#11 秘伝
「予想以上の働きをしてくれたよ。礼を言う」
あの事件の日から3日後、僕はシシリアス侯爵家の屋敷に呼ばれ、デメトリオ殿から感謝される。ちなみに、あの実行犯がどうなったかについては特に教えてはくれなかった。別に、知りたいとも思わない。少なくとも、そいつが生きていることはなさそうだ。
「さて、約束の報酬だが、お金はもちろん、例の呪術をかけるという話も忘れてはいない」
と、話は例の呪術の話に移る。
「そういえば、シシリアス侯爵家に伝わる呪術とは、どのようなものなのです?」
「うむ、少なくともトルタハーダ家の呪術よりはすごいぞ。我がシシリアス家の呪術のなんたるかを聞けば、我がシシリアス家が侯爵家で、かつ長年武門を担う家であるその真の意味を知ることになる。いやおそらく、このルミエール王国でも一、二を争うほどの強い呪術であることは間違いない。何せこの王国が成立して300年、幾多の戦いにあっても、我が一族が戦に負けたことのないのはまさにその呪いのおかげでもあり……」
いちいち面倒くさいやつだな。どうして貴族というのはその身分の高さにこだわるのだろうか。そういう御託を並べなくていいから、それを早く話せと。
「……おっと、つい要らぬことを口走ってしまった。さて、そんな我が家の優れたその呪いというのは、『死に戻り』と言われるものだ」
と、ようやくシシリアス侯爵家のその秘術というものが明かされる。って、えっ、死に戻り?
「あの、それはどういう……」
「その名の通りだ、一度だけ、死ぬ前に戻ることができるという呪いだ」
「いや、ちょっと待て下さい、それはとんでもない術なのでは!?」
「だから言ったではないか。我が王国でも一、二を争うほどの呪術だと」
散々大げさな自慢をされたかと思ったが、それは本当にとんでもない術だ。死んだ状態が、一度きりとはいえ「なかったこと」になる、そんな呪いだ。そんなバカげた、いや非常識極まりない呪術がこの世に存在するのか。
我々の物理法則では、時間は一定方向しか進まない。決して、戻ることはない。そんな原理原則に、真っ向から逆らう術だ。どういう仕組みなのだ、それは?
「我が家ではこの技のおかげで、前線で戦うことにためらうことなく突き進むことができた。なにせ、死んでもやり直せるのだからな。死を恐れずに進む将軍が現れれば、敵はひるむしかないだろう」
いや、それはその通りだが、でもたった一度だけなのだろう? 死を恐れぬといっても、一度死んだら二度目はない。あるいは、その場でまた術をかけなおしては突撃をしていたのであろうか? どちらにせよ、正気の沙汰ではない。
「で、その術を今、ここでかけてくれるので?」
「いや、無理だな」
ところがだ、呪術をかけると約束しておきながら、無理だという。
「あの、呪いをかけるという約束では?」
「私では無理だ、というだけのことだ。貴殿も呪術師となるべき素質がどのようなものか、知っているはずだ」
ああ、そうだった。シルビアによれば、体内に大量の香辛料を取り込み大量の呪気を満たせる者でなければ呪術を使えないと言っていた。
つまり、激辛好きでなければ呪いは使えない。
「私自身も、辛いものが嫌いだというわけではない。が、『死に戻り』の呪術は生半可な呪気ではなしえない技だ。このため、我が家においてはそれを使いこなせる者がいない、というのが現実だ」
「ええと、それじゃあ……呪術の話はなかったことに?」
「いや、一人だけその呪術を発動できる素質を持つ者がいる」
「それは一体、どこに?」
「貴殿の家に、いるではないか」
もしかして、シルビアのことを言っているのか? 確かにシルビアの辛いもの好きはすさまじいものではあるが、仮にも男爵家の娘だぞ。
そんな家に、侯爵家代々秘伝として伝えられてきた呪術を教えてしまってもいいのだろうか。
「あの、貴族の持つ呪術は秘伝であると聞いてますが、そんなものをシルビア、つまり我が妻に教えてしまってもいいものなのですか?」
「どうせ宇宙時代を迎えて、我々自身が戦場に出向くこともなくなりつつある。なによりも、ここ数代にわたってその呪いが使える者が出ていない。その術のかけ方を他家に漏らさぬと約束するならば、貴殿に伝えても問題ない。なんなら、私自身にもその『死に戻り』をかけてもらうことができる」
ものは考えようか。どうせ使えないものを持っていても仕方がないし、せっかく使える者がいるのならばその者に教えて、自分自身にかけさせたいと思うのは当然だろう。
ということはつまり、前回のあの暗殺事件の際は、その「死に戻り」の技をかけていなかった、ということになる。だから護衛を頼んだというわけか。
「承知しました。で、その呪術はどうやってシルビアに伝えればいいのですか?」
「ここに、そのやり方の書かれた巻物がある。これを貴殿の持つスマホで撮影し、持ち帰ればよい。あの者ならば、それを読むだけですぐに体得することであろう」
秘伝の技が書かれた巻物を、スマホの写真で持ち帰るなど、なんだかあまりにも風情がないというか、呪いらしくないな。とはいえ、デメトリオ殿が広げた1メートルほどの巻物を、僕は写真に収めた。
「さて、これで例の事件の借りは返したことになる。ああ、いずれ私も貴殿に家に伺い、私にもその『死に戻り』の呪術をかけてもらおう。ではその日まで、壮健なれ」
そう言い残して、このシシリアス侯爵家の嫡男は去っていった。
で、後に残ったのは、この事件の顛末を総司令部に報告することだった。
やはりというか、事前にデメトリオ殿の護衛の話を持ち掛けられていたことがばれてしまったからだ。そりゃあ陸戦隊員2人を連れて歩くなど、ただの打ち合わせとは思われまい。
「実は刺客に襲われる恐れが高いと、デメトリオ殿より小官が直接頼まれたことには違いありません。ですが、相手についての素性もわからないうえにその刺客はデメトリオ殿に引き渡したため、なぜそのように至ったのかは小官にも不明であります」
事件の詳細を将官らに問い詰められるも、僕としてはこう答えるのが精一杯だった。それは当然だろう。事実なのだから。
「我が司令部に知られたくないことということは、王族が絡んでいる可能性が高いな……ともかく、この王国は未だに血生臭い権力闘争が続いている、ということに他ならない。ともかく、一人の貴族を救うことができたのであれば、良しとするか」
という、ディークマイヤー大将のなんとも適当な結論でこの場は締めくくられた。
「運がいいのか、悪いのか」
宿舎で僕は、シルビアとリリューの前でそう呟いた。それを聞いたシルビアはこう答える。
「何をおっしゃいます。運がいいに決まっております」
「なぜ、そう言い切れる?」
「この呪術はまさしく王国一の秘術でございますよ。これほどの技があの侯爵家の地下の底で眠っていたとは、実に驚きでございます。なんとそれを、我がロベール男爵家のものにできたのですから」
「だが、使いこなせる者がいないとあっては、たとえ王国一の呪術であったとしても無意味だろう」
「そうですわね。だいたい最近の貴族はだらしがないのです。たかがこの程度の辛さにも耐えられぬ者がいると聞き及んでおります。どうなっているんですか、我が王国貴族は」
と言いつつ、シルビアはどこからともなく手に入れてきたインスタントの担々麺をフォークですくいながら、ずるずると食べ始める。なお、この担々麺の辛さレベルは、おそらく僕が食べられるかどうかのギリギリくらいのものだ。
それに、さらに何やら液体をぶちまけている。デスソースと書かれたパッケージのあれの中身は、辛いというレベルではない。口の中で激痛が走り、喉はそれを拒絶するあまり、呼吸ができなくなるほどだ。
「ん〜、おいひ〜」
スイーツにご満悦な女子のような言葉を吐いているが、あれは通常の女子の耐えられる食べ物ではない。
しかし、あの呪術を使うにはこの香辛料の力が必要だ。貴族が呪術を使う際に欠かせないとなれば、辛いものが平気だというのもうなづける。
実際、かつては貴族と言えば皆、辛いもの好きであったという。庭には唐辛子やコショウが植えられており、それを改良して辛さを追求していったものだという。
が、最近の貴族家の屋敷には香辛料を積極的に植えて改良する者がめっきり減ったという。辛い物好きの子孫が、辛い物好きだとは限らない。シルビアの実家であるトルタハーダ家もそうだ。彼女以外には、トルタハーダ家の誰もがこれほどの辛さには耐えられないそうだ。いや、嫡男はある程度の辛味はいけたらしいが、事故で亡くなってしまった。そういえばトルタハーダ家の庭にも香辛料が植えられていたが、あれは貴族家としてのたしなみだとして、当主自身はそれを収穫して食べることを良しとしなかったという。それを夜な夜な少しづつ収穫しては、空いた使用人の部屋の片隅で乾燥させ、熟成させていたのだという。
話を聞く限りでは、多くの貴族家では実質、呪術が廃れているのではないだろうか? そう考えると、シルビアという人物はその呪術を継承する数少ない術師ということになる。
とんでもない話になってきたぞ。ただの辛いもの好きだと思っていたら、呪術を使いこなす魔女のような存在になりかねないとは。
「さて、頃合いですね」
と、シルビアが僕にこう言い出す。
「なんだ、頃合いって?」
「だって旦那様、私に呪いかけさせるため呼ばれたのではないのですか?」
いや、確かにそのつもりではあったが、これほど早く呪術を試せとは言っていないつもりだが。
前回と同じく、ろうそくに火を灯し、唐辛子をちぎりパッとその火の上にかける。つんとした香りが漂う。
「それじゃあ、いきますね。シーフプレイ、モートェ、モラヴィア……」
何やら呪文を唱え始めた。僕に手を当ててその呪術をかけるシルビアだが、別に変化はない。
というか、呪文は例の「死を読む」呪いと同じなんだな。では一体、何がその呪術の種類を分けているのか。
「お前の持っている『死を読む』呪術と、ほぼ同じ呪文にしか聞こえなかったが」
「えっ、だって私は今、『死を読む』呪いの方をかけたからですよ」
「はぁ!? それじゃ、こっちの呪術はどうした!」
「いいから、まずは私の話を聞いてください」
目を閉じたシルビアは静かにこう告げる。そうだった、今から僕の「死を読む」ところだった。まずはそれを黙って聞くとしようか。
「……この間と、同じです。真っ黒な窓の外、網目状のものに、無数の点……この間よりも、さらに近くて多い……」
やはり、場所は戦場か。ただし、前回と違って、シルビアが網目と呼ぶレーダーサイト上には多数の敵影が映し出されているのみだ。
その話ぶりを聞く限り、殿任務の途上で囲まれているとみえる。おそらく、小惑星帯か何かに逃げ込んだのだろう。
「あ、急に窓の外が明るくなりました。光の玉がたくさん、光り始めました」
と、急にシルビアが興奮気味にそう伝える。状況からして、どう考えても眩光弾だ。それを使って逃げ出そうとしているところのようだ。
「なあ、シルビア。その光は今、どうなっている?」
「なぜかどんどん大きくなっております。あの光の中に、飛び込もうとしているかのように」
その話から察するに、僕はおそらく前回と同じ作戦をとろうとしたようだ。眩光弾で逃げると見せかけて、中央突破する。今回は中央ではないかもしれない、もしかしたら艦隊の端を狙ったのかもしれないが、いずれにせよ、眩光弾の光の中に飛び込んで、正面突破を図ったと考えられる。
「真っ白な光の陰から飛び出したようです。目の前は真っ暗な窓が……あ!」
「どうした?」
「急に青い光に包まれて、それからまた真っ暗に変わりました。おそらく、亡くなられたようです」
どうやら二度同じ技は使ってはならない、ということがここから分かった。言われてみればその通りだ。敵だってこちらが前回と同じ手を使うことを想定しているだろう。おそらく、それに引っかかったのだ。
しかし、眩光弾を背後に抱えた状態で、どうやってこちらを狙い撃ちできたというのだ? もしかすると敵にはなにか、秘策があるのだろうか。どちらにせよ。自身の「死を読む」ことで、次にするべきことを考える機会を得た。
が、肝心なことを忘れるところだった。
「おい、シルビア」
「なんでしょう、旦那様」
「シルビアの持つ呪いのことは分かった。が、僕がかけてほしかったのは、あの侯爵家の息子からもらったというあの技だぞ」
「短気ですねぇ、もちろん、これからかけるんですよ。ちょっと待ってくださいね」
と言いながら、デスソースのキャップを開け、手に持っていた一口サイズの辛チキンにじゃばじゃばとかける。それをポイッと口の中に放り込む。
あんな激辛なものを、まるでポテチでも食べるようにもしゃもしゃと食すシルビアの姿を見るに、僕は少し恐怖を覚える。
あれは確かに魔女、いや、呪術師と言った方が正確か。ともかく、銀色の髪を揺らしながら、再び呪いをかける準備が整ったようだ。
「頃合いです。じゃあ本番、いきましょうか」
そう言いながら、シルビアはロウソクに再び火を灯す。今度は3つほどの唐辛子を取り出して、それをバリバリと細かくちぎり始める。そしてそれを無造作にろうそくの火の上にばらまいた。ボッと。ロウソクから火の手が上がり、さっきよりも強い刺激臭が漂う。
するとシルビアのやつ、今度は僕の頬を両手で抱えながら、こう唱える。
「ジュティドェナイ、ウネアティラ、チャンセ……」
な、なんだ、どうして頬に手を触れる必要がある? ゆっくりと呪文を唱え終えたシルビアは、そのまま僕に顔を近づけてくる。そして、僕の唇に密着するように口づけをした。
強烈なデスソースの辛い香りが、肺の中に充満する。一瞬、むせかけるが、どうにかこらえる。やがて、うっすらと目を開いたシルビアの顔が、僕の目の前に現れる。
「……これで、旦那様は一度だけ『死に戻る』ことができる身体となりました。すさまじい呪いには違いありませんが、効果は一度だけ。もし旦那様が一度、死に戻ってしまったなら、再びその術をかけなおさなくてはなりません」
「なあ、シルビアよ。ちょっと聞いていいか?」
「はい、何でしょう?」
「口移しが必要、ということはだ、この呪いは自分自身にかけることはできないのではないか?」
そうだ。あのデメトリオ殿はかつて祖先がこの技を使い、命を顧みず敵陣に突っ込んだと言っていた。が、あのやり方では、自分自身にかけることができない。
ならば、どうやってあの術を自分にかけていたのだ。
ところが、シルビアはあっさりと答える。
「いえ、自分にかける方がもっと簡単です。見ててください、旦那様」
といって、再びロウソクの火を消して燃え尽きた唐辛子を振り払うと、再び火をつける。そして、またデスソース付きチキンを食べた後に、ろうそくの炎の上に無造作にちぎった唐辛子をかける。
「ジュティドェナイ、ウネアティラ、チャンセ……」
呪文を唱えながら、シルビアは胸に手を当ててしばらく目を閉じてじっとしている。しばらくすると、深呼吸を始める。
「これでおしまいです。自分にかける場合は、自身の中に呪気を流し込めばいいので、口づけが要らないんです」
つまり、自分の中の辛味の香り、呪気を肺に流し込めばいい。確かにこれならば、誰かにかけるよりはらくだ。
って、ちょっと待て、そういえば僕は確か、デメトリオ殿にもこの呪術をかけると約束してしまったぞ。ということはだ、シルビアとデメトリオ殿はその口を……
「どうなさいましたか? 旦那様」
「いや、デメトリオ殿との約束を思い出したら、急にだな……」
「まあ、もしかして私とデメトリオ様と口づけされるのが、それほど嫌なのでございますか?」
「それは……気持ちのいいものではないだろう」
「大丈夫ですよ、ただの口移しですから。それよりも、旦那様」
「なんだ」
「……私、さきほどから身体が熱くなっておりまして……」
「そりゃあ、あれだけ辛い物を食べたからな、当然だろう」
「いえ、そのようなことで身体は熱くはなりません。私、旦那様とですね……」
そういいながら、僕は右腕をつかまれた。どうやら、口づけをしたのがいけなかったようだ。そのまま僕は腕を引かれて、寝室へと連れていかれる。
ベッドの上に腰を掛けると、うっとりとした目でシルビアは僕の顔を見つめる。
「嫉妬なさる旦那様の顔を拝見しましたら、なんだか我慢できなくなってきました。ちょうどリリューも買い物でおりませんし、ここは二人きりで……」
「え?」
突然のこのシルビアの変貌ぶりに、僕は戸惑う。が、その頬を赤らめて銀色の髪をかき分け、胸元の鎖骨からその下を露わにし始めた途端、僕の方も熱くなってきた。
で、互いに暴走した生命維持の本能とやらは止まらない。しばらくの間、ベッドの上は大変なことになっていた。
うーん、僕は術をかけてもらうようにお願いしただけのはずだが、どうしてこうなった?