森のなかの別離 4
水の流れる音が聞こえていた。遠くで鳥の鳴き声が響いている。
揺れる木漏れ日の下で、ユヒトはおぼろげな意識のなか、目を覚ました。
次第に周囲の景色が明瞭になってくると同時に、意識をなくす直前の記憶が蘇り、彼は慌てて身を起こし、周りに視線をめぐらせた。
「ルーフェン? みんな!?」
しかし、そこには誰の姿も見えなかった。
きょろきょろと周囲の状況を確かめてから、ゆっくりとユヒトはその場から立ちあがった。
そこは、どこかの川べりだった。川に落ち、随分流されてここにたどり着いたらしい。
無事だった。
その事実にまず驚き、安堵する。そして、不思議なことに思い当たった。
ユヒトの衣服は川で流されたにも関わらず、まったく濡れていなかった。衣服だけではない。髪も肌も、本来ならずぶ濡れになっていてもおかしくない状況でありながら、水滴のひとつも地面に垂れることはなかった。身につけていた剣や持ち物もそのまま無事に残っていた。
そして再び吊り橋から落ちる瞬間のことに記憶が戻る。
あのとき、マリクとミネルバがなにやら不思議な呪文を唱えていた。その直後、みなが水面に叩き付けられる直前に、ユヒトたちは柔らかい光のようなものに包まれた。
(きっと彼らが魔法の力で助けてくれたんだ)
でなければ、自分はきっと川の水を飲み込んで溺れてしまっていただろう。結果、死んでいたとしてもおかしくない。否、たぶん死んでいただろう。
二人のエルフ族に感謝の念を覚え、しばし目を閉じ、祈るように右手の拳を胸に当てる。
再度目蓋を開き、あのときの光景を思い出す。
あのとき、吊り橋中央付近をみなが渡っていたとき、突然黒い影のようなものが吊り橋を斬り裂いた。一瞬だったが、あの気配はポートワールの倉庫で感じたものと同じ種類のものに思えた。
シャドー。
マリクたちが師匠の仇だと追いかけている魔物。ダムドルンドの王に仕える三将の一角を担っているという。
そして、吊り橋を渡る前に感じた不気味な予感はそれだったのかと、今さらながらに思った。
もしあのとき、もっと強くみなを止めていたら。
もしあのとき、違う行き方を考えていたら。
悔やむ気持ちが猛然と湧き起こるが、それでも結局自分たちはあの吊り橋を渡っていただろうとも思う。
逃れられない巧妙な罠に自分たちは嵌められたのだ。
しかし、どこからつけられていたのだろう。それか、あの橋をユヒトらが渡ることを先に想定して、罠を張っていたのかもしれない。
いずれにせよ、シャドーという魔物は、今までに出会った魔物のなかでも、一筋縄ではいかない恐ろしい魔物だということをユヒトは身をもって理解した。
ユヒトがこうして命を永らえていることがばれたら、またあの魔物はなにか仕掛けてくるかもしれない。
ぞわりと身震いが走る。けれど、ユヒトは頭を振り、決然と前方を睨んだ。
(負けない……。この世界を奴らに渡すわけにはいかない……!)
それからユヒトは心のなかで強く呼びかけた。
(ルーフェン! ルーフェン、答えて!)
しかし、しばらくの間待っていても、相棒から返事がくることはなかった。
「ルーフェン……」
あのとき、ルーフェンの行く手に黒い影が覆うように現れていた。シャドーの分身が、彼を襲ったのだ。
まさか、という思いが一瞬脳裏を駆けめぐる。しかし、ルーフェンになにかあったのなら、風の竜と心を通わせているユヒトがなにも感じないわけがない。
恐怖と隣り合わせの希望だが、ユヒトはルーフェンを信じることにした。もっとも、信じる以外の選択肢など、もともと持ち合わせていないのだが。
ユヒトはくるりと川沿いの岩場に体を向けると、黙って上流へと進み始めた。
(きっとみんなどこかで無事にいるはず。無事であれば、目指すべき方向は同じだ。この先できっとみんなに会える)
たった一人になってしまったユヒトだったが、その思いは固く迷いがなかった。