36話 顛末
翌朝、小夜は目を覚ました。
「小夜、具合はどうだ?」
小夜の布団のそばにいた惟明が心配そうにのぞき込む。
ずっとそばについてくれていたようだ。
「とても体が軽いです」
あれほどだるかったからだが、軽くなっている。
体の節々は少々痛むが、動けないほどではないし、腹や胸の痛みもなくなっていた。
それになんだか、お腹もすいている
すると味噌汁とご飯のいい香りが漂ってきた。
ふすま越しに八重の柔らかい声が聞こえてくる。
「朝餉をお持ちいたしました」
惟明が返事をすると、八重が二人分の膳を運び込む。
「奥様、具合はいかがですか?」
八重が心配そうに小夜をのぞき込む。
「すみません。またご心配をおかけして」
小夜が布団から起き上がろうとすると惟明が支えてくれた。
「小夜、まだ無理はするな。お前はほとんど食べ物を口にできなかったのだから」
惟明がそう言うと、みゃあという小猫の泣き声が聞こえた。
「タマ! 怪我はない?」
惟明は小夜の言葉に驚いた。
「タマの怪我はたいしたことはないが……。小夜はどうしてタマが怪我をしたこと知っているんだ?」
「私、昨晩奇妙な夢を見たんです」
「夢?」
小夜が大きく澄んだ瞳で惟明を見つめる。
「はい、旦那様と夜更けの暗い道を疾走したんです。ものすごい速さで」
「……俺と?」
彼女は頷いてタマを大切そうに抱き上げる。
「不思議なことに、私はタマになっていたんです。夜中に旦那様について神社へ向かって走りました。それから雑木林の中で『小夜』って叫びながら五寸釘を打っている鬼のような女を見て、腹が立って仕方なくて、飛びかかったんです。爪をたてたような記憶が……」
「小夜が?」
小夜は恥ずかしそうに頷いた。
「どうしようもなく頭に来てしまって。なんであのようなひどい仕打ちをされるかわからなくて、無性に腹がたったんです」
そう言って小夜はタマをぎゅっと抱きしめる。
「結局、力で敵わなくて私は木に打ち付けられてしまったけれど、妙に気持ちがすっきりしたのを覚えています。旦那様、これは夢でしょうか?」
それを聞いた惟明はしばらく唖然とした後、くっくっと笑い出した。
「あの、旦那様?」
惟明の様子に小夜がおろおろしだす。
「小夜は本当に面白いな。それに逞しい。お前は守られているだけではないのだな」
「え?」
「小夜。それは夢ではない。全くとんでもない神通力を持っているのだな。そうか、俺は昨日小夜と一緒に公江を退治したのか」
小夜は惟明の言葉に少し悲しそうに頷いた。
「やはり公江さんだったんですか……。何が気に入らなかったのでしょう」
理由がわからなかった。
「小夜、人に嫉妬して恨むことに理由はない。ただの手前勝手な妄執だ。お前のせいではないし、全面的に公江が悪い。だいたい、なまなりになるなど性根が腐っている証拠だ」
そう言って、惟明が眉根を寄せた。
小夜はタマを通して見た公江の姿を思い出し、ぶるりと震える。
「角は……あの般若のような姿は、もう元には戻らないのでしょうか?」
公江は洋装を好み、小夜にリボンや飾りをねだってきた。 お洒落な普通の娘だったのに、何が彼女をあそこまで追い詰めたのかわからない。
なぜあのような姿になってしまったのか――。
「なまなりは、人ではない。嫉妬のあまり人としての魂を捨てた存在だ。半分妖魔に堕ちている。小夜、そんなものの気持ちを理解する必要はない。あれは人としての範疇を超えている。もともと公江は普通ではなかったということだ」
惟明の言葉に小夜はきゅっと唇をかみしめる。
これ以上悩むなと言ってくれているのだろう。
惟明は小夜から、タマに視線を移す。
「タマ、小夜を守っていてくれ。俺はこれから詰め所に行ってくる」
タマは愛らしい小猫の姿で、みゃあと返事をする。
「旦那様、切り火だけでもさせてください」
小夜がふらりとたちあがると惟明が彼女を支えた。
「わかったよ。小夜」
そう言って惟明は笑った。
惟明が小夜を心配するように、小夜も惟明を心配しているのだ。
――その後公江は妖魔化した人間が入る獄に繋がれたという。鬼になる危険をはらんでいるので、生涯出ることはない。