迷いの森 3
それから一行は、森からの攻撃を受けることなく、順調に先へと進んでいた。
時折、森で誰かの持ち物らしき破れた衣服の欠片やなにかの袋が見つかった。ユヒトは、そんな帰らぬ人となった誰かの冥福を祈りつつ、先を急いだ。
しばらく進み、とある場所でユヒトらがしばしの休憩を取っていると、ユヒトはなにかの声が聞こえてくるのに気づいた。
それに気づいた瞬間、ユヒトはぞくりと背筋を凍らせた。
「ユヒト?」
顔をのぞきこんでくるルーフェンに、ユヒトは声をひそめながら言った。
「ルーフェン。なにか、聞こえないか?」
「なにか?」
「うん。微かだけれど、なにか耳障りな声というか……」
「それって、まさか……」
ルーフェンは眉間に皺を寄せ、ユヒトと同じように周囲をきょろきょろし始めた。そんな様子に、他の二人も怪訝そうに声をかけてきた。
「なんだ? どうした?」
「まさかなにかいるのか?」
「わかりません。でも、今ふと不気味な気配のようなものを感じて……」
ユヒトがそう話した直後だった。
『ニンゲン……』
暗い声が、ユヒトの頭に響いた。
そして、ユヒトたちから少し離れた前方に、それは姿を現していた。
『ニンゲン、コロス……!』
地から這い出てくるようにして、醜悪な姿をこちらに見せたその魔物は、ゆらりとこちらに近づいてきていた。
「ゴヌード!」
ギムレが叫んだ。
その直後からだった。地面に次々と黒い影が生まれ、そこから何体もの魔物が這い出てきたのだった。
「魔物だ! どんどん湧いてきているぞ!」
エディールが言いながら、弓を構え始めた。
「ちぇっ! こんなところにまで!」
ルーフェンがぴょんと飛び上がりざま、その姿を獣のものに変えた。そして魔物たちの方向へと一直線に走っていったかと思うと、体から発生させた風で、魔物たちを切り裂いていった。ルーフェンは風を刃に変えることもできるらしい。
ユヒトも腰に差した自分の剣に手を伸ばし、それをすらりと抜いた。そして目の前で身構えると、「はあっ!」と気勢を発して魔物たちの方向へと駆けていった。
ザシュッ!
向かってきたゴヌードを袈裟懸けに斬って倒す。その間にも、横からヘルグールが飛びかかってこようとしているのが見え、すぐさまそちらに剣をなぎ払った。
ギムレは手斧を振り回し、ガルゴンという石や土で体を覆われた、ギムレよりもひとまわりも大きな魔物を相手にしていた。
エディールは木の上に登り、そこから地上の魔物を弓矢で狙う作戦に出たようだった。
ユヒトたちの戦いぶりは、見事だった。全員がこの旅の間で確実に戦いの腕をあげていた。ユヒトも旅の始めのころから考えると、その差は歴然としていた。以前は剣を構えることすらおぼつかなかったのが、今では自ら敵陣に乗り込むまでに成長していた。
しかし彼らが魔物を倒すのと同時に、新たな魔物たちが次々と地の底から湧いて出てきていた。
「くっ! これじゃ、きりがないよ!」
ユヒトが敵をなぎ払いながら、そう言った。
「こいつら、どんだけ際限ないんだよ!」
さすがのルーフェンも悲鳴をあげている。
いくら全員がそれぞれいい戦いぶりを見せているとはいっても、さすがに絶えることなく次々に魔物が生まれてくるこの状況は芳しくなかった。どうにかこの状況を打開しなければ、厳しいことになることは目に見えていた。
斬る。斬る。斬る!
次第にユヒトの息は、荒いものへと変わっていった。全身を汗が伝わり、体中が熱を帯びていた。
そして、それと同時に集中力もだんだん切れつつあった。
しかし、魔物たちはそんなことになど構うことなく、地の底からわんさか湧き続けてくる。
そんな折り、目の前の敵を斬り伏せたと思ったと同時に、横から声が聞こえてきた。
「ユヒト! 危ない!」
ユヒトが「あっ!」と叫ぶと同時に、どさりとヘルグールが地面に叩き付けられていた。そしてその先に、ギムレが手斧を両手に持って立っているのが見えた。
「ギムレさん。ありがとうございます」
「おいおい。まだ礼を言うには早いぞ。とにかくここを早いとこ抜けていかなきゃならん!」
ギムレの言うとおりだった。まずここを突破して、先に進まなければならない。
「ユヒト!」
白い獣の姿のルーフェンが、さっとユヒトの肩の上によじ登ってきた。
「このままじゃきりがない! 全部を相手にしていたら、そのうちこっちの体力が尽きてやられてしまうのは目に見えている。きみとオレの力を合わせて、ここを突っ切っていくしかない!」
ルーフェンの言葉に、ユヒトは深く同意した。
「どうやらそうするしかなさそうだね」
そうして、ユヒトはルーフェンと力を合わせ、風の力でこの戦いの場から抜け出したのだった。
風の護りのお陰で、とにかく危機を脱することのできた一行は、まだ深い森の中にいた。辺りは魔物の気配もなく静まってはいたが、油断はできない。先程の状況も突如現れたのだ。またいつ同じ状況になるかもわからなかった。
「世界のひずみが大きくなってきている。女王のお膝元だというのに、この森はダムドルンドの世界と近くなっている箇所があちこちにあるようだ。とにかく、この森から早く出なければいけない」
ルーフェンがユヒトの肩の上でそう言った。今は獣の姿で、美しい毛並みをユヒトの肩から垂らしている。
「そうだな。何度もあんな戦いを強いられちゃかなわん。この森は今は聖なる樹海というより魔の巣窟だ。導きの石がなきゃ、確実に死ねる」
ギムレがそう言ったのを聞き、エディールがユヒトに訊ねた。
「そういえば、導きの石の様子はどうなっている? ユヒト」
「あ、はい。今見てみますね」
ユヒトはそう言って、懐にしまっていた導きの石を取り出し、手のひらの上で広げてみせた。
するとその瞬間に、導きの石は淡い緑色の光を放ち始め、その光はすぐにまっすぐある一点を差して伸びていった。その指し示す光には、迷いというものが一切ない。それを見て、ユヒトは不安でいっぱいだった胸の中に、温かなものが広がっていくのを感じていた。
「これをたどっていけば、きっと大丈夫です。もう少し頑張って歩きましょう」
ユヒトの言葉に、全員がうなずいていた。
やがて、森が切れ、空がのぞける場所までやってきた一行は、たちまち歓声をあげていた。
「うわあ」
「ほう」
「これは雄大だな」
彼らの視線の先には、セヴォール山の山肌があった。それはもはや山と言うより壁と言ったほうがいいほどに、彼らの視界を覆い尽くしていた。あまりに大きく巨大すぎるその山は、その全容を人が目にすることはできない。
ただ、神のおわす山として、他に比することのできない荘厳さをその山は持っていた。
「このぶんだと森を抜けられるのも近いな。陽もだいぶ傾いてきている。先を急ぐぞ」
ルーフェンが言ったのを聞いて、一行はまた歩みを進めていった。
そうして、導きの石の光をたどって歩くことしばらく、一行はようやく森から脱した。そのころには辺りは夕焼けに染まり、セヴォール山の山肌も朱く色づいていた。
「やった。とうとう森を抜けることができたんだ……」
「さすがになかなかの強行軍だったな」
「しかしまあ、この美しさに出会えたことで、今日の苦労も無駄ではなかったと思えるよ」
疲れ切っていた一行だったが、エディールの言うとおり、夕焼け色に染まったセヴォール山の姿は、とても美しいものだった。
それを見て、ユヒトの胸に、ふいに熱いものが込み上げた。
ここまで到達するまでのたくさんの苦労が、彼の中で蘇っては消えていった。それとともに、多くの人々の願いも思い出されていた。
目の前にそびえるのは、朱く染まった神の山――セヴォール山。その頂に、女王が住むセレイアがある。
長い長い旅の果てが、もう、すぐそこまで迫っていた。