螺旋の罠 9
再び戦いの場に赴くと、そこではマリクが懸命に巨大毒蜘蛛と格闘していた。
蜘蛛の巣を粗方焼き尽くされたことに怒った蜘蛛は、地面におりてマリクに猛然と襲いかかっている。マリクは炎の魔法でなんとかそれを食い止めてはいるが、蜘蛛は確実にマリクとの距離を詰めてきていた。
「マリク!」
ユヒトは叫び、すぐさま蜘蛛に向かって攻撃を仕掛ける。巨大毒蜘蛛はユヒトの存在に気がつくと、マリクへの進行を止め、ユヒトの方向に頭を向けた。
「マリク! こいつの弱点がわかった! 腹だ! 背中は硬くて攻撃がほとんど効かないが、腹のほうは攻撃が効くらしい! 僕がなんとかこいつの腹の下に潜り込むから、きみはその隙を作ってくれ!」
ユヒトの言葉に、顔を汗と土で汚していたマリクが驚愕の表情を浮かべていた。マリクは「わかった!」と叫ぶと、攻撃の方向を巨大毒蜘蛛の足元のほうへと変えてみせる。
巨大毒蜘蛛は足元の火の玉に、後ずさりを始めた。それを見たマリクは攻撃の手を休めることなく、連続して詠唱呪文を唱え、杖を何度も振りかざした。
ユヒトのほうも集中して相手の足元に攻撃を繰り出しながら、敵の懐に入り込もうと隙をうかがう。
巨大毒蜘蛛は後ずさりを続け、ついに後ろの木にぶちあたり、逃げ場をなくした。そして、それを好機と見たマリクとユヒトは、猛然と攻撃を仕掛けた。
ギリュリュリュリュッ!!
巨大毒蜘蛛が恐ろしい雄叫びをあげながら、前足をあげてこちらに反撃を繰り出す。迫り来る太い前足の爪を見上げたユヒトは、次の刹那、目にも止まらぬ速さで敵の懐に飛び込んだ。
そして、ためらうことなくずしりと剣をその腹に突き刺したのだった。
「ギリュリュリュリューーーーーッッッ!!」
断末魔の叫びが、森じゅうにこだました。急所を貫かれた巨大毒蜘蛛は、巨体を高く持ちあげたままの姿勢で動きを止めた。ユヒトが剣を抜き、素早くその場から離れると、固まったように動かなかった巨大毒蜘蛛は、そのうちゆらゆらと揺れたかと思うと、ついに大きな地響きを立てながら地面に倒れ伏したのだった。
「やった!」
「ついに倒したか!?」
ユヒトとマリクはしばらく敵の様子を少し離れたところで見つめていたが、そのうちに巨大毒蜘蛛の体から黒い煙のようなものが立ちのぼっていくのに気付いた。
「あれは……魔物の灰化の煙か」
「灰化? 魔物が灰になって消えていくこと?」
「ああ。ダムドルンドのものはシルフィアの土には還らない。だが、この魔物は……」
ユヒトはマリクの言わんとしていることと、先程ギムレから聞いた話を合わせて考えてみた。
ダムドルンドの魔物であれば、死によって灰化し、その場で消えてなくなる。けれど、この魔物はもとはシルフィアの生物であったものに、魔物が同化した存在だということらしい。それならば、その存在はシルフィアとダムドルンドのものと、いったいどちらに属する存在になるのだろう。
そんな疑問を胸に、固唾を呑んですでに命をうしなった巨大毒蜘蛛の様子を眺める。巨大毒蜘蛛は黒い靄に包まれたような状態になったかと思うと、やがて体中がぼろぼろと崩れていき、灰となって崩れ去っていった。あとにはなにも残らず、ユヒトが浴びていたはずの巨大毒蜘蛛の血も綺麗に消えていた。
「これって、あの魔物はもう完全にダムドルンドの魔物に存在を乗っ取られてしまっていたということ? もとはシルフィアの生物だったのに?」
ユヒトの問いに、マリクは神妙な面持ちで答える。
「そういうこと……だろうな。それがどういう意味を持つことかまでは、俺にもわからないことだが」
なにやら空恐ろしいような気分になり、ユヒトは知らず己の両腕をぎゅっと抱き締めていた。
その後ユヒトらはギムレと合流し、互いの無事を喜び合った。
「ギムレさんがあの魔物の弱点を教えてくれたお陰で、なんとか勝利することができました。でも、よく知ってましたね。あんな見たこともないような魔物の弱点なんて」
「ああ、あれは実はな」
ギムレは懐から一枚の紙切れを取り出すと、それをユヒトに渡した。
「え? これってもしかして……」
「エディールのやつが危険を察してそいつを木の幹に残しておいたみたいだな。俺たちが同じ場所を通ると予期していたんだろう」
ギムレは逃げる途中で、エディールの使っている矢が木の幹に刺さっていることに気付いた。そしてその矢に打ち付けられるようにして、手紙のようなものがあるのを見つけたのである。それを手にしようとして巨大毒蜘蛛に見つかってしまったのは大きな失態だったが、こうして全員無事に生還を果たしたことはなによりの僥倖だった。
「『蜘蛛の腹を狙え』。なるほど、そういうことだったんですか。さすがエディールさんです。そして、この伝言をちゃんと見落とさずに見つけてくれたギムレさんがいたからこそ、僕たちはあの魔物に勝利することができた。そして、マリク。きみがやってきてくれたことも、今回の勝利に大きく繋がったのだと思う」
ユヒトは後方にいたマリクに振り向くと、笑顔で伝えた。
「ありがとう」
マリクはそれを見て、バツが悪そうに視線を逸らせる。
「別に、お前の意見を全面から認めたわけじゃない。単純に、お前らがこのまま死んでいくのを黙って見ているのは、のちのちの夢見が悪くなりそうに思ったから来てやっただけだ。勘違いするな」
しかし、ユヒトはそれでもにこにこと笑顔をやめない。それに気付いたマリクは、顔をみるみる紅潮させ、憤然と叫んだ。
「ああ、うっとおしい! その顔でこっちを見るな! おい、おっさんもこいつになんとか言えよっ」
「わっはっは! まったくお前も素直じゃねえな。いい機会だ。この純粋が人間の形を取ったような存在のユヒトに、この際少し教育してもらったらいいんじゃねえのか。マリク?」
笑い合うユヒトとギムレを前に、マリクはたまらず自らの頭髪を掻きむしるしかなかったのだった。
第三章終了です。お疲れ様でした。