな芸を見せたつもりです。お前たちも、暇を見ては噺の練習をしているんでしょう。……つまり、お前たちもそろそろ高座に一度上がってもらおうと思っているんですよ」
キョウタロウの言葉に、スケとシンは思わず礼の言葉を述べ頭を下げた。下積み時代は長く辛い。くじけそうになったのも一度や二度ではない。それもすべて、噺家としてラクゴを演ずるという夢のためだ。その第一歩が、師匠から許された。相反するような見た目の二人であったが、その気持は同じであった。
「……ただし、あたしも師匠として、弟子の成長をきちんと見極めなきゃならない。半端な噺をやって、お客さんにがっかりされるってのは見るに耐えない。お前たちに、一週間時間をやろう。自分の中で一番自信のある噺を、あたしの前で披露しなさい。あたしが上手だと思った方を、高座に上げることにします」
スケは思わず身を固くし、静かに師匠に尋ねた。
「師匠。では、今回はどちらか一方しか高座に上がれないということですか」
「そうです。芸の世界は生き馬の目を抜く厳しい世界。そういう世界に、お前たちも慣れて欲しいと思ってね。あたしも心を鬼にしてやるんです。しっかり励みなさいよ」
師匠の話が終わった後、スケとシンは、自分たちの持つ少ない金を持ち出すと、安酒を煽りに出かけた。普段は、既にキョウタロウの元を卒業した兄弟子にくっついて、酒や食い物をおごってもらうのが彼ら二人のやり方であったが、今日だけは違った。
二人は経緯こそ違えど、ラクゴの世界に魅せられ、キョウタロウに弟子入りしたということだけは間違いない。いつかは自分もと、厳しい下積み修行に耐えて四年。ようやく掴んだチャンスを生かすことができるのは、二人のうち一人だけ。今日だけは、飲みたかった。これが友情の終わりになるかもしれない。スケはそんなことを考えながら、薄い水のような酒を煽る。
「なあ、シン。キン兄さんのこと、覚えてるだろう」
「ああ。たしか兄さんは師匠に同じように言われて高座に上がって、後は師匠の前座として何度も噺を演れるようになったんだ。出世街道ってやつだ」
シンは薄い酒を一気に煽ると、立ち上がった。スケは訝しげに彼を見ていたが、金を置いて出ていこうとする彼を呼び止める。
「なんだよ、もう少し飲んでいかないのか」
シンは金髪をかきあげ、赤い目を細めながらにやりと笑う。スケは、付き合いが長いはずの彼の考えが、いまいちよくわからない。ラクゴが好きだということは分かるのだが、根本的に真面目なスケと違って、シンは考えるより先に身体が動くようなタイプなのだ。見た目と同じで、全くの真逆の性格なのだった。
「ああ。……おれたちは、良いライバルだ、スケ。はっきり言って、俺は師匠みたいに噺を演りてえ。昔聞いた『死神』って噺がどうにも頭にこびりついて、弟子入り決めて四年も頑張ってきたんだ。だから、手加減はしない」
そう言い残すと、シンはスケを残し、店を去っていった。残されたスケは、残った安酒を一気に飲み干す。彼の考えていることも、ほとんど彼と同じだった。違ったのは、一つだけ。
「僕にはもう、時間が無いんだ……」
スケが呟いた言葉を聞くものは、誰も居なかった。




