#2 追放
「まあ、これがその辛い食べ物なのですね!」
僕は行きつけの店に、その令嬢を伴い向かった。偶然ではあるが、僕が行きつけの店というのはまさに辛口を売りにする店だった。
そこはカレー専門店。甘口から、10段階の辛さをそろえた本格的なカレー店。たまりにたまったストレスを発散するには、辛いものに限る。僕はここの5段目の辛さのチキンカレーに、マフラーほどの大きさのあるナンを絡めて食べるのが僕にとってはなぜかあの忌々しい少将閣下からの言葉を忘れさせてくれる。辛さにはストレス解消の効果があるというが、それが作用しているのかもしれない。
そんな場所に、赤い服を着た貴族令嬢が現れた。場違いも甚だしい。だが、この令嬢は嬉々として店内を見渡している。
「注文だが、僕はいつもここで5番目の辛さのチキンカレーとナンセットを頼んでいる」
といいながら、僕はメニュー表を見せる。ナンというものがわからない様子だったので、ちょうど近くの客が食べているそれを見せて、この令嬢に納得してもらう。
「で、あのナンというものをつけているあれが、辛い食べ物ということなのですか?」
「そうだ。あとは辛さを指定すれば注文できるが、普通の辛さでいいか?」
僕はやや事務的に彼女にそう提案する。が、彼女から返ってきた言葉は、想定外のものだった。
「それじゃあ、一番辛いやつで」
ちょっと待て、いきなり初めての来店で、一番辛いやつを頼むやつがいるか。慌てて僕はこの令嬢にいう。
「おい、一番辛いやつは本当に辛いんだぞ? この街で一人か二人、耐えられるかどうかのレベルだ。本当にいいのか?」
「ええ、ですが私、辛味には自信があるんです」
「いやいや、この王国の香辛料なんて比較にならないほどの辛さだぞ!? 僕でさえ、5番目でようやくといったところなんだが」
「かまいません。一番辛いのに致しましょう」
何を嬉しそうに手を合わせて、僕に激辛なカレーを注文するように促してくるのか。ともかく僕は相手にするのが面倒になってきたので、そのまま彼女の望み通りにすることにした。
「チキンカレーのナンセットで、5辛と10辛で」
「はい、5辛と10辛で……ええと、10辛の辛さは、御存知でしょうか?」
「いいから、注文通りにしてくれ」
思わず店員にあたってしまった。ただでさえ、撤退戦を押し付けられ、挙句に査問会で責められたばかりの僕に、いちいち確認など求めないでほしいものだ。そんなことは、百も承知だ。いや、むしろ一つも承知していないこの令嬢が、それを口にしようとしているのだが。
ならば、分からせるしかない。
で、注文の品はすぐにやってきた。僕のチキンカレーも大概だが、赤いドレスの令嬢の前に置かれたこの店最高の辛さを誇るカレーから放たれる刺激臭は、こちらの比ではない。
「なんて美味しそうなのでしょう! それでは早速、いただくとしますか」
そう述べると、この令嬢は急に両手を組み、それを額に当ててこうしゃべり始める。
「ジュナス、レアミディエディ、マヴィスパーミス、デュモドリ、オディウフィ……」
なんだ、急に意味不明なことを言い始めたぞ? いや、きっとこの王国における食前の儀式か何かなのだろう。我々とは違い、宗教的な風習が色濃く残る星だと聞いている。その一環が、今僕の目の前で行われているだけだと解釈する。
が、敬虔な一面を見せたかと思えば、急にその赤ドレスの令嬢はナンを引きちぎり、刺激臭漂うそのカレーにどぶ漬けする。いや、あの辛さをいきなりその量で食べるのは……と思ったのもつかの間、彼女はそのナンごと、口に放り込む。
「うっ!」
ほら、いわんこっちゃない。激辛のカレーをいきなり味見もしないで放り込むやつがどこにいるか。
「う、美味いです! これほどの刺激的な味、まさに至高の辛味でございますわ!」
と、思ったものつかの間、なんとこのお嬢様、この店一番の辛味を平然と口にし、絶賛しやがった。
「これはまさしく、究極の香辛料の味。南蛮の奥地にあるとされる未知の香辛料をふんだんに使ったものと思われます。まさに私の最期の晩餐にふさわしい味、と言えますわね」
まあ、貴族らしく長ったらしい説明の後に、それを再び口にして満悦の様子だ。いや、ちょっと待て、この令嬢、今とんでもないことを口走らなかったか?
「あの、令嬢さん」
「はい、なんでしょうか?」
「今、あなた、最期の晩餐とおっしゃいませんでしたか?」
「ええ、申し上げました」
「それはいったい、どういうことなのですか?」
最後の晩餐、すなわちこれが人生最後の食事だと、そう宣言した。これは聞き捨てならない。するとこの令嬢は手元の紙で口を拭いた後に、こう僕に告げる。
「実はですね、私、お屋敷を追い出され、行く当てがないのでございます」
さらりと述べるご令嬢だが、僕の脳内にはいくつもの疑問が浮かび上がる、それらを整理して優先順位を決め、質問を投げかける。
「あなたは、貴族のご令嬢ですよね?」
「はい、ついさっきまで、そうでした」
「そのご令嬢が、どうして屋敷を追い出されたので?」
「はい、お父様より忌まわしい悪女であると宣告されまして、それで私、トルタハーダ男爵家より勘当、そのまま追放ということになったのでございます」
ますます疑問が増幅するぞ。確かにこれほどの辛さをぺろりと食べる姿は確かに気味が悪いが、その程度のことで悪女と呼ばれ、貴族家を追放される理由にはならない。ともかく、これからどうするつもりなのかを聞こうか。
「と、いうことは、あなたはこれからどうするつもりだったので?」
「この宇宙港というところは、何度か足を運んだ場所でもあります。そこで私の好きなものを食べ、そのまま王都のはずれにて死を待とうかと考えていたところでございます」
「いやいや、それはダメだ! どこか親戚とか、身寄りの家などはないのですか?」
「お父様が私を逃すはずがございません。親戚筋などはすでに手が回っておりましょう。なれば、私が行ったところで、引き受けてくれるところなどございません」
予想以上に深刻なお嬢さんだった。この調子だと、おそらくこの食事代も僕に出させるつもりだったのだろう。いや、そんなことは今となっては些末なことだ。
1万5千隻、150万人もの将兵を救うために奔走した殿専門の戦隊長が、たった一人の令嬢の死を黙認してよいものかどうか?
僕は、決意する。
「僕は幸いにも、この国で男爵号を持ち、軍では准将という身分にあります。それゆえに、一人では余るほどの宿舎に住んでいます」
「まあ、それはご立派なお方で」
「そこで提案なのですが、その一室をあなたにお貸しします。そこを住みかとするのは、いかがですか?」
「えっ、私に、住む場所をお与えくださるのですか!?」
「やむを得ないでしょう。この宇宙港の街では、あなたが野宿することは不可能。たとえそれをやろうとしても、追い出されるのがおちです。かといって王都の貧民街にでも行けば、それこそ何をされるか……」
宇宙港の街というのは、地球716の者しか住むことが許されていない。王国の方の適用もない治外法権も保証されており、それゆえにたとえ貴族令嬢と言えども、簡単にこの地に住むことは許されない。
が、方法はある。地球1060の住人を住まわせる特例というのがあるはずだ。僕はスマホで調べ始めた。
一つ見つけたのは、住み込みの従業員として雇うという方法だ。貴族令嬢を住み込み従業員にするにはあまりにも不憫ではあるが、それしか方法がない。
が、この方法には欠点があった。まずは街の中にある職業斡旋所にて従業員登録を行い、その上で僕が雇う、という手順が必要なのだが、肝心のその斡旋所が夕方の5時には閉まってしまう。
この時点ですでに、時刻は5時半を過ぎていた。30分遅かった。
困ったな。このまま黙って、僕の宿舎に連れ込むか? いや、それはそれで大いに問題がある。将官でありながら、この街のルールを破るというのはさすがにまずい。しかも査問会を受けたばかりの身だ。それはあまりにもリスキーすぎる。
もっと合法的な手段で、この街に彼女を引き留める方法はないのか? 僕のスマホでそれを探し続けるうちに出てきたのは、とある選択肢だった。
それは、あまりにも人生にとって重い選択肢だ。
「あの、お嬢さん、たった一つ、僕の住まいに合法的に住む方法があるのですが」
「はい、そうなのですか?」
「ええ、ですがそれは、あまりにも人の生涯において重大過ぎる決断を伴うものであり、とてもお勧めはできないのですが……」
「重大過ぎるとは、どれほどのことなのです?」
「つまりですね、夫婦になる、ということです」
そう。住み込みの従業員以外に、自身の宿舎にこの星の人間を住まわせる方法とは、家族にするというものだ。まだ名前も知らないこのご令嬢に、僕は何の前触れもなくそんな提案をしてしまった。
が、このご令嬢はこう返答する。
「なんだ、そんなことでよろしいのですね。でしたら私、あなた様の妻になります」
「は?」
ところがだ、この令嬢はあっさりとそれを承諾する。
「ちょ、ちょっと待ってください。簡単に言いますけど、貴族の身分だったものが、どこの馬の骨ともわからない軍人の妻になるのですよ?」
「ですがあなた様は先ほど、この王国で男爵号をお持ちだとおっしゃっていたではありませんか」
「形だけの男爵で、屋敷もなければ領地もない男爵ですが」
「私など男爵家を追い出された身です。それを思えば、これほどの話、私にとっては身に余るほど光栄な話なのですが」
「それはそうですが……こう言っては何ですが、お互いに名前すらも知らない間柄ですよね」
「そうでしたね。まだ名乗っておりませんでしたわ。私、シルビア・ド・トルタハーダと申します。歳は19になります」
「ええと、僕の名はライムント・シュパール。歳は25歳で、500隻の艦隊を率いる准将をしております。ちなみにロベール男爵という貴族名も拝命しております」
「まあ、かの有名なシュパール様でいらっしゃったのですね! なんという偶然でしょう!」
互いに名乗りあったところで、どうやらこのシルビアという令嬢は僕の名を知っているようだ。
「あの……僕の名を御存知で?」
「500の寡兵をもって、1万以上の敵を翻弄し味方を何度も救った英雄だと聞かされております。貴族の間では、寡兵の退き将軍として名高いのでございますよ。そのようなお方の妻になれるなど、むしろ私から志願したいほどでございます」
どうやら、貴族の間で僕は、変な評判が立っているらしいことは分かった。すべては負け戦の尻拭いをさせられているだけなのだが。
ということで、本人も乗り気ということになり、そのままこの宇宙港のはずれにある役場の出張所に出向く。そこでは24時間、常に事務的な受付をしてくれている。もちろん、婚姻届けも同様だ。
で、そこで僕らは出会って2時間も経たないうちに、夫婦ということになってしまった。トルタハーダ男爵家を追放されている手前、シルビアも名を「シルビア・ド・ロベール」と、僕の持つ男爵号を取り入れた名に改姓した。
で、そんな二人が宿舎に到着する。
「わあ、ここが星の国の方々のお屋敷なのですね」
屋敷と言えるほど、広い建物ではない。せいぜい4LDKの住まいなのだが、これでも将官ということもあり、他の士官よりは優遇された一戸建ての宿舎があてがわれている。
そんな家に一人暮らしをしていたため、ほとんどが空き部屋だ。2階にある3つの部屋は物置か空虚な空間と化している。そこの一つをシルビアの部屋とすることにした。
が、問題が発生する。
僕と夫婦になることで、シルビアにはこの街での身分証を得ることになる。
しかしだ、身分証さえあれば生活できるというものでもない。宿舎に戻って、それを痛感する。
「あの、私、できれば水浴びをしたいのですが」
そうだ、風呂だ。当然、彼女はシャワーだの浴槽だのを知らない。いつもはメイドが用意してくれているというが、ここにそんな者はいない。
だから、僕が教えるしかない。
「まずはここを捻ってだな、湯が出てくるから、それを浴びて……」
「うわぁ、本当に温かな湯が出て参りましたわ!」
「いや、シルビアさん、こっち向かないで!」
風呂場ではまさか服を着て対応するわけにもいかないから、裸の付き合いとなる。が、名目上の夫婦だ。まじまじと見るわけにもいかない。
「身体だけではなく、髪も洗えるのですね。さすがは星の海の向こうからもたらされた技ですわ。で、これをどう使うのですか?」
なんの恥じらいもなく、僕に胸元を晒しながら尋ねるシルビアに、僕は一つ一つ教えていく。シャワーの出し方、シャンプーやボディーソープの使い方、そして浴槽。気づけば二人でその浴槽に入っていた。
「誰かと共に身体を温め合うのが、これほど穏やかな気分になれるとは知りませんでした。また共に入りましょうね、旦那様」
もうすっかり僕は彼女の「旦那」にされてしまった。いや、書類上はその通りなのだが、実際にはまだ出会って4時間も経っていない。
欲望と理性とのせめぎ合いを繰り広げた後に、ようやく風呂場を出る。彼女にはとりあえず、僕の余った寝巻きを着せた。サイズが大きすぎてぶかぶかなそれを着た彼女が、今度はこう言い出す。
「ところで、ベッドはどこにあるのでしょう?」
しまった、寝るところを考えてなかったぞ。あるのは僕の寝床だけだ。仕方がない。僕はシルビアにベッドを譲り、ソファーで寝ようとする。
が、それをシルビアは拒絶する。
「旦那様、夫婦なのですから、同じ寝床で寝ることに、なんのためらいがありましょうか!?」
「いや、しかしだな……」
「私とて、男爵家の令嬢としての嗜みがあります。夜伽の心得もございますわ。さ、ベッドに参りましょう」
と言って、勢いよく僕の手を引いてベッドに向かうシルビアは、僕の両手を握ったまま、ベッドで顔を見合わせる。こいつ、こちらの理性を突き崩すつもりか。
「誰かと同じ寝床で、こうして顔を合わせるのもよろしいものでございますね。私、生まれてよりこのかた、一人で寝ることが多く……ふわあぁ……」
ところがだ、ベッドに横になった途端、疲れが出たのか、シルビアは寝てしまった。すうすうと、ほのかに温かい息に、先ほどの強烈な香辛料の香りをうっすらと漂わせながら、僕の目の前で寝落ちしてしまった。
貴族に関わると、面倒なことになる。僕が宇宙港で感じた予感は見事に的中した。それも、男爵家の令嬢を妻にしてしまうという、査問会など些末な出来事に思えるほどの衝撃的な人生の節目を迎えてしまった。
それにしても、疑問は残る。
シルビアが男爵家を「追放」された理由は、未だ分かっていない。どう見ても、辛いもの好きというだけでまさか男爵家も実の娘を勘当などしないだろう。
その理由を、聞かなければならないだろうな。
寝息を立てるシルビアにシーツをかけて、僕もその隣に寝転がる。今日は、いろいろあり過ぎた。僕自身、疲れている。
僕は目を閉じて、ふと冷静になって考えた。
独り者の僕に、いきなり見ず知らずの貴族令嬢と出会って、そのまま妻になってしまったぞ。その奥さんとは宇宙港のロビーで出会い、カレー食べて、そのまま役場に届け出て、一緒にお風呂に入り、今は僕の真横で眠っている。
明日からどうするんだ、これ。