ざまぁが溢れる世界の悪役令嬢に転生しました。〜全力でざまぁを回避したいので、殿下は私に関らないでください!〜
ミネル・ヴァリエールが言葉をはっきりと理解し、使えるようになったのは、二歳になったばかりの頃だった。
「わたち、てんちぇいちたのね!」
舌足らずな発音でそう口にした瞬間、彼女の内側では、はっきりと“前世の記憶”が蘇っていた。
——道中小春。
三十代手前まで働き続け、残業と数字と理不尽に囲まれた、ごく普通の社畜。
その小春が、今は侯爵家令嬢ミネル・ヴァリエールとして生きている。
それ自体は、正直に言って喜ばしい出来事だった。
社畜時代で唯一の楽しみは通勤時間に読む異世界物の恋愛小説だった。
そんな前世に憧れた生活が、手に入ったのだ。
だが、転生直後に問題は発覚した。
姿見に映る赤髪と翠眼を見た瞬間、小春——否、ミネルは悟ってしまった。
(……待って、あかん。これ、あいつやん)
彼女は思い出していた。
それはかつて、一番と大好きだったと言っても過言ではなかった、ざまぁ展開が売りの恋愛小説。
その中でもひときわ性格が悪く、読者からも作中人物からも容赦なく断罪される存在。
『悪役令嬢オブ悪役令嬢』や『ゴミクズ女(さすがに言い過ぎだと思う)』など呼ばれていた作中でと生粋の性悪令嬢——ミネル・ヴァリエール。
(よりにもよって、いちばん救いようのないキャラクターやん……)
作中に出てくるこの世界は、貴族社会の歪みが激しく、身分や立場による差別が当たり前に存在する。
少しでも立ち回りを間違えれば、婚約破棄、断罪、追放、そしてざまぁのイベントが即座に発生して、読者をスカッとさせてくる。
基本的に自業自得なキャラクターばかりなので、同情の余地はないのだが……。
自分がざまぁされるのは、当たり前だがすごく怖い。
まだ言語を覚え始めたばかりだったのが、不幸中の幸いだった。
(社交界? 無理無理無理。出たら絶対死ぬ)
そう結論づけたミネルは、華やかな表舞台に立つことを齢二歳で早々に諦めた。
代わりに選んだのは、裏方の仕事。
原作でもヴァリエール家は、近隣に豊富な資源を持つ領地を治めていた。
鉱石、薬草、加工素材——どれも価値が高く、扱いを間違えれば争いの種になる。
原作ではミネルの断罪イベントの後、ヴァリエール家はすぐに没落して跡形もなく消えていった。
(あれはほんま嬉しかったなぁ……あのあと十連勤くらい余裕で出来たもんなぁ)
とはいえ、ミネルの身体に自分が入った上でそれをするわけにはいかないのもまた事実。
その日から、ミネルは前世の知識をフル活用してヴァリエール家の発展を裏から押し進めた。
山積みになった契約書類を毎日精査して、資源の流動管理や経理管理を担った。
必要以上に角を立てず、相手の利益もきちんと考えた交渉。
社交界の表舞台には出ないが、仕事相手とは誠実に向き合う。
噂話も悪意も持ち込ませない距離感。
結果として、ヴァリエール家は近隣領地と友好的な関係を築き、資源の流通は安定した。
ミネルには三歳離れた兄——リオルがいた。
「ミネル、お前は天使だ!!!!!!」
と言われ続けて育ったミネル。
本来家督を継ぐリオルだったが、幼い頃からミネルを溺愛していたブラコン設定が存在してくれていたおかげで、兄はミネルのやることに一切口を出さなかった。
むしろ頼もしい盾となって、幼少期からミネルを支えてくれていた。
(助かる……ほんま助かるわこのブラコン兄貴)
そうしてミネル——小春は、表に出ることなく、貴族社会の片隅で穏やかに生きてきた。
十八歳になる頃には、両親もすっかりミネルの才能を認めていた。
兄もミネルを推薦したことで、ヴァリエール家の跡取りの地位はミネルでほとんど確立されていた。
そんなある日。
屋敷の前がやけに騒がしかった。
ミネルが書類から目を離し、窓の外を見ると二〇人ほどの騎士が庭で整列していた。
「……いや、何事?」
そのあと使用人に呼ばれ、ミネルは屋敷の玄関へと向かった。
扉の先に立っていたのは前世で見慣れた容姿をしたイケメン——名はシグルド。原作で主人公の最愛の人でもある、王太子殿下その人だった。
(なんでこいつがおんねん!!!!)
ここ数年封印していた(できていた)関西弁が、ミネルの心の中で噴火した。
使用人からは冷静沈着でクールだとイメージを持たれているミネルだったが、殿下の登場には狼狽を隠せなかった。
「そなたがミネル嬢か」
「いえ、殿下。神に誓って人違いですわ」
ここは一先ずお引き取りを願おう、そう思って嘘をついたミネルに、殿下は優しく笑う。
「はは。君は神様が嫌いなようだ」
「そうですね。引きこもり令嬢の屋敷に殿下が現れるなんて馬鹿げたストーリーを考えた神には、それはそれはとてもだいっきら……うんざりしていますよ」
「噂よりも愉快なご令嬢だね、ミネル嬢。僕のことはシルと呼んでくれて構わない」
不幸にも、『シル』という呼び名は原作でも主人公のみが許された呼び方だ。
それを許すということは、つまり……?
「すまない、本題に入ろうか」
そして、ようやくシグルドは本題を話し始めた。
現在、王都では資源が枯渇し、流通も不安定になって価格が高騰しているらしい。
そうして資源を巡った貴族間での派閥争いによる無駄な摩擦も生じたという。
そんな中、周囲の領地と安定した取引を続けるヴァリエール家が目に留まった。
調べていくうちに、実務を担っているのがミネルだということはすぐにバレたらしい。
「だから、直接会いに来た」
「なぜ、わざわざ殿下が来られたのですか?使者を送ったら……」
そこまで言って、ミネルは思い出した。
王都から来る厄介そうな手紙は全て断絶していた。
ミネルが察したことを察した殿下は笑う。
「だから来たんだ」
「来て欲しくないから断っていたんですよ……」
「この国を守るためなんだ。少しでも僕の話を聞いてくれないかい?」
彼女は溜息をついた。
(国家レベルで必要とされてるん? 怖すぎるやろ)
相手は王族だ。侯爵家の令嬢ごときが、直接きた殿下を玄関先で追い返すわけにはいかない。
半ば強制的に殿下の話を聞くことにしたミネル。
そして話を聞くうちに分かってしまう。
この殿下は——本気だ。
そして、だいぶおかしい。
だが、ミネルは国家的な危機を乗り越えるため、仕方なく殿下の力になることを決めた。
そのあとは何度か会議と称して王都へ行くことが多くなった。
仕事とは関係なく二人はプライベートで王都へ遊びに行くこともあった。
そして数度のデート(自覚なし)を終えたあと、殿下はミネルに告げた。
「君を、正式に婚約者として迎えたい」
(ほら、こうなるやん!)
予想できていた。いや、段々と近付いている雰囲気は感じ取れていた。
美しいミネルの容姿だ。性悪の設定がなければモテるに決まっている。
「……本気ですか?」
「もちろん」
承諾をしても、拒否しても。
殿下に交際を申し込まれた時点で、ざまぁの世界に一歩足を踏み入れることになる。
だからこそ。
散々迷った末、ミネルは渋々頷いた。
「これからも君を愛すよ」
「殿下は相当狂ってます……」
「はは。そんな僕のことも、好いてくれるんだろう?」
「……いちいち言わせないでください。まぁ、実は私も前からほんの少しくらいは好きでしたけど……でも、ざまぁは本当に怖いので、全力で私を守ってください」
「ざまぁ……? 何のことかは分からないが、君を命を賭けても守ると誓おう」
——こうしてミネルは。
狂った王太子殿下の婚約者になった。
こうなってしまったからには、ざまぁがいつ来るかは分からない。
でもまあ。
この人が隣にいるなら、
なんとかなる気も、しなくはない。
と思う、ミネルであった。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
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