第10話:『死者の真実』
「癒したかった、だと?」
ユウの声には、怒りよりも、深い悲しみがにじんでいた。ナイフを握る手に力が入る。
「あなたは、勝手に人の記憶を呼び覚まし、幻影を見せていた。それは癒しじゃない。ただの、押し付けがましい執着だ!」
研究者は、ユウの言葉にゆっくりと首を横に振った。
「私は、ただ、彼らの『声』が忘れ去られるのが、耐えられなかった。子供たちの、その純粋な歌声が、無意味に消えていくことが。そして、君の母親も……」
彼の視線が、ユウの母親の記憶が重なる東屋へと向けられる。
「彼女は、最期まで君のために歌っていた。その歌声は、私にはあまりにも美しく、そして悲痛だった。私は考えたんだ。なぜ、その歌声が、そこで途切れてしまわなければならないのか、と」
研究者は続けた。
「私は、彼女の歌声をデジタルデータ化し、他の多くの子供たちの声と共に、この装置に組み込んだ。特定の周波数で人々の潜在意識に働きかけ、失われた記憶を呼び覚ます。そうすれば、死者と生者は、永遠に繋がることができると思ったんだ。都市伝説として語り継がれることで、彼らの存在は決して風化しない。永遠に、この公園で、歌い続けてくれると……」
それは、あまりにも傲慢で、しかし、深く絶望した人間が抱く、究極の「救済」だった。彼は、自身の研究によって、死者の「声」を現実世界に留め置くことで、生き残った者たちの心の穴を埋めようとしたのだ。
「だが、それは違う!」
ユウは一歩踏み出した。ナイフの切っ先が、研究者の喉元に迫る。
「人は、失ったものを乗り越えていくんだ。悲しみを抱えながらも、それでも前を向いて生きる。あなたがやっていることは、その過程をねじ曲げ、人々を永遠に過去に縛り付ける行為だ!」
研究者は、ユウの鋭い視線に動じることなく、静かに微笑んだ。その顔には、狂気にも似た諦めが浮かんでいた。
「君は、強い。私とは違う。私は、大切なものを失うのが怖くて、科学の力を借りて、それを繋ぎ止めようとした愚か者だ。だが、この装置がなければ、君は、君の母親の歌声を、永遠に思い出せなかっただろう?」
その言葉に、ユウは動きを止めた。確かに、彼の母親の記憶は、この装置が発する童謡によって呼び覚まされた。その事実は、彼の心に複雑な感情を渦巻かせた。
「私は、罰を受けるべきだ。だが、この装置は、多くの人々の『悲鳴』を宿している。桜ちゃんの母親のように、子供を亡くした悲しみを抱える人々は、この歌声に、救いを見出しているかもしれない。君は、それを全て、無意味なものにするのか?」
研究者の言葉は、ユウの心に突き刺さった。彼の目的は、この歪んだ装置を破壊することだったはずだ。だが、もし、その歪みが、一部の人々にとっての「救い」となっているとしたら?
ユウの視線が、東屋の地下に向けられた。微かに聞こえる童謡の歌声。それは、彼の母親の声と重なり、確かに彼の心を揺さぶっていた。
その時、東屋の闇の中から、再び「カチリ」という音がした。
それは、まるで、この装置が、ユウ自身の葛藤を嘲笑うかのように、あるいは、さらに深い「真実」を示唆するかのように、不気味に響いた。
ユウは、ナイフをゆっくりと下ろした。彼は、装置を破壊しないことを選択した。
「これは……あなたが作ったものだ。責任は、あなたが負うべきだ」
ユウはそう言い残し、研究者に背を向けた。彼の足は、東屋から、そして公園から離れていく。
研究者は、その背中を静かに見送った。そして、東屋の闇の中で、微かに微笑んだ。彼の使命は、まだ終わっていなかった。この東屋は、始まりに過ぎない。
ユウは、公園の出口へと向かう。彼の心には、母親の歌声が、そして桜ちゃんの歌声が、そして無数の「死者たち」の悲鳴が、重なり合って響いていた。
都市伝説の「嘘」の裏には、確かに「真実」があった。
そして、その真実は、科学と、人間の底なしの孤独、そして歪んだ愛によって編み上げられた、あまりにも残酷な物語だった。
しかし、ユウは知っていた。これは終わりではない。
匿名掲示板には、まだ無数の不可解な噂が投稿されている。
「最後のバス停に現れる老人」「死者の声が聞こえる廃校」「死後も活動するSNSアカウント」――。
全ての都市伝説は、誰かの孤独の上に成立する。
そして、霧野ユウは、その「死者の真実」を暴くため、偽りに満ちた社会の中を、再び歩き始めるのだった。彼の心には、呼び覚まされた母親の記憶と、決して癒えることのない“悲鳴”が、これからも響き続けるだろう。
ー完
この作品はこれで終わりになります。
ありがとうございました。