闇の襲撃 5
「よくやった! ユヒト!」
「助かったぞ。ユヒト!」
ギムレとエディールにそう褒められ、ユヒトはまんざらでもない気持ちになった。
しかし、喜んでばかりもいられない状況なのは、ユヒトもわかっていた。
町の火はどんどん燃え広がり、辺りを焼き尽くしていた。
そして、ダムドルンドの魔物たちは、先程のバーダイルだけではなかった。そこここで、誰かが戦闘している様子がうかがえる。きっと武術大会に参加していた参加者たちが、町を護ろうと戦っているのだろう。
「行きましょう! 向こうにも、まだ魔物がいます」
ユヒトが言うと、ギムレもエディールも、一も二もなくうなずいた。
「さっきはユヒトにいいところを持っていかれたからな。今度はおれがやっつける」
「わたしも獲物を射るのに満足できていないままだ!」
彼らはそうして、さらに奥へと進んでいった。
『町を燃やせ! 人間どもを殺してしまえ!』
ずしんと沈み込むようなその声に、ユヒトは全身が持って行かれそうになった。ぐらりとふらついたユヒトに、ルーフェンが呼びかける。
「ユヒト!」
ユヒトはかろうじて足を踏ん張り、地面に立った。
「大丈夫か?」
「……うん。ごめん。もう、大丈夫」
ユヒトはそう言ったが、額からはじっとりと汗が滲んでいた。
強い悪意。
これまでに感じたことのないような、酷く残酷な意志の声を、ユヒトは聞いていた。
この先に、その声の主がいる。
ユヒトには、それがもうわかっていた。
きっとその声の主は、とてつもない強敵だ。もしかすると、このまま近づくのは無謀なのかもしれない。
しかし、このまま町を焼かれ、人が犠牲になるのを黙って見過ごすわけにもいかなかった。
「ギムレさん! エディールさん!」
ユヒトは前を走る二人に呼びかけた。
「この先に、とてつもない強敵がいます! 気をつけて!」
ユヒトの言葉に、二人ともしかとうなずく。
その先は、町の中心の広場に続いていた。広場にたどり着くと、その惨状に全員が固唾を飲んだ。
「うっ……!」
「これは……っ」
広場の中心にある女王をかたどった像は壊され、町のシンボルでもある神殿の尖塔も破壊されて倒れていた。
そして、辺りのあちこちで、人が倒れているのが見てとれた。
「大丈夫ですか!」
ユヒトは近くに倒れていた男性に駆け寄って声をかけたが、その人はもう息をしていなかった。胸には鋭い爪のようなものでえぐられた跡があり、そこから赤い血が大量に流れ出していた。
「ううっ!」
ユヒトはそれを間近で見て、思わず胃液がこみ上げてきた。
「死んでる……」
ルーフェンの感情のこもっていない声が、肩の上から響く。
「これは酷いな。ざっくりやられている」
「まだ傷が新しいな。気をつけろ。すぐ近くに、この人を殺したやつがいるぞ……っ」
ギムレとエディールがそう言って、周囲に視線を走らせた。ユヒトもようやく落ち着いて、燃えさかる炎に包まれた広場に目をやった。
そして、すぐにそれは見つかった。
煙で包まれた空の中、異形の存在が浮かんでいた。
その姿は人の形に似ているが、背中からは大きな黒い無機質な翼のようなものが生えており、体は硬質な鎧のようなもので覆われていた。顔も仮面のようなもので覆われていて、表情は見えない。
そしてなにより目を引いたのは、その手に持っている大きな鎌のようなものだ。その鋭い切っ先は、ひと振りであらゆるものをなぎ倒しそうに見えた。
この広場の惨状を見れば、実際にそうしたのは明らかだった。
黒い死神。
そんな呼び名が、ユヒトの脳裏に浮かんだ。
「……なんだ。あいつは……っ」
エディールが訝しげに叫んだ。
「エディールさん、知らないんですか?」
「知らん! あんなやつは、どの文献でも見たことがない!」
エディールが珍しく焦った声を出した。
それは、この今の状況に危機を感じているからに他ならなかった。
ユヒトもその魔物と対峙して、いやおうなく体に緊張が走った。
目の前にいる魔物は、これまで出会った魔物などとは比べものにならないほどの力を持つ存在だ。
そのことは、なにも説明を受けなくてもわかっていた。
障気というのだろうか。
その魔物から発せられる、なにか得体の知れない力が、ひしひしと伝わってきていた。
魔物が、こちらの存在に気づいた。
と同時に、どくん、とユヒトの心臓が大きな音で鳴った。
視線が、ユヒトに注がれる。血のように赤く鋭い瞳。鋭利な刃物のようなその眼力は、見るものすべてを射抜いて殺してしまいそうだった。
『――風の竜……?』
その魔物の声だと、ユヒトはすぐにわかった。
胸に響いてくるその声は、心を芯から冷やし、凍てつかせるようだった。ぞくりと背筋が粟立つ。
『なぜ、人間から風の竜の気配を……?』
そして、すぐにその魔物はユヒトの肩に乗っているルーフェンの存在に気づいた。
『そうか。お前は、あのときの――』
魔物の目が光ったように見えた。と思った次の瞬間、ルーフェンが叫んだ。
「全員、伏せろ!」
その言葉に、即座にみなが伏せた。それと同時に、ユヒトたちの頭上でひゅんと風を切り裂くような音が聞こえ、それからガガガッとなにかが建物を削る音が聞こえた。
「移動しろ! あいつの視界に入らないところに!」
ルーフェンの指示に、ユヒトたちは体を小さくしたまま走った。体中から、警報が聞こえる。
危険危険危険。
あれを相手にしてはいけない。
ユヒトとルーフェンはすぐさま建物の陰に入り、鎌を持った死神から身を隠した。ギムレとエディールは違う場所に身を隠したようだ。
「ルーフェン、ルーフェン! どうしよう! どうしよう!」
がたがたとユヒトは震えだした。身のうちから迫り上がってくる恐怖の感情は、どうしようもなくユヒトを怯えさせた。
恐ろしい恐ろしい恐ろしい!
あんなやつに、かなうわけがない!
「ユヒト!」
一喝するような声が肩から響いた。
「しっかりしろ! さっき、バーダイルを倒したときのことを思い出すんだ!」
「無理だよ! バーダイルとあそこにいるやつとは全然違う! あれは、あいつは違う。あいつは他の魔物とは別物だ!」
「ユヒト!」
ルーフェンの叫び声に、ユヒトは耳を塞いだ。
(無理だ! あいつは、とんでもない代物。僕なんかが相手になるわけがない!)
ユヒトは恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。今まで使命だと思ってここまで旅をしてきたが、ユヒトは本当の意味で自分の置かれた立場を理解していなかったと痛感した。
世界を救う?
風の竜を復活させる?
そんなことを、自分ができるわけがなかったのだ。
ダムドルンドの世界の魔物は、凶悪で強大な力を持っている。
世界の均衡が崩れた今、魔物たちはシルフィアの各地を荒らし、この世界を浸食している。世界を救うのに、そんな魔物たちとの対峙を避けて通ることはできるはずがなかったのだ。
どこかでユヒトは、それを脳裏から遠ざけていた。戦いを忌避し、戦わずにやりすごせるのだと思いこんでいた。
しかし、そんなのは大きな間違いだったということに、ここまで追いつめられて、ようやく理解した。
世界を救うということは、そういうことなのだ。
大きな危険に自ら飛び込み、命を賭して戦うということなのだ。
そんなことを、どうして自分ができるというのだろう。あんな恐ろしい魔物を、どうやって倒せるというのだろう。
ユヒトは己の無力さを、心底思い知った。そして、そんなふがいない自分に腹が立った。
(僕はセレイアに向かう使者だろう。世界を救うために、魔物と立ち向かわなくてはいけないはずだろう。なのに)
ユヒトは、悔しさに涙を滲ませた。
(どうして動けない? どうして、立ちあがることができないんだ……!)
そのときだった。
ふっと、意識が飛び、ユヒトは炎と煙に包まれた町から、まったく違う場所へと引き離されていた。




