宴 4
そのころエディールは、一人王都のはずれにある、とある場所に立っていた。周囲に立ち並ぶのはいくつもの墓標。そこは、この地で亡くなった人々の眠る場所だった。
一つの墓標の前にエディールは立ち、彼はそこに刻まれた名前を見つめている。
――クリスト・サマラス。
それがエディールの父の名前だった。彼は墓標の前に跪くと、腰袋からなにかを取り出し、墓標の前に置いた。
「ようやくここに帰ってきました。本当はもっと早くあなたの傍で眠りに就きたかったけれど、それもかなわなくてごめんなさい。でも遅くなってしまったけれど、また一緒にいさせてください。――亡き母ディミトリアの遺言です」
エディールにとってもこの地を踏むのはかなり久しいものだったが、亡き母にとってもそれは同じだった。すでにこの世にない母の最期の頼みは、亡き夫の眠る地に、自分もつれていって欲しいというものだった。
重い病に伏していた母をエスティーアまで運ぶことは、エディールにとっても酷く困難なものだった。エスティーアは秘境と呼ばれる場所にある。過酷な旅の途中で病が進行し、死が近づいてしまうだろうことは容易に想像ができた。それに、まだ若かったエディールにとって、自身を追いやったエスティーアという地に、母が再び行きたいと思う気持ちが理解できなかった。
息子の頼みで旅にこそ出ることなく、静かに療養生活を続けていた母だったが、治ることのない病は、ついに母の命の炎を消しにかかった。
そんな母の最期の願いは、自分が死したあと、遺髪の一部をエスティーアにある夫の墓の傍に埋めて欲しいというものだった。その願いを受け入れたエディールだったが、いざエスティーアに向かおうとすると、なぜか二の足を踏む自分がいた。
幼い頃に追われるようにして出ていった故郷。亡き父の眠る地。
自分にもエスティーア王家の血が多少なりとも流れているのだということを、どうしてだか認めたくなかった。それは、人間であった母だけが己の家族だと、そこにしか己の起源はないのだと、そう思いたかったからなのかもしれない。自分のなかに流れるエルフの血という逃れられない運命から、目を背けていたかったからかもしれない。
「母さん。遅くなってしまったけれど、あなたの願いどおり、あなたをここに埋めます」
墓の地面を手で掘り、遺髪の入った小箱をそこに埋めた。
髪には想いを伝える力がある。ハザン国に古くから伝わる言い伝えだ。
長く伸びた髪に想いを乗せて、その一房を相手に届けると、送り主と受け取った相手とは、どんなに離れていても、再びめぐり会うことができるのだという。
土を小箱にゆっくりとかけていくと、その乾いた土の上に数滴の染みが浮かんだ。
手袋を使わずに掘ったために、彼の手は土で汚れ、爪の間にも黒い土がびっしりと入り込んでしまっている。しかしそんなことを気にすることなく、彼はその仕事を最後までやり遂げた。
エディールは立ちあがると、遠い空に目を向けた。澄み渡るような青い空は、すべてを許してくれているかのようだった。
彼はゆっくりと深呼吸を繰り返す。
呼吸をするたびに、己の体が生まれ変わっていくかのような、そんな感覚を覚える。
――もう大丈夫だ。わたしはこの地から先に進んでいける。
そこにあったのは、少年のような表情を浮かべた一人の青年の姿だった。




