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そして世界に竜はめぐる  作者: 美汐
第一章 旅立ち
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旅立ち 1

 その丘にのぼると、いつでも風が吹いていた。高台に位置した丘は、風の通り道と呼ばれる場所で、風の竜の庭のようなものだった。

 ユヒトはそこで、かすかにそよぐ風に身を浸し、目を閉じていた。


 ユヒトは幼いころに、風の竜を見たことがあった。父親とともに風の丘の上で空を見あげていると、その竜が突然姿を現したのだ。

 白銀に輝く鱗に覆われた竜の体は、とても大きくとても美しかった。竜はそのしなやかな美しい体を、風の中でうねらせていた。


 ――あれが風の竜、フェンだ。その姿を目にしたものには、幸運が訪れると言われている。


 父親はそう言って、じっと空を見つめていた。風の竜は踊るように、空の彼方へと飛び去っていった。その竜が通り過ぎたあとには大きな風がついていっていた。父親もユヒトも、竜がおこした強大な風に身をあおられていた。


 その日を境に、ユヒトは風の声が聞こえるようになった。

 それは人の話すような言葉であることもあるし、そうでないこともあった。風の持つ心のようなものがユヒトの胸に響いてきて、そんなものが彼にとっては風の声のように聞こえるのだった。そうした風の声は柔らかな歌声のように聞こえるときもあれば、荒ぶる怒りの声に聞こえることもあった。けれどもそれは大きな意志の流れの中の一端で、その心の中心はすべて風の竜のものと繋がっていた。


 風と、風の竜とは同じものであり、それは世界そのものでもあった。

 ユヒトは目を開け、丘から見える景色を見つめた。眼下に見えるのは、そのほとんどが枯れた草原ばかりで、緑は少なかった。遠くに見える森にも以前は多かった緑の量が数を減らしているようだった。


「また酷くなっている……」


 ユヒトはそこに吹きつける風の力が、圧倒的に以前よりも弱々しくなっていることに、危機を感じていた。

 村の作物の実りも、近頃は数が減ってきてしまっていた。道端に咲く草花の数も少なくなった。風に乗ってやってくる種子や鳥や昆虫が減ってしまったせいであろう。

 また、風が弱くなった。


「風の声が聞こえない……」


 近頃は以前のように、はっきりと風の声を聞くことができなくなっていた。

 どうにかしなければ、世界は滅びを迎えるだろう。もうすでに崩壊の足音はすぐそこまで迫ってきている。ユヒトはそれを肌で感じていた。




          *   *   *




 その日、世界から風が消えた。


 風がやんだというのではない。突然のようにそれは消えたのだった。人為的に作る風とは違い、世界をめぐる風というものは、この世界において神竜の行う神の恵みだった。つまり風が消えたということは、神竜が活動を停止したということだった。


 神竜のめぐる世界――シルフィアに住む人々は、風が消えたことで大混乱に陥った。穀物を粉にするのに絶えず動いていた風車は止まり、風に乗ってやってくるはずの種子や鳥たちは飛ばなくなった。海は波立たなくなり、潮流は変調をきたしていた。

 このまま風が消えたままであれば、世界は崩壊していくだろう。神竜の加護を失うということは、そういうことだった。




 シルフィアに存在するトトという村では、その夜、宴が開かれていた。村の広場で行われることになったその宴は、世界の中心セレイアへと向かう使者たちをねぎらうためのものだった。

 かがり火の焚かれた広場の中で、村人たちは踊りを踊ったり食事を振る舞ったりして、使者が村で過ごす、最後の夜をもてなしていた。


 ユヒトはその使者のうちの一人だった。栗色の髪に、深い紺碧の瞳をした細身の少年である。トトでは、三人の男たちがセレイアへの使者として派遣されることが決まっていた。

 今年十四になるユヒトはその中でも一番若かった。しかしユヒトが使者になったことに、村のほとんどの人たちは当然のように考えていた。他の村でも同じように、村を代表する者たちが次々と使者としてセレイアへと旅立っていた。トト村は他の村より少し出遅れる形となっていたが、明日トト村を代表して、ユヒトたちが旅立つ予定となっている。

 ユヒトはその宴の中、村長の前に立っていた。


「ユヒト。きみは選ばれた使者の中でも一番若い。とても過酷な旅となろうが、使者としてきっとセレイアへとたどり着いて欲しい。そしてセレイアにいる女王に、世界を救って欲しいと嘆願してもらいたい。このトトや他の村、いや、この世界の行く末は、きみたちに託されているのだ。この使命は重いと思うが、もうそれにすがるより他に方法がないのだ。どうか、頼む。きっとセレイアへ行ってきて欲しい」


 老いた村長に手を握られ、ユヒトは力強くうなずいた。


「はい。必ずセレイアへとたどり着いてみせます。そして、神竜が再び世界をめぐってくれるよう、女王に嘆願してまいります」




 村長の前を離れ、広場に設置された卓の上にある飲み物をユヒトが飲んでいると、そこに誰かが近づいてきた。


「ようユヒト。とうとう明日となったな」


「ギムレさん」


 話しかけてきたのは、使者の中でも一番の年長者であるギムレだった。たくましい肉体を持ち、見かけに違わず村でも一番の力の持ち主である。燃えるような赤毛と黒い瞳を持ち、顔中に立派な顎髭をはやしていた。そんな風貌には貫禄があり、その貫禄通り、彼は狩りの達人でもある。ギムレは村人の誰からも頼りにされる、そんな存在だった。


「ユヒト。風の竜の加護を受けたお前にこの任務がやってきたのは、きっと運命だろう。道中には危険がたくさんあろうが、俺もついている。きっと世界の中心へとたどり着こうじゃないか」


「ギムレさん。あなたがいればこんなに心強いことはないです。僕は村からほとんど出たことがないし、ギムレさんのように武術がすぐれているというわけでもありません。旅の間なにかとご迷惑をおかけすることになるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」


 ユヒトがうやうやしくそう言うと、ギムレは思い切りユヒトの背中を平手で叩いた。


「おいおい! 今からそんな頼りないことを言っていてどうする。それに、そんなに堅苦しい挨拶はやめろ。言葉遣いもため口でかまわんぞ!」


 ユヒトは思わず咳き込んだ。


「そういうわけにはいきませんよ。ギムレさんは年長者ですし」


「ったく、ユヒトは融通がきかんやつだなぁ。けど、武術の稽古は任せておけ。確かにお前さんの武術はまだまだ頼りないところがあるが、素質はあるんだ。道中みっちり鍛えてやるよ」


 ユヒトはそれを聞いて笑みを浮かべた。世界が崩壊の足音を立てているというのに、このギムレの明るさは以前とまるで変わりがない。その精神力の強さは、つらい道中、きっと助けとなるだろう。ユヒトはギムレが同じ使者に選ばれたことに感謝した。


「ユヒト」


 今度はまた違う方向から、誰かが声をかけてきた。


「わたしの弓術も道中指導してあげよう。きみにはギムレの無骨な武術よりも、わたしの繊細な弓術を教えたほうが伸びると思っているんだ」


 そう言って姿を現したのは、もう一人の使者であるエディールだった。美しい銀髪に紫色の瞳を持った青年だ。すらりとした体型と甘い顔、それに加えて優雅な物腰は、村の女の子たちのあこがれの的でもある。先程もたくさんの女の人に囲まれていた。


「エディールさん。よかったんですか? 女の子たち、まだ向こうでじっと見つめていますよ」


「ああ。いいんだよ。もう彼女たちには先程お別れを告げてきたところだ。明日にはわたしはここを去っていくのだからね。あまり長くともにいると、別れがたくなる。今日はもうこのくらいにしておかないと。それに今は、ユヒトくんと親睦を深めたいと思っていたからね」


 エディールは、向こうにいる女の子たちに軽く手を振った。女の子たちはそれを見て、歓声をあげている。


「エディールさんも使者だと聞いて、僕も心強いです。エディールさんの弓術は、芸術的と思えるくらいにすばらしいですものね。僕にはとても、あんな正確な射撃ができるとは思えません」


「まあ、確かにわたしにはかなうまいが、ユヒトもわたしの一番弟子になれば、この村で第二の射手にはなれるだろう。安心したまえ」


「そうですか。それならお願いしま……」


「待て待て待て!」


 ユヒトの言葉を遮るように、ギムレが鼻息も荒くエディールに食ってかかった。


「先程から黙って聞いていれば、なにを勝手なことを! いいか。エディール! ユヒトが俺の一番弟子になるというのはもう決まっているんだ。お前さんの軟弱な弓術なんぞ必要ない!」


 猛獣のようにいかつく吠えるギムレを前に、エディールは怯むことなく言い返した。


「これはこれはギムレ殿。相変わらず野蛮な人だ。しかし、わたしの弓術を軟弱だとは聞き捨てならないな。それを言うなら、あなたの武術はまるで優雅さがなく下品だ。あなたの武術こそユヒトにはふさわしくない!」


「なにおう!」


「なんです!」


 二人の間に火花が散り、ユヒトは慌てて仲裁に入った。


「待ってください! 二人とも喧嘩はやめてください! これからこの三人で、セレイアまで協力して旅していかなければいけないんですから、仲良くしましょう」


 ユヒトの仲裁でどうにかその場は丸くおさまったが、ギムレとエディールの二人はお互いにそっぽを向いたまま、不機嫌な顔をしていた。二人ともすばらしい才覚の持ち主でユヒトは尊敬していたが、どうにもそりが合わないのか、この二人は顔を合わせるたびに喧嘩をしている。使者としての彼らの存在はとても心強いのだが、この二人の仲の悪さのことを考えると、少々不安が募った。

 しかし、彼らも世界を憂う気持ちは同じはずだ。きっと明日からの旅では協力していってくれるだろう。ユヒトはそう思うことにした。


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