闇の世界の住人 3
「ユヒト!」
エディールが叫んだが、ユヒトは自分の構えた剣を動かすことができず、がたがたと震えていることしかできなかった。
(恐ろしい! 恐ろしい! 恐ろしい! 僕にはとても無理だ……!)
ユヒトがぎゅっと目を閉じた、その瞬間だった。
ふいに、耳の奥にその声は聞こえてきた。
ユヒトはそれを聞いた途端、金縛りにあったように動かなかった体がなめらかに動かせるようになり、自然に剣を動かすことができた。
ユヒトが目を開くと、ゴヌードが眼前で牙を剥いていた。ユヒトはそれを見ながら魔物の喉元に向けて、力一杯剣を突きあげた。気味の悪い感触が、ユヒトの手に伝わってくる。
ゴヌードはしばらくそのまま静止していたが、とうとう力尽きたようで、どさりとユヒトに倒れかかってきた。
ユヒトはたまらずゴヌードの体の下から抜け出し、その場に倒れ込んだ。そして、はあはあと荒く息をついていた。
「ユヒト! 大丈夫か?」
エディールがすぐさまユヒトのところに駆けつけた。
「は……はい……」
ユヒトはそう返事をしたが、鼓動は激しく脈打ち、なかなか静まることはなかった。
「しかし、よくやった。ゴヌードにとどめを刺したのは、ユヒト。お前の剣だ。自分を誇りに思うといい」
ユヒトはうなずきながら、ふと横を見た。すると、そこに倒れていたはずのゴヌードから、煙のようなものがのぼり始めたのが見て取れた。
「な……なにが……?」
「ダムドルンドの世界のものは、死んだときにこうして煙になって消滅していくんだ。もともとシルフィアの世界の理からは、はずれたところに存在している魔物。彼らがシルフィアの土に還ることはないんだ」
エディールが話しているうちに、ゴヌードの体には輪郭がなくなり、黒い煙と化していった。その煙も、そのうちにあとかたもなく消えてしまった。そして不思議なことに、ユヒトが浴びたはずの黒い返り血も、それと同時に消えてしまっていた。
ユヒトはゴヌードの体が目の前から消えたことで、とてつもなく安堵した。しかし、まだいまだに自分がゴヌードにとどめを刺したという実感が沸かず、ただ激しい恐怖感が体全体を支配していた。
しかし、先程耳の奥に聞こえてきた声はなんだったのだろう。
とてもかすかな声だったけれど、その声は、ユヒトにこう語りかけてきたのだった。
――きみならできる。
その声は、とても優しく、なにかとても懐かしい感じがした。
風の竜が、柔らかな風を作り出しているときの声のように感じたのだった。
「さて、ギムレが戻ってこないが、様子を見てこなければならないな」
エディールは、ギムレが吹き飛ばされた辺りへと足を向けた。しばらくすると、体中に木の枝や葉をつけたギムレが、エディールとともに戻ってきた。幸いギムレも、さほど痛手を負った様子はないようである。
「この俺があれしきのことでやられるわけがない」
ギムレが強がってみせると、エディールが冷めた声で言った。
「先程気を失っていたのはどこの誰だ。わたしが来なければ、そのまま森の獣に襲われていたかもしれないというのに」
「なにを言う! ゴヌードに致命傷を負わせたのは、この俺だぞ。そしてその攻撃にも俺は耐えたんだ! それはこの俺の頑健な肉体があればこそのことだ」
「また、いつもの筋肉自慢か。やれやれ、それはもう聞き飽きたよ」
「エディール! 貴様というやつは!」
再び二人が口喧嘩を始めたのを、ユヒトは呆れてしばらく見ているしかなかった。しかし、こうして喧嘩ができるということは、二人とも元気があるということだ。ユヒトは珍しくこの二人の喧嘩に、仲裁に入ることはしなかった。