第9話 友達のふりが、こんなに下手だったなんて
1
展覧会から一週間。千紗からLINEが来るようになった。
銀杏の写真。画材の話。近況報告。三日に一回が、一日に一回になった。
ただの——再会した幼馴染同士の、普通のやり取り。そのはずなのに。千紗からのメッセージが来るたびに、心拍が上がっている自分がいた。
2
実家に帰省した週末。ゴミ出しで千紗と鉢合わせた。寝起きの千紗。パーカーにジャージ。ノーメイク。パーカーの下のシルエットは相変わらず。
千紗が俺の寝癖に手を伸ばしかけた。——五センチ手前で止まった。
「——ごめん。癖で」
「……寝癖、直ってるか」
千紗がゆっくりと手を伸ばした。指先が俺の後頭部に触れた。跳ねた毛を、そっと押さえる。
「……直った」
顔が赤かった。耳まで。
3
千紗のLINEの質が変わった。「俺」に向いた内容に。
【千紗】和泉くん、最近コーヒーはブラック派?
【千紗】駅前のラーメン屋、覚えてる? まだあったよ
すべてに「和泉くん」が含まれている。すべてが俺と千紗の共有記憶に紐づいている。
十二月。カフェでスケッチを見せてもらう。
「……和泉くんに見られると、線がぶれる」
「……ごめん」
「……謝らないで。ぶれるのが——嫌じゃないから、困ってるの」
千紗が自分で言って、はっとした。「今の、忘れて」
「忘れない」
「……意地悪」
「千紗」
「……ん」
「線がぶれるの、見てみたい」
千紗が目を潤ませた。
「……ずるい。彼女いるくせに、そういうこと言うの——ずるいよ」
4
四月。千紗が美大を卒業し、実家に戻ってきた。再び「隣の家」に。
朝、ゴミ出しで会う頻度が増えた。千紗がTシャツ一枚で洗濯物を干している。
「頑張ってね。和泉くんなら大丈夫だよ」
「……ありがとう」
「うん。いってらっしゃい」
高校時代と重なった。
5
五月のある夜。窓をコンコンと叩く音。千紗がキャミソールにカーディガンで隣の窓から身を乗り出していた。
「……描いてたら、煮詰まっちゃって。和泉くんの部屋の明かりが見えたから」
「……それで窓を叩いた」
「……声が聞きたくなった」
窓越しの会話が、一度きりでは終わらなかった。
ある夜、千紗がゆっくりと手を前に伸ばした。俺のいる方向に向かって。二メートルの虚空に向かって。届かないとわかっている手を。
「……千紗」
「ごめん。今のなし。なんでもない」
千紗が窓を閉めた。明かりが消えた。
俺は暗くなった隣の窓を見つめていた。千紗の伸ばした手が、瞼の裏に焼きついて消えない。
6
千紗がSNSに新作をアップした。夕暮れの河川敷。中央に空のベンチ。横に二つの缶ジュース。片方は飲みかけ。もう片方は未開封。
キャプション——「ある人に構図のアドバイスをもらって描いた作品です。夜中にその人と話したら見えてきました。ありがとう」
スマホの画面に、二つの通知が並んでいた。千紗のSNSと、乃愛のLINE。
二つの温度が、画面の中で隣り合っている。




