護ることと戦うこと 3
コンコンコンコン。
ナギリの家で、仲間が出入りするときのノックの数は四回と決められていた。それを聞いた仲間が中から外を確認し、仲間を中に招き入れるのだ。
そして、ノックの音を聞いた中の一人が、扉をそっと開けた。三十代後半くらいのくたびれたような顔つきの男の獣人である。
「チェドか。一人のようだな」
目の前にいた小柄な男を見て、その男がそう言ったそのときだった。
ガッと扉の隙間に足を挟んで、扉を強引に大きく開いた人物がいた。
「ナギリの家だな。悪いが入らせてもらうぞ」
オドネルが鋭い目を光らせながら言った。後方から他の騎士団員たちもわらわらと駆けつけ、慌てる男を無視して中へと入り込んでいった。
中には、扉を開けた獣人の男の他に、二人の女獣人がいた。いずれも中年の、サトと同年代くらいの女たちである。強引に押し入ってきた人間たちに、彼女たちは面食らったように怯えていた。そんな彼女らに向かって、エレノアはこう声をかけた。
「ご婦人方。騒々しくして申し訳ない。だが、こうでもしないとナギリという男と会えそうになかったからな。悪いが大目に見てやって欲しい」
エレノアが微笑みかけると、女たちは一瞬きょとんとしたかと思うと、ぽうっとその姿に見惚れたような顔つきになった。
「お、おいおいおい! なんなんだ、あんたたちっ! 勝手に他人の家に上がり込んでくるなんて、非常識にも程があるぞっ」
唾を飛ばしながら、先程の男がエレノアたちに抗議した。目の端を赤くして完全に怒り心頭の様子である。そんな男に、リバゴが言った。
「先に何度もこちらに足を運んだものの、ノックをしても声をかけても中からはなにも応答がなかった。しかし、物音や気配から中に誰かがいることはわかっていた。居留守を決め込んで閉じこもられていては、話をすることもできない。こちらには、強引にでも聞いてもらわなければならん話があるんだ」
体格も声も大きいリバゴの迫力に、その男はすぐに闘志が萎えてしまったように、怯えた顔をした。そして、きょろきょろと挙動不審に周囲に視線をさまよわせている。
「ナギリという男は、どうやら今ここにはいないようだな。だが、そのうち帰ってくるだろう。悪いが待たせてもらうぞ」
エレノアは、近くにあった椅子をひいてそこに腰掛けた。流れる髪の毛を片手で後ろに払い、腕組みをして窓の外に視線を向ける。そんな優美な振る舞いに、獣人の女たちが奥で嬌声をあげていた。
もはや、この家の主は彼女にとって変わってしまったようである。
しばらく奇妙な空気が家の中に漂っていた。
そして時が過ぎ、騎士たちが手持ちぶさたになってきたころ、コンコンコンコン、と扉を叩く音が聞こえてきた。くたびれた顔つきの男――ケーンというらしい――は、疲れた風情で外を確認すると、扉をゆっくりと開けた。
「ケーン。留守中、なにか変わったことは……」
言いかけて、その男は言葉を止めた。屋内に視線を走らせ、そこにひしめいている人間たちの姿を認めると、たちまちその顔に渋いものが浮かんでいった。
「……あったようだな。それも、かなりよくないことが」
声色が低くなり、男の周囲に不穏な空気が漂い始めた。それに気づいたケーン、そして部屋の隅で小柄な体をさらに小さくしていたチェドが、なにかを察したように頭を下に俯けていた。
「す、すみません。ナギリさん……止める間もなく押し入られてしまいまして……」
そんな言葉を口にするケーンを押しのけるようにして、ナギリと呼ばれた男は部屋の奥へと進んでいった。
短い灰色の髪に、浅黒い肌。切れ長の少し細い目には、深緑色の瞳が光っている。そして、ユイハと同じように、その顔には幾何学的な模様の入れ墨が彫られていた。違うところは、ユイハとは反対となる右の頬にそれがあるというところである。
そしてそんな彼の歩き方に、エレノアは少しだけ違和感を感じていた。
「貴様たち……勝手に人の家に押し入るとは、どういう了見だ。ここは貴様らのような愚かな人間どもが来ていい場所ではない。さっさと飛竜の谷から立ち去るがいい!」
その声は部屋中に響いた。びりびりとした空気が辺りに満ちる。しかしエレノアはそんなナギリの怒声を、平然と椅子に座ったまま聞いていた。それどころか、さもおかしそうに、次の瞬間その場で笑い始めた。
「な、なにがおかしい! そこをどけ! 人間の女!」
ナギリの叫びに、つと顔をあげたエレノアは、ゆっくりと椅子から立ちあがった。そして、睨め付けるように彼の顔を正面から見据えた。
「愚かなのは貴様のほうだ。ナギリとやら。想像通りの固い頭の持ち主のようで、思わず笑いが込み上げてしまったよ」
エレノアは、妖艶にも見える笑みをその口に刻み、不敵な表情でナギリを見つめていた。
エレノアの物言いに、ナギリはさらに顔を紅潮させ、怒りを露わにした。そんな様子を、他の騎士たちはハラハラと見つめている。もっとも、オドネルだけは横を向いて笑いを噛み締めているようであった。
ナギリはぎりりと歯を噛み締め、エレノアを睨みつけていた。しかし、その口を開こうとはせず、沈黙を護ったままである。
「……まあ、そう熱くなるな。私たちはなにもあなたたちと争いに来たわけじゃないんだ。ただ話をしに来た。まずは席につこうじゃないか」
エレノアはふいに表情を和らげると、ナギリに近くの椅子を勧めようとした。しかし、ナギリは一向に座ろうとはしなかった。仕方なく、エレノアは立ったまま話をすることにした。
「あなたは随分と人間嫌いの様子だが、それはなにか理由でもあるのか? この飛竜の谷は山の奥深く、隠されるように存在している。人間がここに立ち入ることはほとんどなかったはずだ。接点がなければ争うようなことも起こらない。それともなにかが昔にあったのか? あなたたちが人間を嫌うようになったきっかけが」
ふいに、ナギリが目を伏せた。そして再び彼が目蓋を開けたとき、そこに悲しみの色が宿ったように見えた。
「……おれの妻だった女は、人間のせいで死んだ」
胸に重いなにかがのしかかったようだった。エレノアはかすかに眉をひそめ、ナギリの次の言葉を待った。
「あいつら人間に……おれのカチュアは……っ」
深い憎しみに満ちた声が、部屋に響き渡った。




