螺旋の罠 8
ユヒトが振り向くと、そこには先程袂を分かったと思ったはずのマリクが、左手で杖を振り上げ、懸命に詠唱を続けている姿が見えていた。
「マリク! 来てくれたんだね!」
「それはいいから、今は戦いに集中しろ! 巣は俺が魔法で焼き払ってやる。その間にお前はギムレのおっさんを助けるんだ!」
力強い仲間が増えたことで、ユヒトの心はたちまち勇気づけられた。炎の魔法で巣を燃やし続けるマリクに、毒蜘蛛は怒りを露わにして、そちらに向けて毒を吐き出していた。
その隙に、ユヒトはギムレの近くへと飛んでいき、彼の体を繋いでいた糸を勢いよく断ち斬る。たちまち重力によって落ちそうになる彼の体を抱えると、ユヒトは急いでその場から離れた。
毒蜘蛛のいる場所から少し離れた場所にギムレの体を横たえ、その体に巻き付いていた蜘蛛の糸を剣を使ってこそげ落としながら剥がしていった。そして、ユヒトは祈るような思いで呼びかけた。
「ギムレさん!」
先程からぴくりとも動かないギムレの様子に、まさかという恐怖が生まれた。それでも希望を捨てず、彼の肩を揺り動かし、懸命に声をかけ続ける。
「ギムレさんギムレさん! しっかりしてください! お願いです! 目を覚まして!」
ユヒトの目に大粒の涙が浮かび、ぽたりと雫がギムレの頬に落ちた。どうしようもない恐怖と不安で、彼の胸は張り裂けそうになっていた。
二つ、三つと涙はギムレの頬を濡らし続ける。
それは、大切な仲間を失いたくないという、ユヒトの祈り、そのものだった。
遅かったのか。なにもかも。
ユヒトは絶望に顔を伏し、奥歯を強く噛み締めた。
「駄目ですよ……。まだ僕たちは、この先に行かなきゃいけないじゃないですか……」
血を吐くような言葉を漏らし、ギムレの胸にどん、と拳を叩き付ける。
するとそのとき、微動だにしなかったギムレの目蓋が、かすかに震えた。それを見たユヒトは、驚きに目を丸くする。
「ギムレさん!?」
「ん……、あ……? ユヒ、ト……?」
ユヒトの呼びかけに、ようやくギムレは目を覚まし、閉じていた目を開けた。その様子を見て、ユヒトは激しく安堵し、思わずその胸にわっと抱きついた。
「よかった! よかったです! ギムレさん!」
「わっ、なんだなんだぁ? わかったから、ちょっと離れろ。起きあがれん」
ひとしきり、喜びを堪能したユヒトにようやく解放され、ギムレは身を起こした。そして、己の状況を確認し、あれから自分がどうなっていたのかを理解した。
「そうか。あのとき気を失って、そのままあの巨大毒蜘蛛に俺は捕らえられていたんだな。あとで食うつもりだったのかわからんが、あそこで命を取られなかったことは、運がよかったとしか言えんな」
「巨大毒蜘蛛?」
「ああ。あいつは古代生物の生き残りで、このラバトスに生息が噂されていた伝説の昆虫だ。けど、それもただの昆虫ではなく、もっと邪悪な気配を身に纏っているようだ」
「はい。僕も感じました。あれは、他の肉食昆虫よりももっと恐ろしい代物です。たぶん、魔物の一種じゃないかと」
「そうだな。これは予想だが、もともといた巨大毒蜘蛛の体に、ダムドルンドの魔物が乗り移ったか同化したのが、あいつの正体なのだろうと思う。まったく恐ろしいことだが」
それを聞き、自分でも恐ろしく思っていた事象が確信へと変わっていくのがユヒトにはわかった。
魔物がシルフィアの生物の体を乗っ取る。それが本当なら、これは深刻な事態である。
ダムドルンドの世界が、どんどんシルフィアを浸食していることは間違いない。それが生物レベルまで進行しているのだとしたら……。
それを考え、ユヒトは背筋に冷たいものを感じていた。
「それはそうと、あちらでまだマリクがその魔物と戦っています。僕もこれから戻って戦いの援護をしてこないと。ギムレさんはまだすぐに動けないでしょうから、ここで待っていてください」
立ちあがりかけたユヒトを、ギムレはすぐに呼び止めた。そして、あることを彼に伝えると、励ますように力強く拳を掲げてみせた。