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第二章

第二章



「風使い」の弟子としての、初めの季節は冬だった。

 見渡す平野は、千の色を失くし何もかもが白一色であった。大地はどこまでも頑なに凍りつき、雲は鉛で出来た巨大な一艘の船のように、重くずっしりと、大地へ接岸していた。

 

 ララとルーンは日々の糧と休息を得るため、次の街へ向かって黙々と歩を進めていた。

 森の奥から、ときおり哀しげな鹿の鳴く声がする。餌がなくて泣いているのか、それとも仲間を探しているのか、ララにはわからなかったが、その呼び声はひどく切なく悲鳴のように絶望的で、凍った空気を何度も強く震わせた。

 

 ララは耐え切れず呻いた。

 「あんなふうに鳴いたら、狼に襲われてしまうわ」

 

 ルーンが静かに言った。

 「死はいつも隣にあるのです。あの鹿は、わかって鳴いているのです」

 

 ルーンの答は、いつもまっすぐで寂しすぎて、ララの慰めには、ならなかった。ララは耳をふさぎ、歯を食いしばると足を速めた。まるで鹿の運命に抵抗するかのように。

 

 ときおりルーンの言葉がわからなくなる。ララは思った。ルーンは「死」に、もっとも遠いところにいるから、こんな風に言えるのだ。

 受け止められなかったララの想いが、鹿の鳴き声となってルーンを通り抜けていった。そんなとき、ルーンのその美しすぎるその姿は、ララにとって実体のないただの幻に見えた。

 

 ララの歩調は、さらに早くなり、苛立つように雪を飛散させた。

 白い荒野は広がるばかりで、まだ次の街は見えてこない。

森の入り口に来たときだった。

 ふいに雪がちらつき始め、ララの視界を忙しく横切った。大雪の気配を感じ天を仰ぐと、ため息混じりの白い息が洩れた。くちびるに凍えた雪の粒が当たり、熱を奪うと水になって流れ落ちた。

 

 突然ルーンが明るい声を上げた。

 「おや、雪使いのウィーネのお出ましです」

 

 落ちる雪片を手のひらに受け止めたルーンがいたずらぽい目でララを呼び止めた。

その意味を、たずねるためララが口を開く間もなく、あたりが突然白いかすみに覆われ始めた。呆然と立ちすくむララの目の前に、小さな人間丈ほどの渦巻きが起きた。


 「おーや、兄弟。なんと可愛いらしい! 人間を連れてお歩きとは、めずらしい光景を見たものだ!」

 渦巻きは周囲の雪を舞い上げながら、水晶のような透明な声を発した。


 ルーンが渦に向かって、うやうやしく頭をたれた。

 「私の弟子ララです。お見知りおきを。ララ、この方は雪使いのウィーネ。私のもっとも近しい兄弟の一人です」


 白い渦巻きは、くるくると、ひっきりなしに回っている。ララは渦に向かって挨拶をすることに、戸惑ったが、恐る恐る頭を下げた。

そのときだった、突然、渦巻きの中心に面の型を取ったように、人の顔が浮かび上がった。

 

 「なんと弟子を持ったと!」

 その雪の粒で出来た人の面が二つの目を大きく見開いた。

 

 「世界の冬を司ると言われるこのウィーネが、何百年ぶりに驚かされたわ。それも、この弟子、まだ年端もいかぬ、ほんの子供じゃないか!」


 渦の顔は、おどけたように顔の表情を変え、大袈裟に驚いてみせる。

そうしてから唐突に、疑い深げな深刻な表情がとってかわる。声のトーンが別人のように変わった。

 

 「若い人間の弟子……だが、そんな事は二の次だ。問題なのは、その娘じゃない。ルーン……そなた、この行為の意味することが、わかってのことか? それは、そなた自身を……」

 

 「ええ。まさに幸運なことです」

 

 ウィーネの言葉はルーンのきっぱりした口調に遮られ、雪使いは口を閉じざるを得なかった。ウィーネはそのルーンの有無を言わさぬ決然とした瞳に、逆にバツが悪そうに目をそむけた。

 

 ララには、この二人の精霊が共有するある事実、複雑な事情など、この時点では、わかるはずもなかった。故に、精霊達の傍らで口を半ば開けたまま、銅像のように突っ立っているしかなかったのだ。

 

 「……まあ、それがもっとも思慮深いと言われている兄弟の選択ならば、私は何も言うまい。それに、自負するわけではないが、そなたがどんな想いにあるかぐらい、このウィーネが知らぬはずもない」

ウィーネはルーンの懐柔を承諾し、それにともなってルーンの声も柔らかくなった

 

 「ええ。ウィーネ、あなたには、いつも感謝してます。やはりウィーネは私の真の兄弟です」

 

 「そう、同じ運命に生きる真の兄弟だ。そして何百年と共に過ごしてきた間柄であればこその兄弟だな」

 ウィーネは少し間を置き、言葉を続けた。

 

 「さて、話を我々の仕事に戻そうか。これから、ここら一帯に吹雪を起こそうと思うのだが、そなたにも手伝ってもらいたい」

 

 「そうですね、他ならぬウィーネの提案ですし、いつもなら二つ返事で応じるところなのですが、私は日が落ちるまでに、ララを街に連れてゆかねばなりません」


  その言葉に渦が二倍にも脹らみ、さらに激しく回転した。

 「おお兄弟よ! そんな娘! 風に乗せて、さっさと街まで連れて行ってしまえばよいではないか!」 ウィーネが千の雪片を散らし顔をしかめた。

 

 「いえいえ、もちろん、それだけではありません。おわかりでしょう? この私がこの時間を楽しんでいるのです。冬にしか味わえない雪の感触を!ウィーネ、言わばあなたの世界をです。」

 

 「雪の感触を? おおっ、忘れていたわ! そなたは人間の五感を、この娘の肉体を通して感じているのだったな」

 おどけたウィーネが白い布を広げるように、雪を舞い上がらせる。

 

 雪はララの頭に顔に肩に胸に降りかかった。すっかり雪を被ったララは、目をしばたかせ、思わずその冷たさに身体を縮こまらせた。

 だがルーンはと言えば、ララとは反対にやけに嬉しそうだった。

 ルーンもまた体中にウィーネの巻き上げた雪を被っていたが、その雪片のひとつひとつを興味深げに眺め、喜々として冷たさを楽しんでいた。


 「ああ、ウィーネ、あなた自身にもご自分の性質を味わって欲しいです。雪を踏み込む時の、柔らかに沈む綿のような感触。肌をつつく小さな針が瞬時に溶け、冷たさが皮膚の奧へと染み入ります。ほら、こうして踏みしめると足の下で雪が可愛く鳴るのです」

 

 興奮したルーンの声は華やぎ、まるで詩を詠うようだった。そんなルーンに苦笑してウィーネが意地悪い言葉を投げかけた。


「私の雪は、ダイヤモンドより硬くて大地の精霊より頑固だよ。なにせ山の脅威を維持しているのは、冬山を扱うこの私のお陰。鉛より重くて恐ろしい雪崩の塊は、誰にも止められない。真っ白な世界に囲まれたなら、あっという間に、その冷たさに命は凍えて固まる。そして、それもまた雪の本性なのさ」

 

 だがルーンはそんな脅しにもひるむ様子はなかった。ただ、ただ、夢みる乙女のように瞳を輝せていた。「ええ。ウィーネ、たとえあなたの懐で氷の柱となったとしても、そのすべてを感じてみたいのです」

 

 さすがの雪使いウィーネも、これほど好のまれて悪い気がするわけがない。

 ウィーネは半分気恥ずかしそうに、半分あきれて、それでも最後に毒づいてみるのだった。


 「それでは今晩の吹雪の恐ろしさも味わったらどうだい? 兄弟よ。街までの、ちょっとした余興にね」

 雪使いのからかうような声が消え、渦が空に舞い上がると、最後の高笑いとともに雪の精霊は離れていった。


 ほどなくして雪は、さらに量と勢いを増していった、辺りはいっきに薄暗くなり、何重もの白い雪のカーテンに覆われ始めた。

 

 ルーンの顔が引き締まった。

「さあ、急ぎましょう。今回は私が手伝わないとは言え、雪はすべてを覆い隠します」




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