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退魔師の望まれぬ花嫁  作者: 別所 燈
第四章 神隠し
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32話 旦那様と浅草へ

 小夜は惟明と共に、浅草公園に遊びに行くことになった。


 当日の朝、屋敷の門前に自動車が止まっているのを見て小夜はびっくりして惟明を見上げる。


「旦那様、これは?」

「今日小夜と浅草に行くと言ったら、父が貸してくれたんだ」


 自動車から運転手が出てきて挨拶を交わすと、ドアを開けてくれた。


「あ、ありがとうございます」

 小夜が恐々と乗る姿を見て惟明が手を貸してくれた。


 初めての浅草、それも初めて乗る自動車で行くとなると小夜はどきどきが止まらなくなる。


 自動車に乗っている間、車窓に流れる景色にくぎ付けになっていた。

 人力車や馬車を追い越して自動車は颯爽と浅草にむかっていく。


 あっという間に浅草に着き、小夜は運転手に礼を告げ、自動車が去って行く姿を名残惜しそうに見送った。


「小夜がそれほど気に入ったのなら、うちも自動車を買おうかな」

「え? まさか、そんな」

 真剣な表情で語る惟明を前に小夜は焦りを感じる。

 惟明はいつでも即断即決だ。


「いや、買おう。小夜はどうもいろいろなものに好かれるようだから危険だ。その点自動車ならば、移動途中で危険な目に合うこともないだろう」


「旦那様、大丈夫です。これからむやみやたらに同情しませんし、きちんと人かどうか確かめてから声をかけるようにします」

 小夜の言葉に惟明が困ったように眉尻を下げる。


「はあ、目が合った時点で駄目なのだが……小夜の鋭敏な感覚なら仕方あるまい。では気を取り直して観光といくか。まずは参詣だったか」

「はい、お寺にとても大きな提灯があると八重から聞きました。楽しみです」

 小夜が浮き浮きとした様子で答える。


「なるほど。小夜はそちらが目的か」

「も、もちろん、家内安全が一番なので、しっかりお願いしてきます」


 小夜が慌てたように付け加えるのを聞いて、惟明が口元を綻ばせる。


 二人はのんびりと歩いて寺に向かう。

 小夜はまず立派な山門に驚いた。左右に立派な像が安置されている。


 さらに境内にはいると大灯籠や本堂の中央にさがる大提灯があった。

 小夜は迫力にのまれる。

「旦那様! あれほど大きな提灯をどうやって作ったのでしょう」

「ははは、そんなこと考えたこともなかった」

 惟明が笑う。


「旦那様は良くこちらに?」

「子供の頃は遊びに来たし、今は仕事でこの近くに来ることも多い」


「仕事……」

 人々が行き交う平和で賑やか参道を見て小夜は震えた。小夜が神隠しに遭ったのも賑やかな通りだった。


「大丈夫だ。小夜、このあたりで妖魔関連の騒ぎはないし、神隠しの噂もない。それによく巡回もしている。今日は観光を楽しもう」


「はい」

 小夜は気持ちを切り替えた。

 なんといっても今日は惟明と一緒にいるのだから安心だ。


 参詣が済むと二人は、飴細工や焼き鳥を売っている露店が並ぶ参道とぬけ、赤レンガ造りの店が並ぶ賑やか通りを冷やかした。

 途中で八重や石本、大山のためにもちょっとした土産を買う。

 

 その後、小夜は小間物屋の店先に朱塗りに螺鈿の小花が散った櫛が置いてあるのが目に入った。


 綺麗でかわいい櫛なので小夜が見つめていると惟明に声をかけられた。


「小夜はそれが欲しいのか?」


「いえ、綺麗だなと思って」

 小夜は思ったまま素直に口にした。


「では買ってやろう。櫛も朱塗りもお守りになる。持っているといい」


 なんだかねだったようで小夜は恥ずかしくなるが、とても嬉しい。



「旦那様、素敵な櫛を買ってくださってありがとうございます」


「たいしたものではないだろう。それほど喜ぶとは思わなかった」

 そう言って惟明は照れくさそうに頭をかく。


 小夜は惟明から櫛を受け取るとしばらくうっとりと眺めてから巾着にしまった。 



 それから二人は池の向こうにある五重塔を眺め、のんびりと観光した。


 十分に浅草を回った後、昼は露店でそばを食べた。

 八重が作る上品な料理とは違い、ショウユの味が濃いがこれはこれで美味しい。


 活動写真に芝居小屋、寄席が並ぶ地区に入ると惟明は言った。


「小夜はどこに入りたい?」


 色鮮やかな看板やのぼりに目を奪われ迷ってしまう。

 惟明はせかすことなくのんびりと待っていてくれた。


「あ! 旦那様、小夜は奇術というものを見てみたいです!」

 小夜がきらきらと目を輝かせて寄席を指さした。


「わかった。では行こうか」

 

 混雑する寄席に入り、席についた小夜は胸を躍らせて開幕を待つ。

 スポットライトの当たる舞台にタキシードにシルクハットをかぶった優雅な紳士が出てきた時は会場から歓声があがる。


 すごい熱気だ。日頃静かな生活を送っている小夜は少々面食らってしまう。


 しかし、それも束の間で、奇術師がシルクハットから、ハトを出す頃には小夜は夢中になっていた。


 興奮冷めやらぬ状態で小夜は惟明とともに寄席を後にした。


「旦那様、シルクハットから出てきた鳩はどこへ行ったのでしょう?」

 鳩の心配をしている小夜をみて惟明は笑ってしまう。


「小夜は本当に素直でかわいいなあ」

「え?」

 そう言われて小夜は思わず頬を染める。


 惟明は最近よく小夜を褒めてくれる。

 ちらりと惟明をみると彼も口を引き結んで赤くなっていた。


 なんともいえない気まずい空気が流れる。


 そこで小夜はハタと気づいた。


(そうだわ。褒めてもらえたのだから、お礼を言わなければ)


 小夜は日頃抱いている思いを口にする。


「旦那様、ありがとうございます。小夜は旦那様に大事にしていただけて幸せです」


「当たり前だ。小夜は俺の妻なのだから。では一銭蒸気に乗りに行くか」


 そう言って、惟明がぎゅっと小夜の手を握った。小夜の胸がじんわりと温かくなる。


 その頃には日はすでに傾きかけていた。


 小夜は初めての一銭蒸気におっかなびっくり乗る。

 思ったよりもずっと混んでいた。

 

 とはいえ、川面から吹いてくる風は心地よく、川から見る景色はいつもと視点が変わり新鮮だった。


 最初こそ物珍しもあり楽しんでいたが、やがてあたりが夕景につつまれていくと、小夜はふと神隠しに遭ったときのことを思い出す。


 周りは美しい夕日に見とれているというのに、小夜の心は恐怖で埋め尽くされそうになる。


『俺を捨てるの?』といったシゲの叫びが聞こえてくるような気がして……。


「小夜。すまない」

 そう言って、惟明が小夜をぎゅっと抱きしめる。突然のことで小夜は驚いた。

「旦那様……?」


「お前が迷い込んだ町はずっと夕映えだったと言っていたな。この景色が恐ろしいのだろう。目をつぶっていればいい」

 惟明に夕映えが恐いと一言も言っていないのに、彼は察してくれた。


 惟明の温かい言葉と優しい声音に小夜の心は落ち着きを取り戻す。

「大丈夫です。旦那様」

 距離が近いぶん惟明の心配が伝わって来た。

 じんわりとしたぬくもりも。


「震えていたではないか」

「せっかく旦那様と一緒に一銭蒸気に乗れたんです。小夜はこの景色を目に焼きつけたいです」

 惟明の腕が少し緩む。


「小夜、無理はするな」


 小夜の顔を惟明がのぞき込む。夕日に照らされた惟明の顔を美しいと思った。


「旦那様と一緒なら、平気です」

 一銭蒸気から見える夕景を、惟明と過ごした大切な思い出にしたい。

 小夜は顔を上げる。

「そうだ。小夜、二人で星を数えないか?」

「え?」

「一番星に二番星、先に見つけたほうが勝ちだ」

 近所の子供たちが夕空のもとで『一番星みいつけた!』『二番星みいつけた!』と競っていたのを思い出す。


「はい、では旦那様と競争です」

 不思議なことに二人で星を数えていると小夜の恐怖は消え、楽しい思い出に塗り替えられていった。



 夜のとばりが降りる頃、二人は銀座の洋食店でビフテキを食べた。惟明がぺろりと三皿ぶん食べている姿には驚かされた。


 食事もすんで店をでると煉瓦街は明るい街灯に照らされていた。

 

 まるでこの世に闇などないように。

 

 その時、小夜はふと鋭い視線を感じて振り返る。


 暗い路地の影で人が動いた。身を翻して逃げていったのだ。

 一瞬のできごとだったが、なぜか悪寒が走る。

 光が強ければ強いほど闇も濃くなるものなのか……。


「小夜。どうかしたのか? 何かいたのか?」

 目ざとい惟明がすぐに小夜の変化に気づく。


「何か視線を感じただけです」

「今から車が迎えに来る。それに乗って帰ろう」

 惟明は周囲を警戒するように見回して、小夜の肩を抱く。


 小夜が霧生家に来てからというもの、いろいろと事件に巻き込まれているのせいで、惟明はすっかり過保護になってしまった。


「旦那様、そんなに心配なさらずとも……」


「いや、小夜の勘は絶対だ。しばらく身辺に気を付けるんだ」

「はい」

 小夜は神妙な面持ちで頷いた。


 これ以上惟明や八重に石本、それに優しい義父母に心配はかけたくはない。


 帰りも行きと同じように自動車が迎えにきて、帰路に着いた。

 明るい銀座の街が遠ざかっていく。


 それでも惟明と同じ家に帰るのかと思うと、小夜は幸せでいっぱいだった。

 



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