#4 呪い
「死を、読む?」
まるで意味の通じない言葉だ。いや、単語の意味は決して難解なものではない。その言葉同士の組み合わせに、意味を見いだせないと言うに過ぎない。
「はい」
そんな僕のつぶやきに、ただ一言、シルビアは答える。
「つまり、どういうことなんだ?」
「言葉通りでございます。私がある方法を用いると、その人の死に様が見える、というものです」
ああ、そういう意味なのか。なるほど、理解した。いや、まだだ、まだ理解できていない部分がある。
「ちょっと待て。先ほどのあの男爵殿は、お前に兄を殺されたと言っていた。今の話からは、まったく結びつかないのだが」
「あれは誤解でございます。私はただ、兄上様の死を見出したのでございます。槍闘技の際、相手の槍の覆いが外れて、それが兄上様の喉元に刺さってしまう、と。ですから私は兄上様に、試合に出ないようご忠告申し上げたのでございます。なのに、私がそのような呪詛を唱えたからこうなったと、お父様は私をお責めになり……」
ああ、やっと話がつながった。つまり彼女には死を予感する能力があり、それを口にしたところ本当にそうなってしまった。それを父親は呪詛の言葉を発したのだと勘違いして、実の娘でありながら勘当し追放したと……
と、ここまで話を聞いたところで、僕がとんでもないことに気づく。
ちょっと待てよ、今の話が本当ならば、とんでもない話ではないか。
「なあ、ちょっと聞いていいか」
「な、なんでしょうか、旦那様」
「それ、今ここでできるか?」
「えっ、それはもしかして、私が旦那様の死を読めと申されるので?」
「そうだ。見ての通り、死と隣り合わせの軍人だ。そんな非科学的な話が本当かどうか、僕の死に様を聞けばだいたいわかる」
「そうですか……ですが、ここではできません」
「どこか、特別な場所でないと無理なのか?」
「いえ、道具が必要なのです」
「道具?」
「はい。おそらく、この市場ならばすぐに手に入るかと」
と、シルビアがそういうので、僕はシルビアとともに雑貨の店へと向かう。
「たった2つのものがあればよいのです」
「2つか。で、それは一体、なんだ」
「ロウソクと、唐辛子です」
「は?」
たいそうな呪いのわりに、使う道具は実にしょうもない。
「ロウソクなら、ここにあるな。こんなものでいいのか?」
「はい、それでよろしいです」
「唐辛子ならば食料品売り場にでも行けば手に入るだろう。さっそく、向かうとするか」
「いえ、旦那様、実はもう一つ、必要なものが」
「なんだ、その必要なものとは?」
「辛い料理を、食べるのです」
こいつ、この期に及んで、辛い物を食べたいと考えたんじゃないだろうな。ところがシルビアはこう否定する。
「こ、この呪いには、香辛料が放つ刺激的な気が不可欠なのです。辛味には呪気と呼ばれる力が備わっているのです。別に私が食べたいから、そのように申し上げているわけではございません」
やや言い訳じみたことを語りだすシルビアだが、どのみち昼食にはあの店に行こうと考えていたところだ。だから僕は何も考えず、彼女を伴いその店に向かう。
「な、なんですか、ここは!?」
見るからに赤い看板、中から漂う香辛料のキツい刺激臭、ぎすぎすと目頭を刺すような湯気。そこはまさにシルビアならば一目で気に入るであろうと考えた店だ。
中で売られているのは、チキンだ。そう、鶏の肉。だが、ただのチキンであろうはずがない。
「骨の芯まで唐辛子とラー油を浸み込ませ、並みの者ならば一口で口中に痛みを伴うと言われる、最凶の激辛チキン店だ」
「すさまじいですわ! これこそ、私が求めていた究極の辛味に違いありませんわ!」
ついさっきまで、父親から人殺し呼ばわりされてしょげていたあのシルビアが、急に息を吹き返したようだ。さすがの僕でも、この店の湯気の直撃は目に染みて耐え難いほどだが、その程度ではシルビアはひるまない。
さすがにそんな場所で食べるのはよほどの辛いもの好きでないと無理だ。その激辛のチキンを数本、テイクアウトして宿舎に戻る。
「ふん、ふふ〜ん!」
えらく上機嫌だな。ついさっき、父親に面と向かって手酷い口調で罵られたことなど、忘れてしまったかのようだ。
「さて、旦那様。早速いただきましょう!」
大量の荷物の片付けもそこそこに、シルビアは買ってきたばかりのチキンを取り出す。むわっと、香辛料の放つ刺激を帯びた蒸気が、僕の目元を襲う。思わず目を閉じる。
改めてみると、真っ赤なチキンだ。骨まで唐辛子漬けにしているという謳い文句も信じざるを得ない。僕はその一本を手に取り、かじりつく。
かじった直後は特に感じなかったが、舌と上顎辺りにジワジワとまるでトゲの生えた何かに吸い付かれたと思うほどの刺激が後からやってきた。それを食いちぎり飲み込むと、食道を通って胃の中に落ちていく感覚まで分かるほどの辛味だ。辛さの密度が、大きすぎる。
ただ、本当に辛いのは表面の衣部分だけで、中の肉はそうでもない。辛いことは辛いが、外側ほどの強烈さはない。これなら、骨まで辛いということはないだろう。大げさな謳い文句だ。
が、そんな激辛のチキンを、なんとも微笑ましい顔で食べる娘が僕の向かい側にいる。もっとも辛い衣部分など、舐め回すようにして味わった後にそれをもぐもぐと味わいつつ噛み砕いている。
汗一つかかずに、よくもまああれほどの辛さに耐えられるものだ。味覚が崩壊しているのではないか? そんな心配をよそに、丸々2本をたいらげてしまった。
「頃合いです」
と、2本目の骨を皿に置いたシルビアがそうつぶやいた。
「何がだ?」
「あれ、旦那様の死を読むと、そういう話でしたよね?」
ああ、そうだった。それが目的で、こんな赤いチキンを買ってきたんだった。
シルビアはおもむろに、買ってきたロウソクを小さな皿の上に置き、そしてビニール袋に入っている唐辛子を一つ取り出す。僕がライターでロウソクに火を灯すと、その炎の上で唐辛子を二つにちぎる。そして、外皮を粉上に砕いてパラパラとその火の上に振りかける。
ボッと、炎が一瞬、勢いを増す。ツンとした刺激臭が漂う。その前でシルビアはといえば目を閉じて、何やら唱え始めた。
「シーフプレイ、モートェ、モラヴィア……」
呪文のようだ。おそらく、この国の古い言葉だろう。目を閉じたままのシルビアはしばらく黙ったままじっとしていたが、僕の手を握り、ゆっくりと語り始めた。
「窓が、見えます。窓の外は、真っ暗。その窓の手前には、大勢の軍人さん。旦那様が、網目状の何かを見つめています……」
状況からして、多分そこは駆逐艦の艦橋だろう。だが、網目状の何かとは何だ?
「その網目は何色だ?」
「緑の下地に、柑橘色の線が網のように並んでます。無数の点の群が二つ、見えます」
ああ、おそらくは陣形図のレーダーサイトのことだと思う。どうやら敵の艦隊が二手に分かれている光景のようだ。
「その2つの点群に動きは?」
「今のところ、ありません……あ、右の方が離れていきます」
分かれた敵の一方が、動き出したと見える。
ただ、前後の状況は分からない。通常戦闘なのか、撤退戦の途上なのか。いずれにせよ、敵が二手に分かれるなど、あまり見たことがない。
「旦那様が、何かを言っておられます」
「何かとは、なんだ」
「いえ、声までは聞こえないのです。ですが、どなたかの指図をされているようで……あ!」
と、シルビアがいきなり叫ぶ。何かが起こったのだろうか。
「どうした?」
「あの、真っ暗になりました」
「真っ暗? どういうことだ」
「つまり、お亡くなりになったということです」
それを聞いて僕は、愕然とする。戦場で命を落とすであろうことは、予想はしていた。が、その光景を生々しく語られると、あまり気持ちの良いものではない。
「で、それがいつのことなのかまでは、分からないのか?」
「はい、明日かもしれませんし、1年先のことかもしれません。ですが、旦那様のお姿は今とほとんどお変わりなさそうでした。つまり、それほど先のことではないと思われます」
正直言って、呪いというものは眉唾物だと思っていた。が、艦隊戦闘はおろか、駆逐艦にすら乗ったことのないシルビアが、あれほど正確に艦橋の情景を言い当てているところをみると、やはりこれは本物かもしれない。
が、この呪いの読める範囲は最大で1年先だという。その間に何事もなければ、ただ真っ暗なだけだという。
つまり僕は、1年以内に死ぬと、そうシルビアから告げられたことになる。
「ところで、その呪術というのは、この星の者なら誰もが使えるものなのか?」
「いえ、我がトルタハーダ家の者のみです。この王国の王族、貴族にはそれぞれ秘伝の呪術があり、いざというときに王国のため、それを行使するというのが慣わしでございます」
「じゃあ、死を読むというその呪術は、あの父親も含めて代々伝えられてきた技だと?」
「それがそうではないのです。ある出来事をきっかけに、その呪術を封印してしまったのです」
「封印された? なぜだ」
「詳細は存じませんが、おそらく、得体の知れない呪術であったからと思われます。そして、お父様の言うに『死を予言するのではなく、死を呼び出している』と家内でも信じて疑わない当主もようおりました。それゆえに、禁忌の術とされたのでしょう」
「それじゃ聞くが、どうしてお前がそれを復活させることができたのだ?」
「この術に関する書物が、地下に封印されていたのです。それを私が読んだために、この『死を読む』術が再び日の目を見たのでございます」
「……で、それをお前の兄に、それをやったと」
「はい。そのことでお父様はかなり激怒され、しかも実際にその通りのことが起きてしまいました。兄上様にはあれほど試合に出てはならないと申したのですが……兄の葬儀を終えたその日のうちに、私は家を追い出されたのでございます」
それが昨日のことだという。やけになったシルビアは宇宙港にやってきて、そこで辛い物を食べてから死のうと考えていたのだという。
「ちなみにですね、この術は誰でも使える、というものではありません」
「だから、トルタハーダ男爵家の者だけが使えるのだろう?」
「いえ、たとえトルタハーダ家の血筋であっても、無条件で使えるというものではないのです」
「ということは、シルビアにはそれを使う何かを持っていると?」
「はい」
「その何かとはなんだ」
「辛いもの好きである、ということです」
何とも拍子抜けする条件だ。なんだその、辛いもの好きでしか使えない術というのは。
「先ほども申し上げた通り、術師自身が香辛料による呪気を帯びなければなりません。でなければ、この呪いは発動しないのでございます」
「ああ、そういわれてみれば、そうだったな」
「庭で唐辛子やからし菜、コショウを育ててはそれを味わうのを生きがいとするような私でなければ、それは使うことのできない術です」
「で、お前の予言により、僕は近々、死ぬことになると分かった、ということか」
僕は冷めた目でシルビアを見ている。それはそうだ。いくら彼女のせいではないとはいえ、死期を明確に告げられたようなものだ。次の戦場でそれは起きるかもしれない。あまりいい気はしないものだな。
「いえ、この呪術の生み出されたゆえんは、その死を回避するためにあるのです」
ところがだ、シルビアは僕にこう言い放つ。
「なんだって、死を回避?」
「だって、死の情景を知ることができるのです。ならば、そうなる前に別の行動をとることができれば、その死を回避することがかなうのですよ。たとえば、旦那様が戦に出向かないとか」
「いや軍人である以上、そうはいかない。が、先ほどお前が話した情景が現実に現れる前に、まったく別の行動をとることができたなら、その死を回避できるかもしれない」
「それは、その通りでございます。現にその封印された書物にも、古の国王陛下がこの呪術によって救われたと記されていました」
「に、してもだ。どうして地下に封印されていた書物を、お前は読むことができたのだ?」
「たいしたことではありません。地下室があって、何か面白そうなものがあるのではないかとうろついてたら、見つけたのでございます」
禁忌の呪いと言いつつも、こんな能天気な小娘がうろついただけで見つかるような場所に置いていたあの男爵も悪いのではないか? なんというか、シルビアが不憫に思えてくる。
ともかくだ。次の戦い以降に、何かが起きるかもしれない。先ほどシルビアが話した情景と酷似した何かが起きた時、僕は即座に行動を起こさなければならない。そのためには、あの情景から起こりうる可能性をいろいろと考え想定し……
「あの、旦那様。今日はずっと何かをお考えのご様子ですが、たまにはこちらも見てください」
などと考え続けていたら、いつの間にか夜になっていた。気づけば僕はシルビアと、同じベッドの上で向かい合っていた。
「って、おい、顔が近すぎるんじゃないか?」
「ですが、私は旦那様の妻なのでございましょう? 別に何の問題もないと思いますが」
「い、いや、僕とお前は便宜上、夫婦になっただけであって……」
「便宜でもなんでもよろしいではありませんか。ここは私に、お任せください!」
と、なにやら妙にやる気に満ちたシルビアが、僕の両頬を手で押さえ、そして強引に口づけをしてきた。
世間一般におけるキスの味、というものを、僕は知らない。僕が今感じているそれは、唐辛子やコショウといった香辛料の類いが入り混じったようなものだ。
そして、唐辛子でも特に辛いとされるハバネロ種よりもさらに激熱な夜を、僕はこの狭いベッドの上で過ごすこととなった。