白のマシュー
カチカチカチ。午後十時を過ぎた。
ぐうと、お腹が叫ぶ。食べものを探し求めてぐるぐる回る。いつもなら六時に夜ご飯を食べるはずだけど、あたしのお腹はからっぽ。
ご飯の前にお菓子を食べてはいけません。何も食べなかった。お母さんとお父さんが帰ってきたらすぐにご飯だ……と思って五時間以上が経った。
カップラーメンがあることは知っているけれど、危ないから I Hのコンロを使ってはいけないよと言われていたし、お湯の沸かし方もわからない。結局何も食べることができなかった。
「まだかなあ」
お母さんとお父さんは、午後から一緒に買い物に行くと言って、出かけたきりだ。小学校一年生のあたしが友達と遊んでから帰ってきた五時ごろ、もう帰ってきていると思ったら誰もいなかった。テレビを見るのは夜ご飯を食べてからというルールなのでそれを守って、テレビも見ずに宿題をしていた。
「お腹すいた」
もしかして、あたしを一人置いて、二人で家出しちゃったのかもしれない。頭の中にそんな考えが浮かぶ。いいや、そんなことはない。あたしのことは大好きだって思ってくれてるに決まっている。あたしは悪いことなんてしていない。ちょっとイタズラして怒られたことはあるけれど、それはもっと小さいころの話だもん。
なら……。どうして帰ってこない?
お母さんとお父さんが帰ってきたら、ぎゅっと抱きしめてもらうんだ。遅かったから寂しかったって。きっと泣き出しちゃうかもしれない。赤ちゃんじゃないでしょって言われるかもしれない。けれどそんなのどうだっていい。
ひんやり冷たかった。あたしはまたソファの上でダンゴムシのように丸まった。
……だれでもいいから、そばにいてほしい。早く、早く帰ってきて。
「ゆいちゃん」
えっ?
空耳だろうか。今、自分の名前を呼ぶ声がしたような。
「ゆーいちゃん」
だれ?
首を大きく振って辺りを見回す。
「ふふふっ、そんなにブンブン頭を動かしたら、ぼくに当たっちゃうよ」
「だ、だーれ?」
あたしが声がした方を向こうとしたとき『何か』が見えた。思わず「あっ」と声を上げてしまった。
白くて、丸いボールを少しつぶした楕円形のもの。生き物なのか、ぬいぐるみなのか、よくわからないけれど、それがプカプカと宙に浮かんでいる。ちゃんと顔があって、目はまんまるで黒色。顔と体がいっしょになっている、一頭身ってやつ。左と右からは小さな小さな手が見えた。手はあるのに、どうやら足はなさそうだった。
ふふふっと目を細めて、その白いものは笑い出す。ちゃんと表情があって気持ちもあるんだよって、その表情が教えてくれる。
「驚かしちゃったね。ごめんね」
こう言いつつ、いたずらっぽく笑う。
「あの……あなた、なぁに?」
だぁれときく前に、聞きたいこと。あたしは両目をゴシゴシこすった。
「なんだと思う?」
「おばけ?」
白いものはついに声を大きくあげて笑った。時計の音と、ときどき鳴る自分のお腹の音なんてかき消えて、白いものの笑い声が部屋中に元気よく響いた。
「そうだなあ、ぼくの体をさわってごらん」
白いものに触れようとするとき、あたしの手がちょっぴり震えていた。指先を、ちょこん、と白いものにあててみる。
「あっ」
やわらかな毛並み。動物の赤ちゃんのよう。体温なのか、じんわりとあたたかさが伝わってきた。白いものをなでてみる。くすぐったそうな表情で照れ笑いして目がほころぶ白い生き物。ふかふかで、モフモフで、気持ちいい。
「ぬいぐるみみたい」
胸がじんわりと温かくなった。白いものを両手で触れようとしたとたん、あたしの胸に急に飛びこんできた。
ふわっと広がる、あたたかくてやわらかいもの。胸にすっぽり収まって、寒さがどこかに消え去っていく。なんだかお母さんの温かさとそっくりだ。
はなしたくない。
……ずっと、ここにいてほしい。
「ゆいちゃん、ずっと一人でいて、さびしかったね」
やさしい声で語りかけてくるのは、まるで、お父さんが言いそうな言葉。
小さな小さなやわらかい手が、そっと動いてやさしくあたしをなでてくれる。しゃくりあげ始めたあたしに。
「ぼくがずっとそばにいる」
えっ、とあたしは顔を上げかけた。
「ぼくがそばにいる」
腕の力をすっと抜いて、白いものの顔を見た。うそなんて言っていない、にこやかな笑みであたしを見ている。
「ほんと?」
全身を使って、コクリとうなずいた。
「ゆいちゃんが悲しいときも、つらいときもね」
あたしは白いこの子をずっと両手で抱えていた。一時もこの子自身からあたしのもとを離れようとはしなかった。そっと手を離そうとすると、白い子はふわりと浮きあがった。涙でぬれたあたしの目を白い子はじっと見つめてくる。クリクリの丸い目。そして、にこっとほほえみかける。もう安心して、いいんだよ。そう言われているよう。
「ねえ」
ずっとそばにいてくれる存在。この子は、一体何なのだろう……と、やっぱり気になって、訊こうとしたけれど、言葉につまってしまった。まずそれを訊く前に、なんて呼べばいいんだろうと、新たななぞが出てきた。
「君はなんていう名前?」
「名前? うーん」
白い子は体ごと動いて首をひねる。
「ぼく、名前はまだないんだよ」
びっくりだ。あたしは生まれた時から『ゆい』って名前がつけられたのに。
「えっ? ないの?」
「だから、ゆいちゃんがつけていいよ」
「そうだなぁ」
白い子のことを、あたしはじーっと見つめてみた。真っ白でふわふわで丸い形。こんな形のものを、どこかで見たことがある。
「君って、マシュマロみたい」
だから名前は……。
「マシュマロをもじって『マシュー』ってどう?」
白い子は細い目でうれしそうにほほえんで、体ごとうなずいてみせた。
「もちろんいいよ」
白い子、改めマシュー。名前は決定だ。
グー。リビング中に響くくらいの音が鳴ってしまった。
「ゆいちゃん、ずっと食べてなかったからお腹空いてるんでしょ」
見透かすようにマシューはあたしを見た。あたしはお腹をさすってコクリとうなずいた。
「なんにも食べてないの。でもお料理なんて作り方わかんないし、お湯の沸かし方だって知らない」
マシューはあたしの言うことに、うんうんと頷きながら聞いてくれていた。
「じゃあ、ぼくが教えてあげる!」
台所に向かって飛んでいった。ふり返って小さな手であたしに手招きする。
「カップラーメンがあるね。早く食べたいだろうし、これにしよっか」
台所に入るなんて、ほとんどなかった。入ってもお母さんと一緒だったし、包丁なんか触ったこともなければ I Hのスイッチに触れたことさえなかった。整理整頓された戸棚を眺めて、マシューはすぐにカップラーメンを見つけ出した。ようやく台所に入ったあたしは、マシューが小さな手で示す縦長のカップラーメンを取り出した。
「やかんに水を入れて」
「うん」
赤いやかんをとり出して、ふたを開けて、水を注ぎ入れる。ジャーッと勢いよくやかんに入っていく。
「ストップ!」
やかんの半分にもいかない量でマシューは言った。びっくりしてあたしはすぐに止めた。
「このくらいで十分だよ。あんまり多いと沸くのに時間がかかるんだ。早く沸かしたいからね」
……マシューって、人間みたいにいろいろ知ってるな。
やかんに水が入ると重くなって慎重に持つ。たぶん次は火にかけるんだろうと思って、あたしはコンロの上まで運んだ。
「そう。コンロの上に置いたら……あっ左にずれてるよ」
あわてて右に動かす。コンロの中央と、やかんの中央が同じになるようにっと。
「次はスイッチを入れないとね」
うーんとマシューはコンロの下のボタンをながめる。あたしも見てみた。 I Hコンロには何個かのボタンが付いている。どうやら火力には8段階あるみたいで、チャイルドロックや揚げ物用という文字もある。どれを押せばいいんだろう。
「電源ボタンを長押ししてみて。一秒より長く押すんだよ」
指はふるえていた。初めて自分で火をつける。言われた通りに、押し続けた。ピロンと音がなった。お母さんが料理するときよく聞く音だった。
「次は『中』のボタンを長押しして、スタートだよ」
あたしはマシューの言葉を信じて、またボタンを押した。点灯はしたけれど、何も変わらないように見える。ついているか確かめようと手を伸ばした。
「触っちゃだめ! 火がついたら、危ないからそのままだよ。大丈夫」
これでやかんの水は温まっているんだ。
「少しずつ温まっていくよ。それで、ぶくぶくしてきたら沸いた証拠なんだ。まだみたいだからカップラーメンの準備をしようか。目を離してもいいけど、時々確認しようね」
「わかった!」
あたしはやかんのそばにいながら、調理台の上にカップラーメンを置いた。カップを見回して『作り方』を探す。見つけた、小さな字で見にくい。
「ゆいちゃん、上のふたを真ん中まで開けるんだよ」
なかなか動けなかったあたしのそばでマシューが呼びかける。なるほど、そういうことか。マシューが教えてくれた通り、紙のふたを真ん中まで開けた。ふわっといい香りがただよう。乾ききっためんの上に具材がたくさん入っていた。
やかんがぼこぼこと音を立て始めた。
「もういいみたいだね。これを『沸騰』って言うんだよ。ゆいちゃん、コンロのスイッチを消して」
えっとえっと……とあたしは慌てた指でオフと書かれたボタンを押した。火は消えた。同時にやかんの泡も静かになった。
「お母さんがいつも使っている、これこれ」
マシューの小さすぎるかわいい手は、大きな手袋のようなものを指していた。あたしの手の三倍はありそうな、厚い生地の手袋。そういえばお母さんは、これを手にはめてやかんを持ったりお鍋を持ったりしていた。
「これでやかんを持たないと、やけどしちゃうからね」
火で熱されたやかんは、取っ手の部分でも熱々だろう。注ぎ口を、カップラーメンの上に持っていき、震えながらお湯を注ぐ……。
「線までだよ、薄い線」
こぼさないように、こぼさないように、気をつけながら。カップラーメンに食べ物の命を吹きこむ感じ。
「ふたを閉めてね。やかんのふたで押さえよう」
あたしはやかんのふたをカップラーメンの上に置いた。ふたも開かなくなったし、湯気も上がらなくなった。
「これで三分待つんだよ。ここに時計があるね」
お母さんが、料理するときには時間が大事って言っていた。どこで測っているんだろうと思っていたら、ほんとだ、シンク上の台に時計が置いてあった。手のひらサイズで、色はお母さんが好きなピンク色だった。
「三分だね」
ちょうど今、秒針が「十二」を過ぎたところだ。これが三回「十二」を過ぎれば三分だ。
ジー。
あたしは時計の針をじっと見る。だって、見逃して一周回ってたら大変じゃない。
ちらりと横を見るとマシューも時計とにらめっこ。
あたしも負けじと真剣に見つめた。いや、こんなことでマシューと競争してもおかしいんだけど、なんだかマシューの顔がおもしろくって。マシューもあたしのことをちらちら盗み見してるみたい。……あたしたち、時計とにらめっこしていたんじゃなくて、あたしとマシューとでにらめっこしていたのかな?
「もう、なぁに、マシュー」
あたしがひじでマシューをほんのちょっと小突いてみた。マシューの白くてふわふわした毛があたたかかった。
「ぼくはゆいちゃんの真似をしてたんだよ」
笑い混じりの明るい声が高らかに響く。
「ほらほら、遊んでいたらもう三分だよ」
やかんのふたをとってみると隙間から湯気と一緒に、そこからはこの世で三番目に待っていたものの匂いが漂ってきた。スープの、ラーメンの、とってもおいしそうな匂いが、鼻に、口に入ってきた。思いっきり匂いを吸いこんだ。お腹がグーと大きな音を立てた。早くそれをくれと叫んでいるようだった。およそ十時間ぶりのごはん。
カップラーメンのめんは、あっというまになくなっていった。あたしは口いっぱいにほおばり、とにかくすすり、よく噛む前にのどに流しこんだ。まだスープは熱々。それも関係ない。舌が熱さを感じるより前に、めんにからんだスープのしょうゆ味がふわっと広がった。ズルズルッと、お父さんと同じような豪快な食べ方。お母さんはお父さんに「テーブルに飛び散るでしょ」と言って笑っていた。あたしもお母さんに言われちゃうかな。
マシューはにっこりと笑いながらあたしを眺めていた。
食べ終わったところでソファに座った。
「テレビでも見ようかな。この時間は何やってるんだろ」
ご飯を食べたらいつもはテレビを見る。リモコンでテレビをつけた。こんな時間につけたことなんてない。
おもしろい番組でもやっていないかなー。
と、思ったけれど、ちょうどニュースの時間みたいだ。
アナウンサーの男の人が一人画面に映っている。
『では、次のニュースです』
それまで明るい顔をしていた男性アナウンサーは持っていた紙に目を落とす。みるみるうちに暗く真剣な表情に切り変わった。明るさを出してはいけない、そう言いたげな様子で、もの悲しそうな目をあたしに向けた。低い声でニュースを読み上げ始める。
『今日の夕方五時ごろ、市内の国道8号線で、対向車が正面衝突する事故が発生しました。原因は七十代男性が運転していた車が逆走したことだと、警察への取材により判明しました。この男性は意識不明の重体で、回復し次第事故の詳しい原因を追求する見通しです。一方この事故により、乗用車に乗っていた会社員田中秀太さんと妻真広さんは搬送先の病院で死亡が確認され…………」
あれ? お父さんとお母さんとおんなじ名前……?
ガチャッと、扉の開く音がした。
「ゆい! ゆい!」
のどのもっと奥から必死でだれかが声を上げている。
「ゆい! いる? 返事して!」
はあはあと荒い息づかいも聞こえた。あたしは自分の名前が呼ばれていることに気がついて、声を出そうとした。だけど、出ない。あまりに突然、玄関のドアが開け放たれ「ゆい」というあたしの名前を何度も何度も叫ばれて、体が固まるほど驚いてしまっていた。誰の声なのか頭が必死で思い出そうとする。
「ゆい!」
あたしのお父さん側の叔母ちゃんだった。この家から車で二時間くらいの田舎に住んでいて、お盆とお正月に会って、クリスマスや誕生日のときにはプレゼントをくれる。叔母ちゃんは明るくって元気よくって、いつもあたしと一緒に遊んでくれるから大好きだ。
それでも一瞬だれなのかわからなかった。あたしを見つけた叔母ちゃんは、肩で息をして、大声を張りあげて、目を大きく見開いて、顔を真っ青にしていたから。こんな叔母ちゃんは見たことがなかった。顔に血の気はなかった。
「ああ……ゆい、よかったぁ」
びっくりしてためらっているあたしの目を見ると、叔母ちゃんの体は膝から崩れおちた。あたしを必死で呼んでいたすべての力は一瞬にして消えてしまい、もう二度と叔母ちゃんの体に戻ってこないかのように思えた。
「……どうしたの? どうしてここにいるの?」
足はまだ動けずに固まったままだった。少し離れていても、それでもわかる。
そして、なぜか、叔母ちゃんは泣いていた。
「来るのが遅くなってごめんね、もういろんなことがあって」
「叔母ちゃん?」
「ゆい……なんで」
「叔母ちゃん、大丈夫?」
ようやくあたしの足は言うことを聞いてくれた。お父さんとお母さんがよくやってくれたように背中をさすってあげなきゃ。
「秀太お兄ちゃんと真広お姉さんが……なんで……」
叔母ちゃんは、あたしがたどり着くまでに、よろよろと立ち上がった。手で両目をこすり、あたしに笑みを向けてくれたけれどカラカラだった。
「叔母ちゃんは、大丈夫」
そう言って、見え透いたウソをついた。
よろけた体を支えるように、叔母ちゃんは壁や家具をつたってソファへともたれかかった。ずいぶん疲れているように見えた。
「叔母ちゃんが急に来るなんてどうしたの? 何かあったの?」
なんだかいやな予感がする。カチ、カチ、カチ。時計の音が耳に入る。答えはすぐに返してこなかった。
「今から行くところがあるから、ゆいも一緒に行こ」
「行くところ?」
「そう。でもその前に、ゆい、ご飯は食べた? こんな時間になったからなんか食べた?」
えっ? 急に聞かれてびっくりした。でも落ち着いて答える。
「えっと、食べたよ。カップラーメン」
叔母ちゃんは口元だけつり上げてにこりとした。あたしの知っている叔母ちゃんの笑い方じゃない。
「よかった。お湯を一人で沸かせたんだね」
一人じゃない。とっさにそう思った。そういえばマシューは?
「ゆい、どうかした?」
もっと落ち着いて探そう。知らない人が急に来てびっくりして隠れたのかもしれない。
「ずっと一人でお留守番してたんだね、ゆい。えらいね」
あたしはすぐ言った。
「ずっとじゃないよ。マシューがいてくれた」
キョトンとする叔母ちゃん。
「マシュー? 誰? えっと、ゆいのお友達かな?」
あたしのお友達? お友達か。そっか、マシューはあたしの友達だ。あたしは大きくうなずいた。
「そう。あたしのお友達が来たの。今もいるよ」
「今も? どこに?」
叔母さんの大きく開いた目が、あたしをのぞく。
「……びっくりする?」
「だって……叔母さんは今、ゆいしか見えないから。他の子なんていないと思うけど」
叔母ちゃんは辺りを見回す。
「白くて、丸くて、かわいいんだよ。マシューっていうの」
「……マシュー?」
大きく見開いた瞳はずっと止まったまま。まばたきさえ忘れてしまっているようだった。
「……そっか」
叔母さんはほっと息をつく。そしてつぶやいた。
「お兄ちゃんと真広さんが、心配になって会いにきてるのかもね」
あたしはリビング中に響く声で言いながら、辺りを見回した。
「マシュー、あたしの叔母ちゃんだよ。どこにいるの?」
返事はなかった。
「マシュー?」
前も後ろも、右も左も、探してみた。白くて丸くてふわふわしていて温かいマシュー。
「どこ? あれ? どこ行っちゃったの?」
見回しても見つからない。
「そばにいてくれるって言ったじゃん!」
どこに行っちゃったんだろう。
──ゆいちゃん──
「あ、マシュー!」
どこからか声が聞こえた気がしたけれど、周りを見てもだれもいなかった。
──ゆいちゃんなら、大丈夫。きっと大丈夫だから──
「マシュー?」
声だけが聞こえる。しかも、声が耳の中で聞こえて頭の中に届くような、変な聞こえ方で。いろんなところに顔を向けてもやっぱりマシューは見えない。
──見えなくなっても、ぼくはゆいちゃんのそばにいるよ──
はっきりと言い切る、マシューの言葉。
「見えなくなっただけ? そばにいる?」
──そう。ぼくは見えないだけで、ずっとそばにいる。……お母さんも、お父さんも──
ただやわらかい風がふわりと吹いただけ。窓も開いていないのに。
「そばにいる……?」
マシューはあたしのそばにずっとずっといてくれる。そして今、マシューは『お母さんとお父さんも』と言ったような。なぜそんなことわかるんだろう。
叔母ちゃんが目の高さを合わせてこっちを見ていた。
「マシューちゃんはそばにいるって?」
「うん。お父さんとお母さんもって」
「……そうだね。ゆいのことは誰も一人にしないよ。マシューちゃんも。……お父さんもお母さんも。もちろん叔母ちゃんもね」
信じたい。あたしは一つうなずいてみせた。
「じゃあ、叔母ちゃんと行こ」
叔母ちゃんと手を繋ぐ。
すると肌にふわりと触れるような、やさしくてあたたかいそよ風が、そっとあたしのことをヨシヨシとなででくれた。
完
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