第5話_理想と現実の隙間(02)
視聴覚準備室のプロジェクターに映し出されたのは、まるで未来から届いた設計図だった。
音の拡がりを可視化するCG、照明の動線を示すシミュレーション、観客の配置による音圧変化のグラフ。
「これ……高校生が作るものじゃないだろ……」
翔斗が思わず口にすると、葵は目を細めた。
「“理想”を追求していけば、自然とこのくらいにはなる」
「予算は?」結香が問う。
「フル構成なら三百万。最低限でも百五十万以上」
「……現実じゃない金額だ」
翔斗が唸った。
「君たちのプロジェクトは、理想より“実装”を選ぶべきだと思うよ」
葵は、あくまで冷静に告げる。
「島の財政も、建設条件も、全部が不自由のかたまり。その中で“最大公約数”を求めるべき。理想だけでは誰も動かない」
結香は、じっと彼の目を見つめていた。まるでその内側を覗こうとするように。
「……でも、理想がなかったら、最初の一歩も踏み出せない」
「理想だけでは、最後の一歩が届かない」
「なら、その“隙間”を埋めるのが、私たちなんじゃない?」
その一言に、室内の空気がわずかに揺れた。葵の指が、キーボードの上で止まったまま動かない。
翔斗が、ぽつりと言う。
「葵先輩、たぶん……人に合わせるの苦手ですよね」
「……ああ。昔から、チームってものがうまくいった試しがない。意見がぶつかると、自分のほうを正しいと思ってしまう」
「でも、自分の力を信じてるってことでしょう?」
今度は恵里が言った。
「私は逆。全部こなせるけど、何ひとつ突出してない。でも……だからこそ、誰かの“飛び抜けた力”を生かしたいと思う」
葵は、しばらく黙っていた。
そして、おもむろにPCのスリープを解除し、新たなファイルを開いた。そこには、同じ構成で“縮小版”の音響プランが並んでいた。
「実は、既にプランBとCも作ってた」
「えっ」翔斗が口を開けた。
「一人でやるのが好きだけど、“誰かと何かをやる可能性”は、いつもシミュレーションに入れてる」
「じゃあ……最初から、“誰かとやること”を少しだけ期待してたってこと?」
結香の問いに、葵は小さくため息をついた。
「……それを“期待”と呼ぶなら、そうかもな」
恥ずかしそうに、でもどこか誇らしげに、彼はファイルを共有した。
「俺が設計して、調整する。でも、音を響かせるのは君たちだ。間違えるな」
「了解」
結香が手を差し出した。葵は数秒迷ってから、その手を軽く握った。
その瞬間、視聴覚準備室の空気が、少しだけ変わった。
ようやく、“理想と現実”の間に、橋が架けられたのだ。
(03/03につづく)