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第4話:『記憶の残響』

ユウは抽出された童謡の音源データを、再度、精密に分析した。音源に含まれる微細なノイズパターン、周波数変調、そしてデータの圧縮痕跡。それは、ごく一般的な市販のCD音源やストリーミング音源とは異なる、独特の歪みを持っていた。まるで、古い記録媒体からデジタル化されたような、不自然な質感がそこにあった。


「これは……どこかの、誰かの、私的な録音か?」


ユウの指が、スマホの画面を滑る。彼は童謡のタイトルを検索エンジンにかけ、関連情報を洗い出した。その童謡自体は、古くから親しまれている何の変哲もない曲だ。しかし、この特定の音源が持つ特異性が、ユウの心を捉えて離さない。


その時、ユウの脳裏に、あの少年が口にした言葉が蘇った。「本当に、いたんだ」。彼は、一体何を見て、何を聞いたというのか? そして、その少年が「見てほしいこと」だけを書き連ねたというユウ自身の解析。


「待てよ……」


ユウはハッと息を呑んだ。


もし、少年が本当に「何かを見た」のだとしたら? しかし、それが「黒いワンピースの女」という具体的な視覚情報とは異なるものだったとしたら?


人間の記憶は、都合よく改ざんされる。特に、漠然とした不安や恐怖を抱えている時に、特定の刺激(今回の場合は、東屋の地下から響く童謡)が加わると、脳は無意識のうちにその刺激に合致する「像」を補完しようとする。


ユウは、認知心理学に関する膨大な論文の中から、**「記憶の誤謬(False Memory)」と「プライミング効果(Priming Effect)」**に関する記述を引っ張り出した。


プライミング効果とは、先行する刺激プライムが、後続する刺激の処理に影響を与える現象だ。もし、少年が東屋に向かう前に、SNSで「黒いワンピースの女」という断片的な情報に触れていたり、あるいは日中のテレビやネット記事でそうしたイメージを無意識のうちにインプットされていたとしたら?


そして、黄昏時の薄暗い東屋で、不安な心理状態の彼が、耳には届かないはずの微弱な童謡の音波を感じ取ったとしたら――。脳は、その不気味な音と、事前に刷り込まれていた視覚イメージを結合させ、「黒いワンピースの女が歌っている」という、ねじれた記憶を生成した可能性がある。


「つまり、あの少年は、自分の寂しさから『見てほしいもの』を投稿したが、同時に『本当に見てしまった』と錯覚させられた可能性もあるということか」


ゾクリと、ユウの背筋に冷たいものが走った。


それは、単なる「虚偽」の都市伝説では片付けられない。そこには、意図的に、あるいは無意識的に、人間の心理を操ろうとする何らかの力が働いている。


地下に埋められた装置。そこから発される、異常な周波数を持つ童謡。そして、それによって引き起こされる、人間の「記憶の誤謬」。


「……これは、実験か?」


ユウの頭の中に、不穏な推測がよぎる。誰かが、この公園で、人間の心理とテクノロジーを組み合わせた、恐ろしい実験を行っているのではないか。都市伝説というベールを纏わせ、人々の反応を観察している。


彼は童謡の音源データをさらに深掘りした。音源の中に含まれるごくわずかなデジタルノイズのパターン。そのパターンは、過去にユウが解析した、ある特定のアカウントの投稿動画に含まれるノイズパターンと酷似していた。


そのアカウントは、ごく短期間だけ活動し、すぐに消滅した。投稿内容は、すべて**「見知らぬ子供の楽しそうな声」**だけを収めた、不気味な短尺動画だった。


「まさか……」


ユウは、その消滅したアカウントが、東屋の地下に埋められた装置と繋がっている可能性を考えた。そして、そこから導き出される、ある「人物像」に辿り着いた。


それは、特定の童謡に深い執着を持ち、見知らぬ子供の声に異常な関心を抱く、孤独な人間――。


都市伝説は、誰かの孤独の上に成立する。


だが、その孤独が、他者の孤独を糧にし、さらに歪んだ形で増幅されているとしたら?


ユウの視線は、再び目の前の東屋に向けられた。昼間の光の中、無邪気に遊ぶ子供たちの声が響く。


だが、ユウには、その声の奥に、黄昏時にだけ響く、不気味な童謡の残響が聞こえるようだった。


そして、その童謡が、遠い過去に失われた、ある「記憶」の断片を呼び起こすトリガーとなることを、まだユウは知らなかった。

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