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そして世界に竜はめぐる  作者: 美汐
第四章 洞窟の夢
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洞窟の夢 4

 ギムレの言葉に従って食堂のほうへと向かうと、エディールがひとつのテーブルについて、そこで宿屋の娘となにやら談笑していた。その足元ではルーフェンが皿に入ったミルクを飲んでいる。


「おい。エディール。また性懲りもなく若い娘を口説いているのか。いい加減にしろ」


 ギムレがそう後ろから声をかけると、エディールは思い切り眉をしかめたまま振り向いた。


「性懲りもなくとは失敬な。これは美しい女性に対する礼儀だ。それに温かい食事を用意してくれた彼女にお礼を言うことは当然のことではないかな?」


「それは礼儀として当然のことだが、お前のそれは少々行き過ぎだ。いいか。この旅は神聖なものなんだぞ。仮にもセレイアへの使者が、お前のように浮ついていてはどうしようもない。もうちっと真面目にだな」


「それとこれとは話が別だ。なにも使者としての自覚をわたしが忘れたわけではない。だが、いちいち女性と少し話をしたくらいで浮ついているなどと言われては、旅がままならんではないか。というかギムレ。女性とまともに話もできない自分のことで、ひがんでいるのじゃないか?」


 エディールの挑発に、ギムレはまんまとひっかかった。顔をみるみる紅潮させ、髭を逆立てている。


「な……っ! ひがんでなど、誰が! お、俺だって女と話くらいっ」


 ギムレとエディールの口喧嘩に恐れを感じたのか、宿の娘はそそくさとすでにその場を去っていた。ルーフェンは悠然とミルクを飲み終え、知らんぷりである。

 この状況に、ユヒトは深いため息をついた。


「ギムレさん! エディールさん! 他にもお客さんがいらっしゃるんですから、ここでの言い争いはもうやめましょう。それに、せっかくの食事が冷めてしまいますよ」


 ユヒトの取りなしに、ギムレとエディールはまだ憤懣やるかたない様子ではあったが、とりあえず席に着いた。ユヒトも残った席に座った。テーブルの上には豪華とはいえないながらも、なかなかのご馳走が並んでいる。少なくとも、旅に出てからこうしてきちんと食卓で食事をするのは初めてのことだ。二人の喧嘩でこの食事を台無しにするわけにはいかない。


「さあ、食べましょう。僕もうお腹ぺこぺこなんですよ。早く食べないと、僕が全部この料理食べちゃいますからね!」


 ユヒトはそう言って、目の前の皿に盛られていたふかした芋にフォークを刺した。そしてそれを口いっぱいに頬張ってもぐもぐと食べた。それを見ていたギムレやエディールも、我慢できなくなったように食事に手を伸ばす。そして、みな久しぶりのおいしい食事に舌鼓を打っていた。


「おいしい!」


「いい味付けだ」


「これは食欲が止まらんな!」


 ギムレやエディールは食事とともに酒も注文し、テーブルは一気に賑やかな宴のようになった。テーブルの下にいるルーフェンも楽しそうに尾っぽを振っている。

 食事を食べて落ち着くと、まだ酒を飲んでいる大人二人を残し、ユヒトは外の空気を吸うために宿屋を出た。丸い月がぽっかりと空に浮かぶ、明るい夜だった。


「ふー。久しぶりにお腹がいっぱいになったな」


 ユヒトはかなりの充実感をお腹に感じながら、ふうと息を吐いた。初夏とはいえ、夜気は少し冷たい。しかし、室内で高揚した体にはちょうどいい冷たさだった。


「ユヒト」


 呼ばれて振り向くと、ユヒトの足元にルーフェンが寄ってきていた。


「ルーフェン。きみも来たんだ」


「うん。賑やかなのは嫌いじゃないが、やっぱり騒々しいのは疲れる」


 ルーフェンは人間式のしゃべり方に慣れたのか、ユヒトに対しても口で話すことが多くなった。やはりユヒトとしても、そちらのほうがどちらかというとやりやすい。


「それにきみのことも少々気になってな」


 ルーフェンのその言葉に、ユヒトはどきりとした。ルーフェンは、ユヒトの心の声がわかるのだ。それはゴヌードとの戦いのときに証明済みである。どこまでルーフェンがユヒトの心の中を知っているのかはわからないが、ルーフェンに隠し事はあまりできないのかもしれない。


「まいったな。ルーフェンにまで心配されるなんて」


「オレに心配されるのが嫌なのか?」


「そういう意味じゃないよ。さっきギムレさんにも大丈夫かって言われちゃってさ」


 小首を傾げてみせるルーフェンに、ユヒトは優しく微笑んだ。


「夢を見たんだよ。洞窟に自分が入っていく夢。そこはとても恐ろしいところなんだけど、僕はどうしてもそこに行かなきゃならないみたいで、どんどん奥に進んでいくんだ。だけどやっぱり怖くってさ。それでも行かなきゃ行かなきゃって僕の心は焦っていた。かなり奥まで行くと、そこで誰かの声が聞こえてきたんだ。僕はどうしてもその人に会わなきゃいけない気持ちになって、さらに気持ちが焦っていった。結局、その声の持ち主が誰かはわからないまま夢から覚めてしまったんだけど」


 しかし、その声はなぜかとても懐かしい声だったように思えた。きっと自分は、その声の持ち主に会うために洞窟へと入っていったのだろう。


「ユヒトには会いたい人がいるのか?」


 話を聞いたルーフェンが言った。ふいに訊かれ、ユヒトは少し戸惑った。会いたい人。それはいるに決まっている。この旅の目的でもある。


「もちろんいるよ。セレイアの女王様。決まっているじゃないか」


 しかしその答えに、ルーフェンは満足していないようだった。


「いいや。それとは違う。もっとユヒトと身近で深く関わりがある、そういう人物だ」


 ルーフェンの言葉に、ユヒトは目を見開いた。

 ユヒトの身近にいる深い関わりのある存在。それは、同じトト村にいる幼馴染みや肉親といった存在だ。そのなかでユヒトがもっとも会いたいと思っている人物。つまり……。


「そうか。あれは、父さんの声だったのか……」


 心のどこかでわかってはいたが、いざそのことをつきつけられると、急激な不安が胸に押し寄せてきた。


「でもあれはただの夢だ。僕が父さんに会いたいと思っていた気持ちが夢となって現れた。そういうことだろう?」


「そうかもしれない。だが、なにか気になる夢だ。もしかすると、夢のお告げというやつかもしれない」


「夢のお告げ? 風の竜が僕にルーフェンを助けにいってくれと頼んできたみたいな?」


「あれは夢というより、風の竜がユヒトに直接見せた幻想だ。さっき話した夢は、そんな種類のものとは違う、もっとユヒトの根源からくるものだろう。けれど、なにかただの夢だと放っておいていい類のものとも思えない。きっと、ユヒトにとって重要な意味を持つものに違いない」


「じゃああの夢は本当のことなのか? 父さんは洞窟の奥深くにいるってこと? もしそうだとしたら、父さんは危険な目に遭っているのかもしれない。それなら僕はやっぱりその洞窟を探さなくちゃ」


 とりみだすようにそう言うユヒトに、ルーフェンは落ち着いて言った。


「落ち着くんだユヒト。もしそれが本当に意味のある夢だったとして、その夢が現実のものとなるのは、いつのことになるのかわからない。そして、場所も知りようがない。だからこのことは、きみの胸に刻んでおくだけでいい。きみが父親に会える日は、きっといつか来る。だからそのときまでは、きみはきみのすべきことをするんだ。そうすれば、おのずと答えは見えてくるだろう。今やれることは、行った先々の町や村の人たちにきみの父親の目撃情報を訊ねてまわるくらいのことだろう。いずれ、おのずと重要な情報はきみの耳に入ってくるさ。焦ることはない」


 ルーフェンの言葉をすぐにはうまく飲み込めなかったが、ユヒトはどうにかそのことを自身に納得させた。


 父に会いたい。その思いは父がいなくなってから一年、ずっと心に思ってきたことだ。どこへ行ってしまったのか。どうして帰ってこないのか。不安と孤独を母と一緒に味わってきた。

 父はもともと放浪癖があり、出稼ぎに出かけてはふらりと村へ帰ってくるというような生活を送っていた。

 けれど、あのときはそういういつもの放浪の旅とは違った。村の外の世界をよく知る父は、世界の異変をいち早く察知する能力があったのだ。

 父は旅に出る前に、母とユヒトに言った。


 ――世界の異変を調査に行ってくる。いつ戻れるかはわからない。


 そう言って父は旅立っていった。それを今回の旅は長くなるのだという意味で、ユヒトは漠然ととらえていたが、もしかするとあれは父なりの別れの挨拶だったのかもしれない。

 結局それから一年もの間、父は村に帰ってくることはなかったのである。

 母は泣き暮らしていた。父は母をとても愛していた。そんな父が、母を裏切ってどこかへ行ってしまったというのは考えられなかった。だとしたら、これは父の身になにかよくないことが起きたのだという考えに至るのは当然のことだった。


 父はもうこの世にはいないのかもしれない。ユヒトは口には出さなかったが、胸の奥にそんな思いを抱いていた。

 けれど、もし夢の内容がルーフェンの言うとおり重要な意味を持つものなのだとしたら、これは父はどこかで生きているという暗示なのかもしれない。もしそうならば、どんな困難がそこに待ち受けていようとも父に会いにいこうと思った。

 生きて再び父に会うことができたなら、ユヒトにとってそれは最高の喜びだ。

 父のたくましく大きな腕に抱かれていた幼いころの記憶は、今でもユヒトの中に鮮明に残っている。優しく強かった父は、ユヒトの憧れであり、目標だった。

 父にもう一度会えるかもしれない。

 そう思うと、ユヒトの心は奮い起った。


「月が綺麗だな」


 ルーフェンが、月のように美しい瞳をきらめかせながらそう言った。

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