森のなかの別離 5
川沿いの岩場を上流に向かって登り続けることしばらく、ふと前方の森のなかで、なにか赤いものがはためいているのに気付いた。
よくよく目を凝らしてみると、それは木の枝に括り付けられたスカーフのようだった。急ぎそちらのほうへとユヒトが近づいていくと、見覚えのある布地に、じんわりと安堵の気持ちが胸に広がった。
「ギムレさん、やはり無事だったんですね」
ユヒトがギムレの身につけていたスカーフに手を添えると、そのスカーフが巻き付けてあるすぐ上になにか文字が刻まれているのに気がついた。
『先に行く』
ギムレは先に、エスティーアに向かって出発したのだ。彼もきっと仲間と再びそこで会えると信じているのだろう。
「わかりました。僕もすぐに向かいますよ。ギムレさん」
ユヒトは呟くと、再び上流へと向かって進み始めた。
一年前であれば、ギムレのあのメッセージを見て、不安に沈んでいたに違いない。たった一人でどう向かえばいいのか。この先で魔物と遭遇してしまったら。大型昆虫に襲われでもしたら、と。
けれど、今は違う。
魔物に立ち向かう力も、勇気も、今はこの手にある。危機に対する知恵も機転も、一緒に旅をしたみんなから教わった。
なにより、仲間を信じる心がユヒトを強くしてくれた。
(行こう。この先で仲間が待っていてくれている。僕は一人じゃない)
今は、離れていても答えてくれるルーフェンはいない。けれども、心細いとは思わなかった。
信じよう。仲間を。
今自分にできるのは、前へと進むことだけ。
ユヒトはごろごろとした岩場を、固く踏みしめるようにしながら先を目指すのだった。
川沿いの岩場を黙々と登り続け、少し川の流れの速い付近までやってきたときだった。ふと、自分の足首になにかキラリと光る糸のようなものが巻き付いているのに気がついた。
「なんだ? これ」
ユヒトがしゃがみ込んでその薄く光る糸のようなものを摘むと、くいっとその糸がなにかに引っ張られた。驚いて引っ張られた先に視線をやると、森の方向にそれは続いているようだった。
不可解な出来事だったが、無視することもできず、ユヒトは恐る恐るその不思議な糸をたどって森のなかへと入っていった。
森は鬱蒼として、なにかの獣や鳥の鳴き声が響いていた。見たこともないような大きな葉っぱが繁る辺りで、またキラリと糸が反射した。糸の先を見ると、それはさらに奥へと続いている。
糸をたぐり寄せながら、歩き続けることしばらく。ユヒトはいつの間にか、人の手で整備されたと覚しき山道に出ていた。
「ここまで来れば、とりあえずは安心だろう」
ふいにそんな声が横から聞こえ、ユヒトは驚いてそちらに顔を向けた。
「正規の道からはかなりはずれてしまっているが、このルートでも、もとの道に出られるはずだ。多少険しさが増したことは否めないが」
「きみは……」
声をかけた先にいたのは、菫色の髪を持つ少年だった。
「そうか。これ、きみがやったんだね」
ユヒトはマリクの手に彼がたぐり寄せていたのと同じ光る糸を見つけ、納得した様子を見せた。
「そう。これは魔法の糸。仕掛けた場所に誰かが通ると、こっちにも合図が来る。糸をたぐり寄せていけば、その仕掛けた糸にかかった人物までたどり着けるというわけさ」
「なるほど。それでどこかで絡んだり引っかかったりせずにここまで来られたわけだね。普通の糸とはどこか違うような気がしたんだ」
マリクはしゅるりと魔法の糸を己の手元にたぐり寄せると、腰袋の中にしまった。
「ありがとう」
ユヒトの言葉に、マリクはぱっと顔をあげると、驚いたような表情を浮かべた。
「あの橋から落ちたときも、みんなを魔法の力で助けてくれたんだよね? 水のなかでも呼吸ができるように」
マリクはしばらくバツが悪そうにユヒトから視線を逸らしていたが、ぽつりとこんなふうに言葉を返した。
「あれはミネルバが先にやったこと。俺は仕方なくあいつに付き合ってやっただけだ。別にお前らを救いたくてやったわけじゃない」
「でも、今度もまた魔法の糸で僕を見つけて安全なところまで導いてくれた」
「だから、バラバラにみんなが散ってたら、いろいろと面倒だから……っ」
「きみって意外と優しいんだね。マリク」
「やさ……って、はああ?」
ユヒトの発言に思わず頬を紅潮させたマリクは、なにか言い返そうと視線を正面に戻した。するとそこにあったのは、ユヒトのにこにことした満面の笑みである。
それを見たマリクは脱力してしまい、結局言い返す気力も失せてしまったらしい。
彼は面倒くさそうに大きくため息をつくと、無言のままくるりと踵を返した。そしてそのまま山道の先を進み始めた。
「あ、待ってよ。マリク」
ユヒトは早足で進むマリクのあとを、慌ててついていくのだった。




