金糸雀は恋を歌わない
2026/01/04 スペース調整しました。
とある辺境の街、その少し寂れた街角に、周囲とは異なり活気のある酒場があった。
酒場『カナリア亭』。強面で体格のいい、ちょっと無口なマスターと、小柄な歌姫の運営する、酒もつまみの味もそこそこレベルの酒場である。
ある時、この街ではあまり見ない、綺麗な鎧を纏った騎士がこの酒場に訪れた。男の名をアルバート・クラウン。この地を治める辺境伯に嫁いだ令嬢の護衛騎士として、王都からやって来た男であった。
騎士様の入るような店ではなかったが、彼は今後も第二夫人となった令嬢の護衛としてこの地に住まうのだからと、今後同僚となる館の先輩たちに一人でも入りやすい酒場や食堂などを聞いていた。そして、その中の一つがこの『カナリア亭』であった。
酒場らしい喧騒と、その中にあっても心地よく響く鈴を転がすような歌声。カナリアと呼ばれるその歌姫の姿を一目見ると、彼はそこにあるはずのない面影を見た。
彼の幼馴染たる、嘗て彼が守護することになると思っていた少女。婚約者に捨てられ、修道院に送られることになったその道中で賊に襲われ、そのまま生死すらも不明になった少女の、その面影のある少女が、そこにはいた。
とはいえ、その少女と彼女ではあまりにも年齢が合わない。髪や瞳の色は同じだが、顔立ちも少し違うし、それこそ親子ほども年齢が違う。
気のせいだろう、或いはもう酔ったのか……どちらかだろうと嘆息し、頭を振った男は、見るともなしに歌姫を見て、そして、目が合った。
歌姫は一曲歌い終わると、マスターに一言二言何か言ってから、華奢な少女の手に似合わないごつめのグラスを持って男の前に座った。
その瞳にあるどこかいたずらっぽい光は、記憶の中の幼馴染が持っていたそれと寸分違わず、けれども少女の年は見た限りいなくなった当時の彼女よりも若い。
そのちぐはぐさに狼狽えた男に、けれどもどこか年相応の無邪気さを持って、少女は訊ねた。
「ねぇおにーさん、今私のこと、誰かと重ねて見てたでしょう?」
するりと入ってくるような声はどこか大人びた響きがあり、歌声ではよくわからなかったが意外と少女ではなく女性と呼ぶべき年齢なのではないかとも感じられた。
なんと返せばいいか男が逡巡していると、少女はぽつりと、一人の女の名を呟いた。
それは、男が失った幼馴染の名前。
がばりと視線を上げれば、面白そうに微笑む少女と目が合う。
「私を見て、その人の名前を出す人は多いんだ。王都から来た人だとか、貴族様だと特にね」
似てる人がいるとか、そういう噂があるんだろうね、等と笑いながら、少女は続ける。
「そういう人が居る時は、決まった歌を歌うんだ。先代カナリアのオリジナル、可哀想な女の歌」
そう言って少女は再びステージに戻る。口をつけてもいないグラスを、それはサービスにしといてあげる、等と言いながら。
▽▲▽
それは、一人の女の半生だった。
貴族の娘として平凡に生まれ、平凡に育った女。
そのまま平凡に嫁ぎ、平凡に子を成すのだと信じて疑わなかった女。
けれどもある時、転機が訪れる。
婚約者に、近寄る女がいた。
平凡に幸福だった日常に、少しずつ影が射す。
婚約者の心は離れ、塞ぎこんでいく女。
やがて婚約者は女との婚約をなかったものとし、女は修道院に入ることになった。
けれどもその途中で、山賊達に襲われる。
慰み物になるくらいならと舌を噛もうとしたその時、女は冒険者達に救われた。
女を救った冒険者達は近くの街に女を連れていき、仕事を見繕ってやった。
そうして女は、『歌姫』の仕事を得る。
カナリアと呼ばれるようになった女は、やがて自分を救った冒険者と結ばれ、幸せに暮らしたが、生涯恋の歌だけは歌わなかった。
▽▲▽
歌を歌い終わると、そういう時間だったのか、或いはその歌を終えると出番が終了する決まりなのかはわからないが、少女は奥へと引っ込んでしまった。
男は今の歌について詳しい話を聞きたいと思い、静かにカウンターに立つ体格のいい男へと声をかける。……何しろ、あの歌に歌われているのは彼の失った幼馴染であることはすぐにわかったので。
けれど、酒場のマスターの返した言葉は、あまりにも期待外れだった。
「彼女の……アリシアのことなら、先程の歌以上の話はできないぞ。何しろ数年前に流行り病で死んでいて、自分のことは話さない女だったからな」
死んだと聞いて、男は一瞬頭が真っ白になる。けれども何故とは思わない。数年前の流行り病は多くの死者を出し、その薬は一部の特権階級の人間にしか手に入れられなかった。元の家に暮らしていたならまだしも、このような酒場の平民には到底手に入らない物だったのだ。
直接彼女について知ることができないならと、男はもうひとつ疑問に思ったことを聞くことにした。
「先程の……カナリア、彼女はアリシアの何なんだ?」
「カナリアか……。あの子はアリシアの遺児だよ。彼女の死後、彼女の芸名を継いで歌姫をやってくれている。見た目よりかはは年は低いが、まぁそれでも歌姫を続けられるのはあと数年ってところだろう」
「あと数年? 何かの病気のようには見えなかったが……」
思わず聞き返した男に、マスターは少し驚いたように、そしてどこか愉快そうに笑って言う。
「気付かなかったか? あの子は男さ。声が変わり、体格が変わるまで、俺と同じであればあと三年。それは明日かもしれないし、或いはもう少し先かもしれない。意外とあまり変わらなければ、そのまま続けるかもしれないが」
詳しく聞けば、カナリアはまだ十に満たないらしい。成人(この世界では十五)手前の少女に見えたが、少年だというなら確かにあと数年で歌姫は続けられなくなるだろう。
一頻り話した後男はマスターに礼を言うと、会計をして店を出た。
寝静まった夜の街の中、点在する酒場からのみ賑やかな声と明かりが漏れている。
ささやかな月の光の中、男は少しだけ幼馴染のことを思い出し、それから歩き出す。
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