【第1話】ドローン
「……ん」
さっきまで何をしていたんだっけ。
微睡んだ頭をもたげ、私は重いものを持ち上げるような気持ちで思考を無理矢理働かせる。
覚えているのは……そうだ。彼氏と放課後デートを堪能していたはず。
夕暮れの公園で穏やかに微笑む彼の目元も、気遣うような優しい声も。大丈夫、全部覚えてる。
だけど、今私が居る場所は夕暮れの公園なんかではなかった。
多分駅のホーム、だと思う。2・3番線乗り場って書かれた電光掲示板が天井から吊られているけど、モニターは何も表示していない。
それどころか天井の一部は崩落してて、ひしゃげたアスファルトの残骸になった瓦礫が重なり合ってる。
天を覆うものが無くなり、快晴の青空が駅のホームから見上げることが出来た。
「駅員さーんっ!天井落ちてますよーっ!」
私は周りに人が居ることを信じてそう叫んでみたけど、虚しいかな。声は遠くまで残響するのみで誰も反応しなかった。
人の気配がないという事実に、強い不安が込み上げてくる。
誰かと遭遇しないと発狂しそうな気さえした。
「……誰も居ないの?」
一体、何がどうなったのだろう。
どうして今、私は駅のホームにいるのだろう?
分からないことばかりで、ふと気が緩んでしまえば泣きそうになる。
しかも、どういう訳なのか。
自分の身体がいつもよりすごく軽い。
まるで人間の身体じゃ無くなったみたいに。
「とりあえず人を探さないとね」
得も言われぬ不安を胸の奥にぐっと押し殺し、私——秋城 紺は駅構内を探索することにした。
どうやら今いる2・3番線乗り場を1階と捉えた場合、地下1階と2階が連絡通路になっているようだ。
9番線まである駅のホームは、それぞれの行く先を示している。だが、いつまで待てど暮らせど電車は来ないし動かない。
倉庫から覗かせる電車は、まるでその役割を終えたように静かに佇んでいた。
元は艶やかな白銀に輝いていたであろう車両のフレームを作っているアルミニウム合金は、錆が侵食し赤茶色へと変色している。
線路に敷き詰められた石(バラストと言うらしいが)の隙間から力強く伸びた植物が、駅のホームまで浸食せんとばかりにその蔓を伸ばしていた。
やっぱり、数日の変化で起こりうるようなものじゃない。
明らかに数年以上は放置された痕跡がある。
「でも、こんな大きなところが廃駅になるなんてあり得る?」
都心まで繋がった路線もあり、恐らくは地方都市の中核的な場所であったことが伺える。
駅から直接つながる形で、ショッピングモールも建設されていた。しかしそこも当然とばかりに機能しておらず、ひび割れたショッピングウィンドウにカビの浸食した展示品が佇むのみ。
知識があれば、今の現状から状況を判断することが出来たのだろうか?
「もうちょっと勉強しておけば良かったな」
知らないこと、分からないことばかりで自分自身に対する不甲斐なさすら感じる。
しかし、駅のホーム内に留まっていたとしてもこれ以上情報を集めることは出来ないだろうな。
私は更なる情報を求め、駅のホームから繋がる形で成り立つショッピングモールへと足を運ぶことにした。
改札はもう、無賃でホームから降りることを咎めたりしない。
そんな些細なことが、より一層私の不安を増強させた。
☆☆☆☆
「……っ」
ショッピングモール内は、本当に酷いありさまだ。
食品コーナーから持ち出したであろうインスタント麺や紙パック飲料の残骸がそこらかしこに散乱している。
清潔に保たれているべき化粧品コーナーは、本来の雰囲気づくりを果たすことが出来ず混沌とした空気感を生み出していた。
入り口から顔をのぞかせただけで絶句してしまう。
暴動でも起きた……?
本当に、今いるこの場所は現実なのか?
目を閉じて眠れば、またいつも通り高校に通って、どこか頼りない先輩をからかったり、心優しい彼氏と他愛ない談笑を繰り広げる日々に戻れるのではないか?
今いる現実から目を背けるように、私は追憶に思いを馳せる。
そんなことは無意味だと分かりつつも、そう思わずには居られない。
「ねえ……誰か。応えてよ……」
空虚な想いはやがて、弱々しい本音が零れた。
そんな時だ。
知らない男子の声が聞こえたのは。
「……あー!”ステータス・オープン”っ!……なんてなっ」
次の瞬間、私の視界に重なるように薄緑色の光の粒子が突然舞い上がった。
無秩序に浮かび上がった光の粒子はやがて、規則性を帯び始める。それは枠組みを作り、パラメータを作っていく。
【残機ゼロ】
役職:なし
Lv:1
HP 25/25
SCB:skill
青:Not unlocked
緑:Not unlocked
黄:Not unlocked
赤:Not unlocked
何の前触れもなく、唐突に理解不能なステータス画面が現れる。
「おわ、な、ななななに!?!?なんなの!?!?」
思わず困惑の悲鳴が漏れる。その声が、先刻の”ステータス・オープン”などと言い放った男子にも聞こえたのだろう。
「どうした!?」
慌てた声と共に、ガシャリとガラスを踏み抜きながら駆け出してくるのが聞こえる。
私以外にも生存者はいる。その事実が今はとても嬉しかった。
姿を現したのは、私と同じ灰色のブレザーに身を包んだ無造作に金髪を伸ばした男子生徒。
金髪の隙間から覗く目元はいかにもやんちゃ坊主と言った感じだ。エネルギッシュな雰囲気を醸し出した彼は、私の近くまで来てきょろきょろと周囲を見渡し始めた。
「……あれ?ここから声したと思ったんだけどな?気のせいか?」
「い、いるよっ!います!」
「……?」
だけどどういう訳だろう。金髪の少年は訝しげに首を傾げ、私の存在を認知してくれない。
え、なに?私幽霊になっちゃった?
更に込み上げる不安をよそに、彼は唐突に私の身体に両腕を伸ばしてきた。
「……えっ?」
え?え?
いきなり迫りくる貞操の危機に、思わず私は声を荒げる。
「きゃっ!な、なに!?いきなり女の子の身体触るなんて!」
「な、なんだ!?喋った!?」
さっきから失礼に失礼を重ねるこいつは何なんだ。
ようやく初めて出会えた生存者という事も忘れ、私は目の前の不届き者に噛みつく。
「見て分からない!?私、多分君と同じ学校の生徒!女子生徒!ねえ!失礼過ぎない!?」
「……いや、すまん。マジでわからん」
「なんで!?」
外から日差しも差し込んでおり、私の姿が見えないなんてことはないはずだ。というか見えてなかったら彼は一直線に私の前に来ることが出来ていないし、そもそも私も彼の姿を捉えることは出来ない。
しばらく目の前の少年は眉をひそめて唸っていたが、やがて化粧品コーナーの方を指差した。
「……おい、鏡見ろ。女子生徒さんよ」
正確には化粧品コーナーに配置されたひび割れた鏡の方を。
「さっきから失礼な発言ばかりね、君」
私の顔がおかしいとでも言うのだろうか。こう見えてもルックスにはそれなりの自信あるんだけど。
だが、明らかに少年と私の間で繰り広げられる会話には、前提から噛み合っていない気がするのも事実だ。
渋々私は鏡を覗き込む。
しかし。
「……あれ?」
鏡には真っ白なドローン?が映るのみだ。艶のある光沢で塗装された、丸みのあるボディが特徴的な球体としてデザインされている。
球体の中心に配置されたカメラは、まるで瞳孔のようにレンズを絞ったり開いたりを繰り返す。
「あれ?あれ?」
私が首を動かす意識で身体を捻れば、鏡に映るドローンも同じようにその機体を動かした。
……もしかして。
「ねえ、そこの君。私の姿、何に見えてる?」
「あ?どこからどう見てもドローンにしか見えない。真っ白で、球体の、な」
金髪の少年は「何をいまさら」と言わんばかりに大きくため息を吐いた。
「……ええええええええっ!?!?!?」
「うるさっ」
抑えきれずに零れた叫び声に、目の前の少年は怪訝な表情を浮かべながら両耳を塞いでいた。
ごめん。
でも誰が想像できるの。自分の身体がドローンになるなんて。
To Be Continued……