表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/10

第8話:『呼び覚まされた過去』

東屋から響く童謡は、ユウの脳裏に、長く封じられていた記憶の扉を無理やりこじ開けていた。その歌声は、彼が幼い頃、かすかに聞いたことのある、しかし決して思い出せなかった、ある「声」と重なる。


彼の目に映る東屋の幻影は、もはや「黒いワンピースの女」ではなかった。そこに座っているのは、ぼんやりと霞がかかった、幼い少女の姿だった。彼女は楽しそうに、そして少し寂しそうに、あの童謡を口ずさんでいた。


その瞬間、ユウの頭に激痛が走った。フラッシュバックする断片的な映像。


白い部屋。

たくさんの人形。

そして、自分を呼ぶ、優しい、しかし力のない声――。


「……ユウ、くん」


幻影の少女が、ユウの名前を呼んだ。それは、幻聴ではない。彼の記憶の中に、確かに存在していた声だった。


ユウは激しい目眩に襲われ、ベンチに座り込んだ。彼の解析能力、理論的な思考、全てが、この突如として現れた個人的な「怪異」の前には無力だった。


「これは……何だ?」


彼は、自分が都市伝説の裏にある「真実」を暴いているつもりが、いつの間にかその「真実」に飲み込まれていることに気づいた。東屋の地下に埋められた装置から発せられる童謡は、特定の周波数で人間の記憶と感情に作用する。それは、ただアユミ少年の心を揺さぶっただけではなく、ユウ自身の最も深い部分に触れて、何かを「呼び覚まそう」としていた。


ユウは、自身の過去について深く語ることはなかった。両親は彼が幼い頃に離婚し、彼は父親に引き取られた。母親に関する記憶は、まるで意図的に削除されたかのように曖昧だった。だが、今、この東屋で聞く童謡が、その曖昧な記憶のベールを剥がしにかかっていた。


彼は震える手でスマホを取り出し、再び解析ツールを起動した。童謡の音源、そこに含まれるノイズパターン、そして桜ちゃんの母親の声紋データ。さらに、ユウ自身の脳波をリアルタイムで測定する小型デバイスを耳に装着した。


東屋の歌声が、彼の脳波にどのような影響を与えているのか。

彼の脳内で、「幻影」が見えるときに、脳のどの部位が活性化しているのか。

そして、最も重要なこと――この「呼び覚まされる記憶」は、一体何なのか。


解析ツールの画面に、ユウの脳波データが表示される。童謡が流れると、彼の脳の特定の領域が活性化し、それはまさに「記憶の再生」や「感情の増幅」に関わる部分だった。


その時、ユウの解析ツールが、童謡の音源データの中に、ごく微量な、しかし決定的な「別の音源」の混入を検出した。それは、人間の声ではなかった。


「……心電図?」


ユウの目が、ディスプレイに表示された波形に釘付けになった。それは、規則的な心臓の鼓動を示す波形。そして、その波形には、わずかながら不規則な乱れが見られた。まるで、弱っていく心臓の音のように。


そして、その心電図のパターンは、ユウが過去にデータベースで参照した、ある特定の病状を持つ患者の心電図と酷似していた。


ユウは、その病状が、彼の母親が患っていた病気であることを知っていた。


「まさか……」


彼の脳裏に、断片的な映像が鮮明に浮かび上がる。白い部屋、医療機器の規則的な作動音、そして、ベッドに横たわる、痩せ細った女性の姿。


そして、その女性が、微かに、しかし確かに口ずさんでいた童謡。


「あの歌は……母さんの……」


ユウの体が震えた。東屋の地下に埋められた装置は、ただ桜ちゃんの歌声を再生しているだけではなかった。その装置は、亡くなった子供や、あるいは愛する人を失った人々の「声」を、様々な形で集め、それを特定の周波数で再構築し、都市伝説として拡散させていたのだ。


そして、その目的は、失われた記憶を呼び覚まし、人々に「死者の存在」を、感情と科学の両面から強く認識させることだった。


「一体、誰が……何のために……」


ユウは、その装置を設置した電子工学の研究者が、単に桜ちゃんの母親の願いを叶えただけでなく、より大きな、そして個人的な目的を持っていたことに気づき始めた。


この東屋は、彼の、そして多くの人々の「失われた記憶」を、科学の力で無理やり呼び覚ます装置だったのだ。


童謡の歌声が、再び高まる。


それは、ユウ自身の最も深い悲しみと、決して癒えることのない「死者」との繋がりを、否応なく彼に突きつけるものだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ