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そして世界に竜はめぐる  作者: 美汐
第二章 森のなかの別離
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森のなかの別離 6

 ブーンと羽ばたく音とともに、拳大ほどの黒い塊がユヒトの目の前に飛んできた。

 咄嗟に避けるが、すぐにその音は後方からこちらへと旋回して向かってきた。それに応じようと後方に意識を飛ばしてすぐに、再び前方からも虫が飛んでくる気配がした。

 とにかく後方の一匹を斬り伏せたものの、一瞬判断に迷ったせいで、前方の虫の処理が遅れた。もう間に合いそうにないと目を瞑ったときだ。


 シュッ!

 前方にいたマリクが振り向きざまになにかを投げ、その黒い物体を撃ち落とした。

 ユヒトが驚いてその黒い物体に目を落とすと、それは巨大な楕円形の虫だった。マリクが投げた細長い針に射抜かれて、すでにそれは絶命している。


「虫? どうして虫がこちらに攻撃を?」


「ナーブという、このラバトスではよくいる虫だ。他のところでは知らんが、この森では虫は食物連鎖の頂点に君臨している。つまり、こいつらは、人間も襲う」


 そう言われれば、森に入る前に、マリクたちが虫に注意しろということを話していたことをユヒトは思い出した。


「この森に入る前に塗った虫除けのフィトという香草の薬効で、ここまではほぼ虫を遠ざけられていたようだが、それも効果が薄れてきたようだな。ここからはさらに注意していく必要があるだろう」


 マリクはナーブの腹に刺さっていた針を抜くと、紺鼠の外套の裏にそれをしまった。


「魔物以外にもそんな危険な存在がいるなんて知らなかった。フェリアでは、虫は作物を実らせるために必要な存在だったから」


「……本当に、なにも知らない甘ちゃんなんだな。お前」


 きょとんと首を傾げるユヒトに、かすかにマリクは眉間に皺を作った。


「誰もが果たせなかったセレイアの女王に会うという使命を成し遂げた少年だって聞いて、どんなとんでもないやつだろうかと想像していたが、まさかこんなまだ青臭さの抜けきれていない甘ちゃんだったとは」


「…………」


「世界を救う希望の少年だって、こっちでももう噂になってるんだぜ。お前のことは。それなのに、あの吊り橋での一件で、すでにお前は一度死にかけている。今もそうだ。いくら知らなかったとはいえ、たった一匹の虫にもやられるところだった。そんなやつがよくも世界を救うなんて大層なことが言えるよな」


 ユヒトは黙ったままだった。黙ってマリクの言葉を聞き続けている。


「俺は少しお前に興味があった。そして少なからず期待していた。……だけど、それも間違いだったようだな」


 マリクはユヒトの正面に立ち、対峙するように枯れ葉の降り積もった地面を踏みしめた。


「ゆっくりとだが、今も確実に世界は闇に浸食されている。この森も、以前はいたはずの動物たちの姿が見えなくなった。きっと魔物に取って食われてしまったのだろう。世界は静かに、けれども確実に崩壊の道を歩んでいる。世界から風が消え、神竜の恵みが世界を維持できなくなっている。なんとかしないと、このまま世界はダムドルンドの闇に飲み込まれてしまうだろう」


 どこかで悲鳴のような獣の鳴き声が響いた。


「これをお前が止められるのか? お前にこの世界が救えるのか?」


 マリクは先程よりもさらに眉間の皺を深くして、どこか苦しみを耐えるように言葉を紡ぎ続けた。


「お前に世界を救えるわけがない! お前が希望の少年だと、期待するほうが馬鹿だ! だったら俺は、俺自身の力でそれをやるしかない。誰かを頼るより、そのほうがずっと確実だ」


 しばらく二人の間に重い沈黙がおりた。刃のような気配を身に纏いながら、どこか寂しげなマリクを、ユヒトは困ったように見つめた。二人の距離はそう離れてはいない。けれど、なにか見えない壁がそこに存在しているかのように、深い溝があるかのように、二人の少年は遠いところにいた。

 それから沈黙を破るように、ユヒトはゆっくりと彼に向かって言葉をかけた。


「確かにそうかもしれない。だって本当に、僕はただの普通の子供で。自分でも、どうして今ここにいるのか、セレイアへ行けたのか、よくわからないんだ」


 柔らかく降り注ぐ光の粒のように、忘れてしまった懐かしさを語るように、ユヒトは言葉を紡いでいく。


「だけど、それでも信じて進んでいくしかないから。僕は僕の運命を。僕のなかにある、風の息吹を。なにか僕にしかできないことがあるなら、もし、それが世界を救うなにかに繋がることであるなら。それを信じてやるしかない。そう思って僕は旅を続けている」


 少年たちの間に、柔らかい風が生まれた。その風の柔らかく温かい気配は、やがてマリクの周りにあった他を寄せ付けないような硬質な気配を消し、代わりに温かなものを彼の胸に染み渡らせた。

 二人の間には、確かに先程まで互いに触れることのできないほどの距離があった。けれど、ユヒトは一瞬でその距離を詰めたのだった。壁を通り抜けるように、溝をひょいと跨ぐように。

 マリクは驚き、その瞳に戸惑いの光を宿しながら、もう一人の少年に問いかける。


「信じて、いいのか……? お前を……」


「信じたくなかったら、信じなくてもかまわない。だけど、僕の願いはきみと同じ。どんなに困難でも、どんなに敵が強くても、世界を救いたい。この美しい世界を僕らのもとに取り戻したい。僕はそう思ってる」


 風がやみ、辺りは静かになった。最前まで騒いでいた獣たちも、どこかに消えてしまったようだった。

 それから二人は、何事もなかったかのように、再び歩みを進めていったのだった。



第二章終了です。お疲れ様でした。

第三章は今冬の投稿を予定しております。

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