#3 共存
「おはようございます!」
翌朝、寝巻き姿のシルビアが起き出して、僕の顔を覗き込んでいる。
一瞬、どうしてこの部屋に僕以外の人がいるのか、寝ぼけた頭では処理できなかった。が、昨日の出来事を思い出し、急に赤面してしまう。
ああ、そうだった。貴族令嬢をお持ち帰りしてたんだった。これからどうしようか。何よりもまずは、目先のことだ。シルビアは赤いドレス以外に何も持ち込んでいない。ここに住むなら、まずは生活品を用意せねばならない。
ちょっと待て、どうしてここに住むのが前提なんだ? 実家であるトルタハーダ家に行き、事の仔細を尋ねることが先決ではないか? できることならば、勘当を解消してもらうよう説得するという手も……とはいえ、戸籍上は夫婦ということになってしまった以上、まずは確実に彼女が生活できる場を確保するのが先決だろう。
「ショッピングモールに、行こう」
やや浮かれ気味なシルビアに、僕は提案する。
「ショッピングモールとは何ですか?」
「この街の中心にある、巨大な市場のことですよ」
「市場! 市場があるのですかぁ!?」
ベッドの縁でぴょんぴょんと跳ねてよろこぶこのご令嬢。実にポジティブな性格だ。たかが市場だぞ? そこに行くというだけで、まるで天にも昇る気持ちになるとはどういう神経をしているのか。
もっとも、暗い顔をされるよりはにこやかな女性の顔を見る方が僕の心も休まるというものだ。もっとも、その顔の下にある、ぶかぶかの寝巻からのぞかせるあのふくよかな物体の方につい目が……ともかくだ、生活用品、特に服と下着は大至急、買わねばならない。
幸い、戦いの直後だ。4日間の特別休暇が与えられている。その4日間を利用して、僕は彼女にこの街での暮らし方を教えればいい。
ということで、僕らは歩いてショッピングモールへと向かう。
一着しかない赤いドレスを身にまとい、にこにこと笑顔を振りまきながら道を進む。周囲の怪訝そうな目が、彼女にそそがれる。こんな殺風景な宿舎の前に、なぜ場違いな王都の者が朝っぱらからこの場にいるのだ、と思われている。
「あの、旦那様」
そんな浮かれたシルビアが、僕の顔を覗き込むようにかがみながら、僕を呼ぶ。
「ええと、なにか?」
「手をつないでも、よろしいですか?」
そう言いながら、シルビアは僕に右手を差し出してきた。僕はその手を左手で握る。
何気なく握ってしまったが、これではまるで恋人、いや、夫婦ではないか。いや、いわれてみれば確かに夫婦なのだが、名前以外には何も知らない者同士が、手を握り合って歩いてショッピングモールに向かう。
これではまるで、デートじゃないか。
気恥ずかしさしさと、それでいて手のひらから感じるぬくもりの心地よさを感じながら、僕らはショッピングモールへと向かう。
この街の大きさは、縦横がだいたい600メートル程度で、高さ30メートルのコンクリート製の壁で囲われた場所だ。この壁の内側のみ、王国の法が及ばない場所とされており、ここには大勢の地球716の住人が、軍民合わせて3万人ほどが住んでいる。
高いビルが立ち並び、その間のアスファルトにはひっきりなしに無人の車が走っている。あの無人タクシーに乗って向かえば、あっという間にショッピングモールについてしまうのだが、なぜか僕はシルビアとこうしてのんびりと歩きたい気分だった。
殺伐とした人生が続いている。そんな僕の元に、まるで妖精のような笑顔を振りまく令嬢が現れた。たとえ偽善だとしても、僕は彼女を生かすためにいろいろと手を尽くした。ならば暖かな陽気の元、少しくらい微笑ましい想いをしたってよいのではないか?
徒歩でせいぜい10分程度の場所にあるショッピングモールまで、僕はシルビアとともに手をつないだまま歩いた。
にしても、僕は一つだけ、後悔していることがある。
つい癖で、軍服姿で来てしまった。私服がないわけではないが、軍服の方が何かと都合がいいことが多いため、ついこの格好で外出してしまう。
おかげで、時々軍属らしき人物より敬礼される。僕はそれに返礼で応える。が、右手は敬礼しつつ、左手には赤いドレスの銀髪のご令嬢の手を握っているその姿に、多くの者が唖然としているのがわかる。
そんな奇異の目にさらされながら、僕らはようやくショッピングモールにたどり着く。
「いらっしゃいませ!」
まず向かったのは、服の店だ。普段着に寝巻くらいはそろえておかないと、また胸元の緩い姿を見せつけられることになる。
「彼女の服や下着類を一式、そろえてほしい。デザインや数は、任せる」
「承知しました! それじゃお嬢様、こちらへいらしてください!」
「あの、何をするのですか?」
「お洋服を、いくつかお召しになるのです!」
妙にテンションの高い店員に圧されて、シルビアは試着室へと向かう。その途上にある服という服を片っ端から手に取り、そのままシルビアごと試着室へと入っていった。
……で、僕はその間、どうすればいいのだろう。将官であることを示す飾緒付きの軍人が、ブラジャーなどの下着が垂れ下がる店の前で立ち尽くしている。
敵艦隊に囲まれたとき以上の緊張が続く。そんなところにあのテンションの高い店員が、僕を大声で呼ぶ。
「お客様の旦那様ぁ! こちらにいらしてくださーい!」
声がでかい、声が。ともかく、僕は軍帽を深めにかぶりつつ、試着室へと向かう。
そこには、ついさっきまで貴族姿だったシルビアの、変わり果てた姿があった。
上半身は、ややぶかぶかのシャツに、体のラインがもろに出る細めのデニム。長い銀髪を束ねたポニーテールな髪型のシルビアは、もはや貴族令嬢の面影などかけらもなかった。
このボーイッシュな姿に変えられてしまった彼女に、僕は思わずドキッとする。未だかつてない衝撃だ。店員は続ける。
「この奥様、かわいらしい衣装ももちろんお似合いですが、この明るく積極的なお顔を活かすなら、いっそこれくらいギャップがある方がかえって刺激的かと思いまして」
ほかに数着の服を着せた後で、店員一のおすすめの姿がこれだという。確かに、元の姿とのギャップがたまらない……いや、この方が貴族だという遠慮がなくなる。ということで、他の服とまとめて購入し、その後はこの姿のまま歩くこととなる。
ということで、ついさっきまで赤ドレスのご令嬢は、ポニテのボーイッシュな女性と変身し、再び僕と手をつないで歩く。
「で、旦那様、次はどこへ参りますか!?」
「ええと、そうだな。ベッドを買わないといけないから……」
「ベッドなら、すでにありますよ」
「いや、あれは僕のベッドで会って、シルビアのベッドでは……」
「なんですか、別々に寝るつもりだったのですか!? それほど私は、魅力のない女なのですか……」
「いやいや、そういうわけではなくてだな!」
「ならば、よろしいではありませんか。夫婦そろって寝れば、新たなベッドなど不要にございます」
と押し切られて、ベッドを買うのを諦める。
が、それ以外の生活用品も必要だ。食器に歯ブラシ、タオル、それに……たった一人、人が増えるだけで、これほど物入りになるとは思わなかった。
で、一通り、生活用品を買いそろえたところで、シルビアがこう口にする。
「旦那様、私、また辛いものが食べたいのです!」
今度は、食べるものを要求してきた。いや、そういわれてみれば、朝食も食べずに歩き回っている。腹も減るだろう。
しかし、だからと言って辛い食い物を要求するというのはどういうことだ? 一見するとおしとやかで明るく振る舞うお嬢様だが、自身の欲望には正直だ。
かといって、悪女とまでは感じない。
勘当された理由が気がかりではあるが、それはおいおい聞くことにしよう。
と、思ったその時だ。いきなり背後から、叫ぶ声が聞こえる。
「シルビア! お前、なぜここにいる!?」
僕とシルビアは振り返る。そこにいたのは、刺しゅうを施した燕尾服を着た、明らかにこの王国の貴族と思しき人物だ。初老のその人物が、いきなりシルビアを呼び捨てる。
が、その男に、シルビアもこう返す。
「お、お父様、どうしてここに……」
「どうしてではない! なぜお前がここにいる! なぜ、まだ生きているのか!?」
なるほど、この人物がすなわちシルビアの父親であり、そしてシルビアを勘当したという人物か。僕は間に入る。
「昨日、彼女と出会い、住む場所がないというので小官の宿舎の一室を貸すことにしました」
「誰だ、貴様は!?」
「僕、いや、小官はシュパール准将と申します」
相手は一応、貴族だ。僕は敬礼しつつ名乗る。その名を聞いたその人物、つまり、トルタハーダ男爵家の当主であるこの貴族は、こう反応する。
「なるほど、お前があの退きの英雄か」
奇妙な呼び名だな。殿に英雄も何もないと思うのだが。ともかく、僕はこう言い放つ。
「どのような理由がおありかは存じませんが、特段、問題のある人物とは思えません。何ゆえ、彼女をここまで憎まれるのです?」
殿の英雄などと呼ばれたことも影響したのだろう。僕は急にこの人物に嫌悪を覚える。ゆえに僕は、こう尋ねた。
すると、意外な一言をこの男爵は放つ。
「こやつはわしの嫡男を、殺したのだぞ!」
それを聞いたシルビアの顔が一瞬、曇る。殺したなどと言い出すとは、尋常ではない。が、それを聞いた僕はなおも聞き返す。
「王国では、殺人をしたものを裁く法はないのですか?」
「そんなことはない。人を殺せば当然、その報いを受ける」
「で、あるならばなぜ、彼女は裁きを受けることなく、いきなり追放なのですか」
「こやつはただものではない、禁忌の呪いを復活させ、それを用いて実の兄を殺めたのだ! なればこそ、法で裁けぬというだけだ!」
不可思議なことを言い出した。はっきりとわかったことは、凶器などを使って兄を殺したというわけではない、ということだ。それゆえに裁くこともままならず、家から追い出した。生活基盤を持たない令嬢が、貴族家から追い出されれば無事で済むはずがない。それを分かったうえで、この父親は実の娘を追い出したというのだ。
だが、理由が釈然としない。呪いだと? 何を非科学的なことを言い出すのかと思えば、それが追放の理由だというのだ。僕はこう言い返す。
「そのようなあやふやな理由では、彼女が人殺しなどと断定するわけには参りませんね」
「そうか……」
僕のこの一言に、この男は拍子抜けするほどに短く返す。が、最後にこう言い放つ。
「ならば、そなたもこやつの呪いによって殺される運命ということだ。せいぜい、天国にて悔やむと良い」
そう言い放つと、男爵は足早に去っていった。
「だ、旦那様……」
周囲の視線は、僕らに向けられている。それはそうだ、人殺しと呼ばれた娘が、飾緒付きの軍人とともにいる。何の事情も知らぬ人々が見れば、何事かと思う。
いや、それは僕とて同じ思いだ。
シルビアが、人殺しだと? しかも禁忌の呪い? このキーワードだけで、彼女とあの父親との間に何が起きたのかを知ることは不可能だ。
というわけで、場所をがらりと変えて、とあるカフェに入る。
ブラックなコーヒーが2杯、僕とシルビアの前に置かれる。先ほどまでのあの能天気な表情はどこへやら、落ち込んだ姿のボーイッシュなシルビアがそこにいた。
こうなったら、聞かないわけにはいかない。僕は思い切って尋ねる。
「事実を、知りたい」
僕はシルビアに対し、まずこう切り出した。
「僕の知る限りで、呪いの類いで人が死んだなどという話はほぼ100パーセント、迷信に過ぎない。それを前提として、何ゆえあなたが実の兄を殺したということにされているのか?」
こういうことは、単刀直入に聞いた方がいい。呪いなどというものが、さほど力を持つなど到底信じられない。ましてや、そんなものとは無縁そうな性格のシルビアが、兄を呪いで殺すなど考えられない。
が、シルビアはコーヒーを一口、飲むと、ようやく口を開く。
「禁忌の呪いを復活させた、というのは、本当でございます、旦那様」
意外な一言が出てきた。シルビア自身、禁忌のものに手を出したこと自体は認めたのだ。が、その上で彼女は、こうも述べる。
「ですがそれは、人を殺めたりするような呪いではございません! それだけは、信じてください!」
必死にそう訴えるシルビアからは、僕は嘘偽りの何かを読み取ることはできない。つまり、彼女は真実を告げている、と。
軍大学以来、僕は何度も嘘や大言を吐く連中を目にしてきた。そういうやつは、どこか目の奥や顔の表情に暗い影が落ちている。しかし、シルビアのそれらからは、そのようなものが見当たらない。
「ところで、その呪いというのは、どういう類いのものなのか?」
だから僕は、その禁忌のものとされるその呪いとやらの正体を聞いてみることにした。あの父親のいう言葉、そしてシルビアのいう言葉には隔たりが大きすぎる。ここまで知ってしまったならば、その両者の言い分を説明できる接点が欲しい。そう感じるのは、自然なことだ。
が、シルビアは、ますます不可解なことを言い始める。
「私の持つ禁忌の呪いとは、人の死を読む力なのです」