31話 小猫
「実は懇意にしてる女中が本家にいるんだよ」
「え? それって」
間諜のようなものかと小夜はびっくりする。
清子は生まれも育ちも神田で、彼女の口からは歯切れのよい江戸弁が飛び出す。
「こっちとしても本家に何をされるかわからないからね。一応警戒しているよ。小夜ちゃんも嫌な思いをしただろう?」
「いえ、大丈夫です。旦那様が守ってくださいましたから」
「そりゃよかった。何分、私ら夫婦は本家に出入り禁止になっているからね」
そう言って清子は豪快に笑うが、小夜は初耳で驚いた。
「ええ! どうして出入り禁止になったのですか?」
「私と兼子が喧嘩になったのよ。もう理由は忘れちまったけど。うちの旦那がそれを見て腹を抱えて笑っていたら、旦那も義一と喧嘩になってさ。それ以来、私らは本家出入り禁止だよ。だからまだ若かったけれど真面目な惟明が後を継いだの。あれも気が強いからね、本家相手に啖呵切ったってきいたよ。まあ、義之の代になったら、本家も少しは穏やかになるんじゃないのかい」
カラッとした様子で告げる。
清子がなんでもないことのように話すので、小夜はほっとした。
あの時、惟明が本家の当主と揉めて、尾を引くのではないかと心配していたのだ。
小夜はふと気配を感じ、庭に目をむけると奥の方から、先日見かけた白い猫がやって来た。
「あ! 猫又です」
小夜が声を上げると、清子が言った。
「小夜ちゃん、あれに名前を付けてやりなよ」
「私が名前を?」
小夜が驚いて目を見開いていると、清子にせかされる。
「ほら、急いで、逃げちまうよ」
「は、はい! タマ、こっちへおいで」
小夜が白猫にそう呼びかけると、小夜の足元にやって来た。
「わあ、この間は逃げられてしまったんです。今日は来てくれました」
小夜が嬉しそうに清子に報告する。
「そりゃあ、今小夜ちゃんが名で縛ったからね」
「え? 名で縛る?」
小夜がきょとんとして清子を見る。
「その子は猫又でしょ。小夜ちゃんが気に入ったんだ。これから先、守ってくれるよ。できるだけ連れて歩くといい」
まるで白玉のような小猫がちょこんと小夜の膝の上にのってくる。
「かわいい」
小夜が顔をほころばせて猫又を撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「猫又って、もっと大きいものかと思っていました」
「そりゃあ、猫又だけに猫をかぶっているんだよ。小夜ちゃんに好かれたいから、そんな可愛いなりをしているんだ。いざとなったら、頼りになるよ」
「そういうものなんですか。もしかしてお義母様も何か連れているのですか?」
「私は狐を飼っているよ。最もご近所さんには犬って言っているけどね」
それでバレないのはすごいと思う。
清子の愉快な話しに笑いながら、その日は暮れていく。
明るい清子が帰ると、家の中がしんと静まり返る。
小夜はほんのりと寂しさを覚えた。
夕景を眺めると小夜の胸はずきりと痛む。
あの時、惟明が空間を切り裂いて、出口を作ってくれたおかげで小夜は助かった。
相当な神通力を使ったと聞いている。また惟明にしかできなかったとも。
今は丁寧に道祖神も祀りなおされ、シゲの魂も安らかに眠っていることだろう。
まだ悲痛な子供の叫びが聞こえるような気がする。
道祖神は、昔から疫病も子捨ても見守って来た。
もう二度とそのようなことが起らないようにと、小夜には祈ることしかできない。
結局、あの神隠しから戻ったのは小夜だけだった。
他の娘たちはあの夕景の町に飲み込まれてしまったのだろう。
(此岸でもない彼岸でもないあの世界はなんなのだろう。あの世界に飲み込まれた魂はどこへいってしまうのだろう……)
今の小夜はあの場に近付くことを禁じられている。
だが、夕焼けを見るたびに胸が締め付けられるような切なさと恐怖を感じた。
「小夜」
一人ぽつねんと縁側にいた小夜は、惟明の声に驚いて振り向いた。
「旦那様、いつお帰りに? 出迎えもせず申し訳ありません」
小夜は慌てて立ち上がる。
惟明は今帰ったばかりのようで隊服姿だった。
彼は小夜が腕の中に抱いている白い猫を見て笑う。
「気にするな。そんなことより、小夜は猫又を仲間にしたのだな。そいつはなかなか強いぞ」
「お義母様も『頼りになる』とおっしゃっていました」
惟明が呆れたようにため息をつく。
「母が入り浸って悪いな。気を遣うだろう?」
惟明にそんなふうに言われて小夜はキョトンとしてしまう。
「そんなことありません。明るくて楽しくて優しいお義母様です」
「そうか、それは良かった」
「はい、今日は旦那様の帰りが早くて嬉しいです」
微笑みを浮かべていた惟明の顔が突然固まる。
小夜は何かいけないこと言ってしまったのかと、タマをぎゅっと抱きしめる。
「ああ、小夜、違うんだ。俺は怒っているわけではない。神隠しの事件が一段落したから、明日は休暇をとったんだ。小夜は前に一銭蒸気に乗りたいと言っていただろう?」
「覚えていてくださったんですか?」
小夜は大きく目を見開いた。
「ああ、ずっと連れて行けなくて気になっていた。今年は夏に休暇もろくに取れなかったし、そのうち小夜と旅行をしたいと思うのだが、その前にまずは浅草で遊んで一銭蒸気に乗ろう。それと洋食などどうだろう?」
「はい、ぜひ!」
惟明の誘いに小夜の心は浮き立った。
明日のデエトの計画をたてながら、久しぶりに惟明とともに八重の作った美味しい夕餉に舌鼓をうった。




