闇の襲撃 7
鎌を持った死神は、燃えさかる町を、上空から傲然と眺めていた。
『もっとだ。もっと恐怖しろ。人間ども! 絶望を、痛みを味わうがいい!』
仮面の奥に光る赤い瞳は、破壊への愉悦に満ちているようだった。
ユヒトとルーフェンは、静かに広場の中央にある破壊された女王の像のところまで進んでいった。それに気づいたらしいジグルドは、ぎろりと視線をそちらに向けた。
「ユヒト!」
「危険だ! 逃げろ!」
物陰に隠れていたらしいギムレとエディールが叫んでいた。
しかし、ユヒトがそれに応じることはなかった。
女王の像のあった台座を背にし、彼とその肩に乗っているルーフェンは、上空に浮かぶ死神と向き合っていた。ルーフェンの背中からは、今は白く大きな翼が広がっている。
『死に損ないの風の竜の分身か……。面白い』
ジグルドはそう言うと、持っていた鎌を振り上げ、ユヒトたちに向けて一閃した。
その瞬間、ユヒトは立っていたその場所から遙か上空へと飛び上がっていた。
元いた場所からは、大きな破壊音が聞こえてくる。
空中に体を預けたユヒトは、不思議な感覚を覚えていた。ルーフェンの風の力が、ユヒトに流れ込んでいるのがわかった。ユヒトはその風の力を体全体で感じていた。
ユヒトの周りからは、風が生まれていた。その風がユヒトの体から重さを消し、空中を自在に移動することを可能にしていた。
そのことを理解したユヒトは、腰から剣を抜いた。
目の前にいる魔物が、面白いものを見たかのように目を細めていた。
『それが風の竜の力か。しかもそれを人間の子供が操っているとはなんと面妖な。……だが、面白い。少しは楽しめそうではないか』
ジグルドはそう言うと、鎌を持つ手を持ち替え、空いた右手でなにやら黒い球のようなものを作り出していた。
「ユヒト! 気をつけろ。あれを食らうと大変なことになる!」
ルーフェンが叫んだ。
ユヒトはうなずき、構えた剣の向こうにいる相手の出方を慎重にうかがった。
ジグルドの右手に生まれた黒い球は、手のひらの大きさくらいまで膨れあがっていた。その禍々しさは、離れていてもいやおうなく伝わってくる。
ジグルドが振りかぶった。と思った一瞬後、ユヒトの正面にその黒い球が迫っていた。
すぐに避け、ユヒトは空中を移動したが、その一瞬味わったどす黒い障気はユヒトの心臓を恐怖の色に染めていた。
ドウンッと、後方で衝撃音が響き渡った。神殿の壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
あんなものを食らったら、間違いなくただでは済まない。きっと死んでしまうだろう。
ユヒトの額から、ひやりとしたものが流れ落ちていった。
「ルーフェン」
ユヒトは相棒に呼びかけた。
「なんだ?」
「僕、なんだか今不思議な気持ちなんだ」
「え?」
ユヒトは、自分でもよくわからない気持ちが胸に沸き起こってくるのを感じていた。それをどう形容していいものかわからず、思わずルーフェンに話しかけていた。
「僕は今、すごく怖い。今あの魔物が目の前にいるかと思うだけで震えがくる」
しかし、ユヒトが今感じているものはそれだけではなかった。
「だけど、それと同時に、なにか胸に熱いものを感じている。なんでだか、僕は、今すごく興奮している」
ルーフェンはそれを聞いて、驚いたような表情を浮かべていた。そして、くすりと笑った。
「なんだ、ユヒト。なかなかすごい度胸じゃないか。それはきっと好敵手が現れて、腕が鳴っているという心境に違いない。あんな化け物を前にして、やはりお前はただ者じゃない」
好敵手。
もしかしたらそうなのかもしれない。
ユヒトは手にした剣の柄を、ぎゅっと強く握り締めた。
ジグルドは、仮面の中の瞳を爛々と燃え上がらせていた。
すべてのものを破壊し、焼き付くさんとするその魔物は、なぜか皮肉なことに美しく見える。
『くっくっく』
ジグルドは仮面の中でそんな笑い声を漏らしていた。
『面白い。面白いぞ、お前。我が攻撃を一度ならず二度までもかわすとは、人間のくせに楽しませてくれる』
ジグルドは、背中の翼を空を覆うように大きく広げてみせた。すべてを威圧するような存在感。強大で重厚なものがその体には備わっている。
そのことをひしひしとユヒトは感じながら、それでも彼の正面から逃げようとは思わなかった。
ユヒトは、体の奥底に眠っていた自分の力が目覚めていく感覚を味わっていた。沸々と沸いてくるその力はまるで自分のものとは思えなかったが、その力に身を委ねることは苦痛ではなかった。むしろ快感にすら思えた。
「ルーフェン。あいつの体に触れるには、間近まで接近するしかない。だけど無闇に近づいていけば、あの鎌の餌食になるのは火を見るより明らかだ。どうすればいいと思う?」
ユヒトが問いかけると、ルーフェンはなにかを思い出したように言った。
「ユヒト。もうきみはその解決法を知っている! きみは今日の昼間、すでにそれをしてのけている!」
ユヒトはその言葉に、はっとしてルーフェンの顔を見た。
「そうか。だけど、今回はあんな試合とは比べものにならないくらいに危険だ。うまくできるだろうか」
「大丈夫。今度はオレもそばについている」
ルーフェンの言葉に、ユヒトは強く勇気づけられた。
とにかくジグルドの体に触れることさえできればいいのだ。それは言うほど簡単なことではなかったが、ルーフェンがそばにいてくれればなんとかなる。ユヒトはそう思っていた。
ジグルドは、ゆっくりと持っていた鎌を自分の前で構えた。その正面では、ユヒトが空中で静止して立っている。ユヒトもぐっと剣の柄を握り締めた。
『せいっ!』
ジグルドが己の鎌を振りかぶり、こちらに向かって近づいてきた。
――来る!
ユヒトは次の瞬間、強烈な一撃をその剣に受けた。
ガイイィ――ン!
長い残響が辺りに響き渡る。
重い重いその一撃は、ユヒトの腕を痺れさせた。意識していないと剣を取り落としそうなほどだ。
その後も何度も鎌はユヒトに襲いかかってきた。ユヒトはその度に必死の思いでそれを剣で防いでいた。風の力でその衝撃はかなり通常より抑えられている。けれども、この強烈な攻撃をそう何度も受け止めてはいられない。
(やばい! そろそろ限界だ……!)
ユヒトがそう思ったそのとき、
ガキィンッ! と音が鳴った。
そして、目の前に折れた剣の先と、真っ黒な鎌の刃先が見えていた。
その直後、ユヒトはジグルドの目の前から姿を消した。