表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/15

第1話 十二年目の隣人

幼馴染の彼女が発育良すぎて目のやり場に困るが、本人は俺にだけ無防備すぎる件

─── 第1話 十二年目の隣人 ───


1

朝というものは、だいたい不意打ちでやってくる。

特に四月の朝は質が悪い。春の陽気が布団の中の温度をちょうどよく保ってしまうせいで、目覚ましが鳴っても「あと五分」が三回は続く。人類がスヌーズ機能を発明したのは、間違いなく四月のせいだ。

そして俺——和泉悠真いずみ ゆうまにとって、四月の朝にはもうひとつ、逃れられない「不意打ち」がある。

ピンポーン。

……来た。

ピンポーン、ピンポーン。

「…………」

ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン——

「うるっせえ!!」

布団を蹴飛ばしてリビングに駆け込み、インターホンのモニターを見る。

映っていたのは、栗色のゆるふわロングヘアに、柔らかそうな頬。少しだけ眠そうな琥珀色の瞳。そして——制服のブラウスが明らかに悲鳴を上げている、圧倒的な胸元。

朝日を浴びて微笑むその姿は、どこぞの美少女ゲームのヒロインが画面から出てきたかのようだが、残念ながら現実である。むしろ現実のほうがタチが悪い。だって画面越しなら目を逸らせるが、生身の幼馴染はそうもいかない。

「おはよう、ゆうくん。開けて」

天野千紗あまの ちさ

俺の隣の家に住む幼馴染であり、今年から同じ高校二年のクラスメイト。

幼稚園からの腐れ縁は今年で十二年目に突入する。

玄関を開けると、甘いシャンプーの香りがふわりと押し寄せてきた。

「おはよ……って、まだパジャマ?」

千紗が俺の格好を見て、呆れたように——でもどこか嬉しそうに笑う。

「お前がインターホン連打するから飛び起きたんだよ」

「だって、ゆうくんスヌーズ三回は押すでしょ。知ってるもん」

「…………」

反論できない。十二年の蓄積は恐ろしい。俺の生活パターンが筒抜けである。

「はいこれ、お母さんから。卵焼き多めに作ったからって」

千紗が差し出したのは、小さなタッパーに入った卵焼き。天野家特製の、少し甘めのやつ。ガキの頃からこの味で育った舌は、もはやこれなしでは朝が始まらない体になってしまっている。

「……サンキュ」

「えへへ」

千紗が笑うと、目元がくしゃっとなる。この笑い方は昔から変わらない。変わったのは——いや、やめよう。朝から意識するとこの先一日がもたない。

「着替えてくるから、リビングで待ってろ」

「はーい。あ、ゆうくん」

「ん?」

「寝癖、すごいことになってるよ」

千紗が手を伸ばして、俺の後頭部をぽんぽんと撫でた。その拍子に、制服の胸元の布地が引っ張られて——

「っ——」

「? どうしたの?」

「いや、何でもない。着替えてくる」

逃げるように自室へ戻る。

心臓がうるさい。

……朝から心拍数が上がるのは健康にいいんだろうか。たぶん良くない。


2

俺と千紗の関係を説明するには、少し時間を巻き戻す必要がある。

最初の記憶は、四歳のときだ。

隣に引っ越してきた天野家には、同い年の女の子がいた。おかっぱ頭で、泣き虫で、俺の後ろにいつもくっついていた。

「ゆうくん、まって——」

千紗はとにかく走るのが遅かった。公園で鬼ごっこをすれば真っ先に捕まり、べそをかく。そのたびに俺が「もう一回やろう」と言って、わざと遅く走ってやった。

「ゆうくん、やさしい」

「べつに。お前が遅すぎるだけ」

「えへへ」

あの頃の千紗は、ひょろひょろの体に大きな目がついた小動物みたいだった。

——それが、どうしてこうなった。

中学二年の夏あたりから、千紗の身体は明確に「変わった」。

最初に気づいたのは、夏祭りの浴衣姿だった。帯の上にはっきりとした膨らみがあって、俺は金魚すくいのポイを握ったまま三秒ほどフリーズした。千紗本人はまったく気にしていない顔で「ゆうくん、りんご飴買って」とか言っていた。

中三になる頃には、同級生の男子たちがざわつき始めた。

「なあ和泉、天野さんってお前の幼馴染だろ? 紹介してくんない?」

「天野さん、マジでスタイルやばくない? モデルとかやってんの?」

そのたびに俺は「知らね」と素っ気なく返した。何がスタイルだ。あいつは俺の前で鼻水垂らして泣いてた女だぞ。

——という理論武装は、高校に入ってから完全に瓦解した。

高校の制服はブレザーにブラウスなのだが、千紗が着ると、もはや別の衣服になる。ボタンとボタンの間に微妙な隙間が生まれ、ブレザーを羽織っても前を閉じると布地が悲鳴を上げる。本人は「また制服きつくなっちゃった……」と困った顔をしているが、周囲の男子は困った顔どころの騒ぎではない。

そして何より困るのは——千紗が、俺に対してだけ異常に無防備だということだ。

隣に座れば肩が触れるほど寄ってくる。

寝癖を直すと言って顔を近づけてくる。

「ゆうくん暑くない?」と言いながらブレザーを脱いで、ブラウス一枚になる。

俺だけがこの世界の難易度をハードモードに設定されている。


3

通学路。

四月の桜が八分咲きの並木道を、俺と千紗は並んで歩く。これも十二年来の日課だ。

「ねえゆうくん、今日から新しいクラスだね」

「ああ」

「同じクラスだといいなあ」

「去年も一緒だっただろ。さすがに二年連続は——」

「えー、やだ。ゆうくんと違うクラスとか考えられない」

千紗が俺の腕にしがみつく。

——柔らかいものが、腕に、当たっている。

物理法則に従って変形するそれの存在感は、制服越しでも圧倒的だった。

「ちょ、千紗。離れろ」

「やだ」

やだ、じゃない。

「なんで? 昔はずっと手ぇ繋いでたじゃん」

「昔と今は違うだろ」

「なにが違うの?」

——何が違うか言えるわけないだろ。

俺が黙ると、千紗は不思議そうに首を傾げた。そのとき、朝の風が桜の花びらを巻き上げて、千紗のロングヘアをふわりと揺らした。

花びらが一枚、その髪にとまる。

「……ゆうくん? どうしたの、ぼーっとして」

「……花びら、ついてる」

手を伸ばして、千紗の髪から桜の花びらを取る。指先が耳に触れた瞬間、千紗の頬がほんのりと赤くなった。

「……ぁ」

「ん、取れた」

「…………ありがと」

さっきまでの勢いはどこへやら、千紗は急にうつむいて、俺の腕から手を離した。

——こういうところが、困るんだ。

無防備に距離を詰めてくるくせに、ふとした瞬間に照れる。そのギャップに俺の心臓が対応しきれない。たぶん年間の心拍数でいえば、俺は同年代の平均を大幅に上回っている。幼馴染手当を請求したいくらいだ。


4

教室。クラス発表の掲示板の前は、すでに人だかりができていた。

俺は人混みの後ろからつま先立ちで覗き込む。二年三組——和泉悠真。あった。

「ゆうくん! ゆうくん!!」

背後から千紗が飛びついてきた。背中に、柔らかくて重みのある感触がダイレクトに伝わる。

「わたしも三組!! やったあ!!」

千紗が俺の背中に顔をうずめて、ぎゅうっと腕を回す。周囲の視線が一斉にこちらに集まるのがわかった。

「おい、離れ——」

「やだ、嬉しいんだもん。ゆうくんと一緒がいいってお願いしたのが通じたのかな」

「誰にお願いしたんだよ」

「神様」

「……」

その「神様」が叶えたのは願いではなく、俺の試練だと思う。

「おーおー、朝からイチャついてんなぁ」

声の方向を見ると、中学からの友人・柳瀬健吾やなせ けんごがニヤニヤしながら立っていた。

「イチャついてない」

「天野さんがお前の背中に張り付いてる状態を、世間ではイチャつくと言います」

「……千紗、いいから離れろ」

「もうちょっとだけ……ゆうくんの背中、あったかい」

健吾が「はいはい、ごちそうさま」とわざとらしく手を合わせた。殴りたい。


5

新学期初日のホームルームが終わり、昼休み。

俺が購買でパンを買って教室に戻ると、自分の机の上に弁当箱が置いてあった。桜色の風呂敷に包まれた、二段重ねの弁当箱。

「千紗」

「なに?」

隣の席(当然のように隣を確保している)から千紗が顔を上げた。

「……これ」

「お弁当だよ。ゆうくんの分も作ったの」

さらっと言うが、その弁当箱はけっこう大きい。明らかに男の量を想定して作っている。

「お前、自分の分だけでいいって言っただろ」

「だって、ゆうくんいつも購買のパンばっかりじゃん。栄養偏るよ?」

「……」

「それに——」

千紗が少しだけ声を小さくした。

「ゆうくんに美味しいって言ってもらいたくて、朝四時半に起きて練習したの。……迷惑、だった?」

上目遣い。潤んだ琥珀色の瞳。

勝てるわけがない。十二年間、俺はこの目に一度も勝ったことがない。

「……いただきます」

「! やった!」

千紗が満面の笑みで自分の弁当箱を広げる。

風呂敷をほどくと、中には色とりどりのおかずが詰まっていた。唐揚げ、だし巻き卵、ほうれん草のおひたし、タコさんウインナー、ミニトマト——そしてご飯の上に、海苔で「ゆ」の文字。

「…………」

「えへへ、ゆうくんの『ゆ』だよ」

「見ればわかる」

恥ずかしさを誤魔化すように唐揚げを口に入れる。

——美味い。外はカリッと、中はジューシー。下味がしっかり染みていて、冷めてもちゃんと美味い。四時半起きの努力が、ちゃんと味に出ている。

「……美味い」

「ほんと!?」

千紗が身を乗り出した。乗り出した拍子に、机の上に乗ったそれが——いや、もう言うまい。

「ほんとにほんと? お世辞じゃなくて?」

「お世辞でこの唐揚げの味は出ない」

「えへへへへ」

千紗が両手で頬を押さえて、くにゃりと笑った。幸せが顔から溢れている。

——これは。

毎日作ると言い出すパターンだ。俺にはわかる。

「じゃあ明日も作っていい?」

ほらな。

「……好きにしろ」

「やった! 明日はハンバーグにするね。ゆうくん、デミグラスと和風どっちがいい?」

「…………和風」

「了解! あ、じゃあ大根おろし多めにするね。ゆうくん、大根おろし好きでしょ? 小学校のときの給食で——」

「覚えてんのかよ、そんなこと」

「ゆうくんのことは何でも覚えてるよ?」

——何でもない顔で、とんでもないことを言う。

健吾が遠くの席から双眼鏡のジェスチャーをしてこちらを見ている。あとで蹴る。


6

放課後。

部活のない俺は、そのまま千紗と一緒に帰ることになった。これもいつものことだ。千紗は美術部だが、初日はミーティングだけで終わったらしい。

夕暮れの通学路。朝とは違う色に染まった桜並木を、二人で歩く。

「ねえ、ゆうくん」

「ん」

「今日のクラス、どうだった?」

「まあ、普通だな。健吾もいるし、やっていけるだろ」

「……わたしは」

「ん?」

千紗が立ち止まった。夕陽が横顔をオレンジに染めている。

「わたしは、ゆうくんがいるだけで最高のクラスだよ」

真っすぐな目。

冗談でも、軽口でもない。本気の温度が、その言葉には込もっていた。

「……なんだよ、急に」

声が上ずった。

「急じゃないよ。いつも思ってることだもん」

千紗がまた歩き出す。半歩先を歩くその背中は、夕陽のせいか、少しだけ寂しそうにも見えた。

「ゆうくんは……わたしと同じクラスで、嬉しくなかった?」

背中越しの声が、かすかに震えている。

俺は、一歩大きく踏み出して千紗の隣に並んだ。

「嬉しいに決まってんだろ」

声に出してから、自分でも驚いた。思ったより素直な言葉が出た。

千紗が振り返る。目が大きく見開かれていて、夕陽を反射した琥珀色の瞳がきらきらと輝いている。

「……ほんと?」

「嘘ついてどうする」

「えへへ……えへへへ」

千紗がくしゃっと笑って、俺の腕に再びしがみついた。柔らかい感触が腕全体を包む。だがもう、振りほどく気にはなれなかった。

「じゃあ、今年も隣にいていい?」

「……いつも勝手にいるだろ」

「勝手じゃないもん。ちゃんと許可がほしいの」

千紗が俺の腕をぎゅっと抱き締めた。その力は、小さかった頃に手を握ってきたときと同じ、必死さがあった。

「……ああ。いていいよ」

千紗の指が、俺の袖をきゅっと掴んだ。

「……ずっと?」

「……ずっと」

桜の花びらが、二人の間を風に乗って流れていく。

千紗が俺の肩に頭を預けた。さらさらの栗色の髪から、甘いシャンプーの匂いがする。

——こうやって歩くのは、何百回目だろう。

同じ道。同じ並木。同じ隣。

なのに今日は、何かが違う気がした。

いつもの帰り道が、いつもより長く続けばいいと、初めて思った。


7

帰宅後。

自室のベッドに倒れ込んで、天井を見上げる。

千紗の顔が、何度もフラッシュバックする。

朝のインターホン越しの笑顔。

桜の花びらを取ったときの、赤くなった頬。

弁当の「ゆ」の海苔文字。

夕陽の中で「ゆうくんがいるだけで最高」と言ったまっすぐな目。

——やばい。

自覚はしていた。たぶん、ずっと前から。

千紗は幼馴染だ。家族みたいなもんだ。そう言い聞かせてきた。だけど家族に対して、こんなに心臓は鳴らない。家族の制服姿に目のやり場を失ったりしない。家族が他の男と話しているのを見て、腹の奥がざわついたりしない。

——気づかないふりにも、そろそろ限界が来ている。

スマホが震えた。LINEの通知。

【千紗】明日のお弁当、和風ハンバーグ!大根おろしたっぷりにするね

【千紗】あと、玉子焼きは甘いのとしょっぱいの、どっちがいい?

【千紗】ゆうくーん?寝ちゃった?

【千紗】寝てたらいいよ!甘い方にするね。ゆうくん甘いの好きだもんね

【千紗】おやすみ、ゆうくん。また明日ね

——五連投。

「…………好きだよ、ばか」

天井に向かって呟いた言葉は、誰にも届かないまま、四月の夜に溶けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
いいよねこういうの(語彙力)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ