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12 再会

 フーコは、路地裏を、とてもみっともない恰好で移動している。

 フーコは先ほどまで見も知らぬ白髪の人ではないという青年といた。確か、ワルツと言っていた。

彼の登場は突然だった。既にフーコの中で彼との出会いは恐ろしい出来事であり、もう二度と会いたくない。彼の話は一方的でとても、理不尽だった。

 ワルツはフーコと会話している間ほとんどが笑顔だったが、散々暴言を吐かれたのは記憶に新しい。フーコに使い魔がいると思い込んでいて、居場所を聞かれたり、何か契約めいたことを言わされたりしたが、最終的に彼がどのような目的を持って自分のもとに訪れたのか、フーコにはよくわからなかった。

 脅されたり暴力を振るわれたりして、最終的に何故か、フーコの目が見えなくなった。

 見えなくなったと言っても、片方だけ。フーコから見て、左目のほうだ。

 それを満足そうに見たワルツはフーコを散々脅かして、どこかへ行ってしまった。


 そして、今に至る。


 腰が抜けて立ち上がれないフーコは、腕と膝を動かして、ずりずりと這うようにして路地裏の奥へ移動していた。

 手と膝に小石が食い込んで、痛い。

 日本なら舗装されているはずの道は、路地裏だけあって舗装も何もされていない道だ。フーコの手と足は泥でどんどん汚れていく。

 けれど、とにかく人目に付きたくなかった。フーコは、今、日本の制服を着ている。そして、自分の黒い髪を隠すすべはない。ネロの言葉がよみがえる。

(黒髪は、貴重。それで、一目、みたら、魔女だと判断される)

 そして獣のような腕を持ったワルツは、笑ってこう言った。

『晴れの人たちは、まだ君を探してる』

(……捕まる)

 考えただけで頭がパニックになりそうだった。もし捕まったら、ワルツの時のように、いやワルツ以上に恐ろしいことが待っているかもしれないのだ。考えただけでフーコは上手く呼吸ができなくなる。

「うう……。いやだ……。いやだ……」

 ぶつぶつと嫌だと繰り返しながら地面を這う。ぼたぼたと涙が零れる。塗れた頬すらも、冷たい。どんどん視界がかすんでいく。唯でさえ片目が見えずにうまく距離がとれないのに、ここで倒れるなど冗談じゃなかった。

(いやだ……。家に帰りたい……。日本に戻りたい……。お母さんとトーコちゃんに会いたい……もう嫌だ……)

 更にこぼれた涙が地面に落ちた時、前から低い声が響いた。


「……フーコ」 


 名前を呼ばれて、フーコは震えた。そして、ハッとして顔をあげる。その声は昨日、聞いたものだったからだ。

 トンと軽い音がしたと思ったら、暗い路地裏の先に青年がいた。

 片目が隠れた長い前髪と、左右で括った長い髪。外国の人のように顔立ちが整った青年と目が合った。彼は、フーコに渡して、そしてフーコが落としてしまったマントを羽織っていた。フーコには昨日会った時と全く変わらない様に見える。きっと、後ろに括りつけてある狐のお面も、そのままなのだろう。

 初めてこの世界で会った青年。


 「あいたかった」と言った彼は。


 ネロに全部のフルネームの意味を教えてもらった言葉が、ふと思いだされる。けれど、その意味を考える前にフーコは口を開いた。たぶん、変に喉が擦れていて、うまく発音できなかったと思う。

「ろんど、さん」

「……。……やっと、あえた」

 彼は小さく息をついて、四つん這い状態のフーコの方に向かった。近寄ってきたロンドに、びくりとフーコは肩を震わせた。

「……?」

 ロンドは立ち止まった。そして、そのまま近づこうとはせずに彼はフーコと目線を合わせるため膝を折る。お互いの目が、あう。

 片目しか見えないフーコに、明るい色の瞳が映る。

 彼の目は綺麗な鳶色だった。フーコには、何にも映していない様に見える、動かない表情。感情のない目。

「フーコ、見つけるのが遅くなってごめん。……俺が怖い?」

 フーコは擦れた声で言った。質問に答えるよりも、自分の抱えている疑問が先に出てくる。

「ろ、ロンドさんが」

「?」

 言葉の語尾が、震える。


「ロンドさんが私をこの世界に連れてきたんですか」


 ロンドは何かを考えるように少し黙ってから、言った。

「……いいや」

 フーコはロンドのその言葉を聞いた瞬間、両目から涙があふれた。もはや見えない片目からも涙が流れる。

 ぼたぼたと流れて、涙は地面に吸い込まれていく。

「じゃあ、じゃあなんであなたは私の名前を知ってたの。何で、私はここに来るまでの記憶がないの! もう嫌だよ!…………帰りたいよ。……トーコちゃん……。お母さん……」

 ロンドは泣きわめくフーコを見つめる。彼の表情は動かない。ただ、目が少し揺れた気がした。彼は無表情だ。その奇妙奇天烈な服装に対して、そこには感情の起伏がなかった。

 そんな彼は、泣いているフーコを見つめて、囁くように言った。

「…………。ごめん」

「……なんであなたが謝るの……。……謝るなら答えてよ……」

「俺が答えられることは話すよ。でも、少し場所を移動しよう。まだ【晴れ】の黒服がうろうろしてる」

「……」

「最初の質問に戻るけど、俺が怖い? 近づいて、フーコが立てるように手を貸してはいけないか?」

 フーコは少しの間だけ黙って、鼻をすすった。手も足も痛かった。何より、寒い。提案をはねのけるほど、フーコの意志は強くない。

「お願いします……」

「ありがとう。失礼」

 すぐ近くでロンドの声が聞こえたと思ったら、彼はまずフーコの脇に手をさしこみ、あっという間にフーコの上半身を起こした。

「俺の肩に腕は回せる? 立つよ」

 「は、い」と答えた瞬間一気にぐっと上に引っ張られて、フーコは再び立ち上がることができた。少しだけよろけて、二人で路地裏の建物の壁に移動する。何とか立てるようになったフーコがお礼を言う前に、ばさりと視界が黒で塞がれた。

「わ、ぶ」

「渡してた外套。……また雨が降るといけないから。あと、フーコの髪の色は目立つんだ。それにはフードがついてるから被ってた方がいい。……それを着てたらフーコがどこにいるかわかる。今はとりあえず来ていて貰えないか」

「わ、わかりました」

 フーコが置いて行ってしまったはずのずぶ濡れのマントは、なぜか乾いていた。冷たさで手の感覚がなくなりつつあったフーコにはそれが酷くありがたかった。お礼を言おうと、顔をあげたフーコはロンドを見てぎょっとした。

 

 彼のシャツは、何かの液体でべっとりと汚れていた。


 おそらく、血。

 簡素な白いシャツは乾きかけのものも、さっき浴びたような色のシミまである。ロンドは固まっているフーコを見て、自分のシャツの汚れに気付いたようだった。

「ああ……。血の匂いが臭いか、離れよう。ごめん。怖がらせてしまった。でも、マントには血はつかないように気をつけたから」

「そ、っそういうことじゃなくて……!」

「?」

「けっ、怪我は……?!」

「問題ない。……離れた方がいい?」

「なんで……?」

 血の匂いについてはフーコは泣き過ぎて鼻が詰まっているからわからないのだが。

 少しだけ話しただけだが、このロンドという青年は顔に表情が出ないという以外、酷くまともだった。いきなり剣を抜いて、「殺す」などと物騒なことを言っていたくせに、こうやって気づかうところは常識の内にいる。少なくとも、先ほど会っていたワルツよりも、いきなり怒鳴ったマリアよりも、そしてやや一方的に要求を提案した親切なネロよりも。フーコにとって彼は、まともに見えた。そして次に彼が言った言葉も至極まっとうだった。

 ロンドは服をつまんだ。

「これは、人を切った血だ。殺しはしていないけれど、殺す気でやっていた。……フーコにとって、俺は客観勘的に見て危険な人間だ。怖いと思うだろ」

「そ、そんな。……っわ」

 反射的にそんなことないと言おうとして、フーコは彼の服の裾を掴もうとして、距離を測り損ねた。勢い余り、そのままバランスを崩して傾く。見かねたロンドがフーコを受け止める。

「ご、ごめんなさい……。あれ」

 フーコはロンドを見て、首を傾げた。彼と接触している腕の部分を見つめる。びっくりするほど、彼の体温は高かった。フーコはロンドを見上げる。

 目が合う。彼は近くで見てもやはり感情の起伏はわからなかった。彼は相変わらず無表情だった。フーコはそんな彼の顔を見て何を言えばいいか途端にわからなくなった。そして出てきた言葉は、

「ろ、ロンドさんって、あったかいですね」

「…………どうも」

(あ、ちょっとだけ笑った)

 フーコのよくわからない発言に彼はほんのりと目元を緩めた。それに先ほどから一切表情が変わらないことに少し不安に思っていたフーコは、ちょっとだけ安心した。そんなフーコの内心を知ってか知らずか、そのままロンドは微かに眉根を寄せた。

「…………。片目、どうしたんだ? それに、手首と、……首に痣がついてる」

「え」

 ビクリとフーコの顔が目に見えて強ばった。

「え? 目、目がどうなってるんですか? ど、どうしよう。ど、どうなってますか?!」

「パッと見何のかわりもないけど、……光とか景色が映っていないから。……さっき会った時はそうじゃなかったはずだ」

「それは」

 フーコが口を開こうとしたところで、ロンドの纏う気配が変わる。鋭く、冷たく。雰囲気の変化をフーコは敏感に感じ取り、肩を縮こませた。

「……人が来た。……移動しよう」





南ギグ通り  ***路地裏

 ロンドは路地裏の奥へと進み、ある1つの家に辿りついた。錆びついた錠前と扉を撫でて、呟く。

「……空き家だな」

「え、わ、わかるんですか?」

「まあ。家は人が住んでないと寂びれていくから。ここでとりあえずほとぼりが冷めるまで休憩しよう」

(……? 鍵が、かかってるよ?)

 そうフーコが思ったのと同時だった。ロンドは何処からか細い金属の棒を取り出した。その棒を鍵穴に差し込んだと思ったら、呆気なく錠前は外れた。それは錠前の鍵なんです?と思ってしまうほど呆気なかった。

「…………」

「……ちょっと借りるだけだ。問題ない」

 口を開けたフーコに、弁解するようにロンドは言った。彼の横顔は、髪に隠れて見えなかったけれど、どことなくバツが悪そうだった。



 家はロンドが言った通り空き家だった。

 床にほこりが溜まっている。どこか静かな、古くさい、土の匂いがした。窓が閉まっているせいで光が全く入ってこないせいで部屋の全体はわからないが、どうも台所らしい。ロンドとフーコが入ったのは裏口だったようだ。

「マントはいくらでも汚れて構わないから、それを敷いてくれ。あと、これ。よかったら」

「あ、ありがとうございます」

 ロンドはフーコにハンカチらしき布を渡した。そして夜目がきくのか棚に置き去りにされている皿を取り出して、ポケットから小瓶を取りだし、液体を注いだ。――――暗くてよくわからなかったが、火をつけたらしく少しだけ明るくなる。それをフーコの近くに置くと、ロンドは完全に扉を閉めた。

 顔をハンカチで拭いていたフーコは、音もなく閉まった扉を見て、急に異性と二人でいるということを意識した。しかもほいほい言われた通りついてきてしまったことに気付いた。ザーッと血の気が引いていく。ネロにも注意されたことが思い出される。

「フーコ」

「ひ、はいっ?!」

「手を出して。明かりの近く。 ……明かり、熱いから火傷しないように」

「き、気をつけます。……? はい」

 ロンドは腰につけていたらしいバックポーチから包帯を取りだした。暗くて鞄の中身はあまりよくわからないが、その声は案じているようだった。

「怪我はない? もしあるなら手当てする。あと、痣が目立つからこれを巻いておかないか。……首はフードを被れば目立たないが、手首は目を引く」

「あ、ありがとうございます……」

「……敬語を無理に使わなくてもいい。大して年も変わらない。……それで、フーコ。聞きたいことが沢山あるとは思うが、まず、この痣と目をどうしたのか教えてくれないか。……話せる範囲で構わないから」

「あっと……」

 フーコはどこから離せばよいかわからなかったため、自分がロンドと離れたところから話し始めた。ネロに拾われたあたりで、相槌を打っていたロンドが首を傾けた。

「ネロ? ネロ・フィールズエンド?」

「あ、はい。そうです」

 ロンドは、見えているほうの片目を瞬かせた。そして、視線を下にやる。もう片方の目は髪に隠れて見えない。

「そう、わかった。ごめん、続けて」

「はい。……えっと、それで……」

 フーコは、たどたどしく話をしていった。ロンドはフーコの話を聞きながら、丁寧に包帯を巻いていく。彼の指は長くて細くて、綺麗だとフーコは話しながら場違いなことを考えた。フーコが話し終えた後、ロンドは長く沈黙していた。

「…………。ワルツか」

「知ってるんですか?」

「ああ……。知り合いだ。そうか……」

 フーコは、ロンドのフードを深くかぶった。思い出すだけで心臓がばくばくとなって、身がすくむ。話している途中も涙が止まらなくてしょうがなかった。

「あんまり、思い出したくない、です。怖かったし痛かったし、そして何より死ぬかと思った」

「思い出さなくていい。……あいつは人じゃないんだ。普段はほとんど人里に下りて来ない。異国の人間が気になるのか、この国に入ってきた人間にはよくちょっかいをかけている。ただ、フーコに契約めいたことまで言わせたのなら、本当にしばらくは接触してこないだろうから、安心していい。きっと、会ったとしても片目がその状態のままなら危害は加えないはずだ」

「……そうですか」

 フーコはハンカチで涙を拭った。ロンドはそんなフーコを敢えて見ずに、話しを続ける。

「フーコの使い魔に関しては、俺もなんとも言えない。でも、その猫がこちらに来ている可能性はある」

「?!」

 フーコは顔をあげた。

「……猫は世界を渡りやすいらしいから」

「意味が、わかりません」

「そう。俺も、よくわらない。人づてから聞いた話だから。だけど、俺は事実だと思っている。猫は世界を渡りやすい。でも……本当かどうかは確かめようがないし、今はあまり考えない方がいいんじゃないか」

「そう、ですね………………。……本当にロンドさんが私を連れてきたんじゃないんですか。私、ここに来る前後の記憶がないんです。……なにも、思い出せない。それに、それに、何で、名前を知ってるの……? 会いたかったって、どういうことですか……」

 フーコは膝に顔を埋め、嗚咽が混じりながらも絞り出すように言った。ロンドの顔は見られず、フーコは目を閉じていた。返事をする彼の声は淡々としている。

「俺は昔、命を助けられたことがあって。……ある男にフーコのことを頼まれた。俺はできれば約束を―――――――――――――約束を果たしたかった。だから俺はフーコの名前を知っているし、会えるかもしれないと思ったから、会いに行った。後……記憶については、異界へ飛ぶ時にショックで無くなったんだと思う。その時の記憶が必要なら、きっとその内思い出す」

 フーコは、顔をあげた。虚ろな瞳でロンドを見る。彼の顔は暗くて、よく見えない。

「……頼まれたって、誰に」

「ちゃんとした名前は知らない。全身真っ黒で黄緑色の目をした、年齢不詳の背の高い男だ」

 フーコは力なく首を振った。

「……そんな人、私、知らない……」

 そこでロンドは初めて驚いたような顔をした。

「知らないのか? ……ずいぶん親しげにフーコのことを話していたけど……。そう……」

「知りません。全然……何にも……覚えがないし。……ああ、家に帰りたいよ……。……。……。…………」

 絞り出すような声で、呟いた言葉を最後にして、フーコの声が途切れた。

「フーコ? ………………………………寝たのか」

 子供のように泣き疲れて眠ってしまった少女に、ロンドは彼女が少しでも寒くない様にするために立ち上がった。彼は少女を見つめる。彼はゆっくりと視線を逸らした。頼りない明かりの中、伸びた前髪から隠している赤い目が炎に反射して鈍く光った。

「…………ごめん」

 彼の呟きは誰にも聞かれることなく溶けて消えた。



 異世界から来た少女にネロと呼ばれた青年は、うっすらと紫を帯びた髪を掻きあげた。彼は目の前の光景に鋭い視線を向けている。彼がとある少女を置いていた部屋は、今はもぬけの殻だった。

「……誰だ? 晴れか? ロンド・トリックスターか? それとも、他の第三者か?」

 紫の瞳は、割れた窓ガラスを見つめている。睨んでいるといっても、過言ではなかった。そして小さくため息をつく。彼は、胸ポケットから取り出した紙に、とある少女の名前を書きつけた。彼の字は綺麗だ。

 異世界の文字を習ったかのように。背後から壮年の男が青年に声をかける。

「ご当主。用意ができました。……本当にいかれるのですか?」

「まあな。とりあえず出てくる」

「ですが、まだ鐘はなっていませんが……」

 彼は、年老いた従者に向かって不敵に微笑んだ。鮮やかに輝く紫の瞳が凶暴な瞳を帯びる。


「準正装だ。……何、前借するくらいならギリギリルール内だろう? なあ」

できるだけ早く次話を投稿すると言っておきながら、遅くなりました。大変失礼しました。

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