9話 旦那様とお出かけ②
「はい、このように美味しいお菓子が食べられて、小夜は幸せです」
そう言って小夜が口元をほころばせた時、後ろから突然声をかけられた。
「あれ、隊長じゃないですか?」
小夜はびっくりしてみつ豆の入った碗を落としそうになった。すんでのところで惟明が支えてくれる。
「なんだ、行平か。何の用だ」
不機嫌な声で惟明が応じる。
目の前には感じのいい笑みを浮かべた二十代前半の洋装姿の男性が立っていた。
「あ、もしかして、奥さんですか?」
にっこりと小夜に微笑みかける。小夜が口を開きかけるが、それを制するように惟明が言う。
「妻の小夜だ。小夜、こいつは同僚の藤田行平という。軟派な男だから気を付けろ」
まるでこいつとは口を聞くなというような表情だ。
「ひどいな、隊長」
行平と呼ばれた男性は、気にしたふうもなく能天気に笑っている。
「こんなところにいていいのか? こっちをにらんでいる洋装の娘はお前の連れではないか?」
「あっ、そうだ。こっちも連れがいるし、よかったら一緒にこれから飯でも食いに行きませんか? 牛鍋なんてどうです?」
行平は明るく人懐こい人物のようだ。しかし、小夜は人見知りしてしまう。そのうえ、行平の連れと思われる女性はなぜか不機嫌な様子で小夜をにらんでいた。
「断る」
「はあ、残念だなあ。新婚の邪魔はしませんよ。奥さん、それではまた今度」
ひらひらと手を振って洋装の娘の元へ去っていった。
「断ってしまってよかったんですか?」
「いいんだ。あいつは腕のいい退魔師だが、女癖が悪い」
「まあ、それはいけませんね」
小夜の実父にしろ、杉本にしろ、女癖が悪かった。しかし、二人とも非常に外面はよかったことを思い出す。
二人は茶店をでると街をそぞろ歩いた。
「そうだ、小夜。呉服屋へ行かないか? 着物を作ってやろう」
「いえ、たくさんありますので、いりません」
小夜はびっくりしてかぶりを振る。
「なぜだ? その着物が気に入っているのだろう。石本から、小夜は毎日同じ着物を着ていると聞いた。お前は桜が好きなようだし。薄桃色の反物で着物をつくるといい。それ一枚では不便だろう」
なぜか、惟明が着物を買ってくれようとする。
「いえ、結構です。お着物はたくさんありますから、これ以上いりません」
確かにこの着物は気に入っているが、引き出しの一番上に入っていたから着ているだけだ。
離縁するかもしれないのに、すべての着物に手を通すのは気が引ける。
どう断ろうかと思ったその矢先、一羽の大きな烏が惟明の元へ飛んできた。
『伝令、銀座方面に妖魔出現。霧生大尉出動されたし』
小夜は烏がしゃべったのでびっくりしたが、ただの烏ではなく、式か人に使われている妖の類だろうと気づいた。
「旦那様、小夜は大丈夫でございます。一人で家に戻れますので、どうかお仕事へ」
「え? 小夜、お前、今の烏の言葉が――」
惟明が途中まで言いかけた時、「隊長!」と叫ぶ声が遮った。
行平がこちらへ向かって走ってくる。さきほどとは打って変わって、引き締まった顔つきをしていた。
「小夜、少し待て、今式をつけよう」
惟明がポンと手を打つと突然目の前に屈強な男が現れて、小夜は腰が抜けるほど驚いた。
「だ、旦那様、こちらの方は」
「式だ。いい加減になれろ。毎日家の中でもみているだろう。途中で車でも拾え、この式はお前を無事に家に届けたら消える。さあ、いけ」
そう言って、小夜の手に幾銭か握らせると、惟明は行平と共にあっという間に去っていった。
不思議なことに突然屈強な男が突然現れたのに、街を行きかう人々は誰もきづいていない。式を扱えない小夜は理解に苦しむ。
(いったい、どうなっているの?)
その後、小夜は式と共に屋敷に帰った。式は屋敷に小夜を送るとふっと消えた。
翌日、小夜は八重に「旦那様」とのお出かけが、とても楽しかったと話した。特にみつ豆のおいしさを語ると、「いろいろな甘味を召し上がってみてはいかがでしょう」とおやつに八重がくずもちを出してくれた。
ひんやりとしたくずもちの上に、きな粉と黒蜜をかけて食べるととても美味しい。
まだまだ世の中には小夜の知らないおいしいものがたくさんあるのだと知った。
――結局、惟明はその後一週間もお勤めで帰ってこなかった。