第5話_理想と現実の隙間(01)
四月十八日、水曜日。放課後。
灯凪高校の図書室に隣接する学習支援スペースの一角に、静かな打ち合わせの輪ができていた。
結香、翔斗、恵里、そして颯斗――すでに集まった四人は、校内Wi-Fiに接続されたノートPCとスケッチブックを囲みながら、ステージ再建に必要な要素をひとつずつ洗い出していた。
「舞台の基礎と構造は、旧図面とドローンデータを統合して再現可能。強度は条件付きでクリア。次は――音響と照明の計画だね」
恵里がそう言って視線を向けた先、画面には「理想音響システム・試案」というPDFが表示されていた。
それは、先週翔斗がメールで送っていた「協力要請」に対して、すでに返答してきた人物――一人の名前が添えられていた。
「城ヶ崎葵――二年。音響照明研究会所属。学内ライブの主催経験あり。自作スピーカー歴三年。ステージ照明シミュレーター開発中……」
翔斗が読み上げながら、口笛を吹いた。
「……スペックだけ見たら大学教授レベルじゃない?」
「この間、放送室に自作のディレイマシン持ち込んで先生に怒られてた」
恵里がさらっと言うと、翔斗が「うわー」と肩をすくめた。
「実際に会ったことある?」
「授業では何度か。でも、たいてい一人で動いてる。誰とも組まないタイプだよ」
「協力してくれるかな……」翔斗が言うと、結香はノートを閉じて立ち上がった。
「だから、今から話しに行く」
「今?」
「今」
その一言に、翔斗はついていく以外の選択肢を失った。
***
放課後の西校舎三階。ふだん誰も使っていない視聴覚準備室の奥――。
「ここ……いつの間にか“アジト”にされてたんだな……」
翔斗は、部屋の前で足を止めて言った。窓のカーテンは完全に閉じられ、ドアの隙間からかすかな光と電子音が漏れている。
結香がノックしようとした瞬間、中から「開いてる」と低い声が聞こえた。
扉を開けると、仄暗い室内に、まるで“機材の城”のような世界が広がっていた。
スピーカー、エフェクター、パネル、照明テスト機。電子基板の匂いと、細かくルーティングされたケーブルの網。
その中心に、背筋を伸ばして機材と向き合うひとりの生徒がいた。
長い前髪に隠れた目元、背筋の伸びた佇まい。白いイヤーモニターを外し、葵は振り返った。
「……朝倉結香、だったな」
「うん。二年の城ヶ崎葵さんだよね」
「そうだけど。何の用?」
その口調は冷静というより、“切り離された意志”に近かった。
結香は、はっきりと告げる。
「潮風デッキを復活させたい。あなたの音響と照明の力を貸してほしい」
葵のまなざしが、わずかに動いた。
「……唐突すぎるね」
「でも、今言わないと“未来”は待ってくれないから」
翔斗は、その場の空気が一気に冷たくなるのを感じた。けれど、結香の表情はまるで変わらなかった。
沈黙が、数秒。
葵は手元のキーボードを叩いて、壁のプロジェクターにある資料を映し出した。
それは、彼自身が考えた「理想音響設計案」だった。
指向性スピーカー4基、サブウーファー2台、360°ステージモニターシステム、さらには舞台照明のDMX制御プランまで――。
「すでに考えてはいた。潮風デッキ、最後のフェスは父が照明演出をしてた。……その記憶、ずっと消えないままだったから」
その言葉に、翔斗も恵里も息をのんだ。
結香は、ただ一言、静かに言った。
「じゃあ、今度はあなたが“光”を灯して」
(02につづく)