3話 朝餉
「複雑な家庭に育ったのだな。だが、母親が失踪したのはお前のせいではないだろう」
惟明は進んだ考え方の持ち主のようで小夜は驚いた。
少なからずそのことで小夜は「あの女の娘」と実家でさげすまれてきた。しかし、誤解があってはならないので、先を続ける。
「実は母は出自がわからない者なのです。狐の妖ではと言われております」
惟明が呆れたような顔をした。
「くだらん。もう下がっていいぞ。お前も朝餉をとるといい」
退魔師の惟明が妖と聞いて、そんなふうに答えるとは思ってもみなかった。さげすまれるのではと不安を感じていた。
小夜は「はい」と一度は惟明の言葉に頷いた。
だが、小夜にはどうしても確かめなければならないことがあった。
言うのは憚れるが、黙ってもいられない。
「あの、なぜ、私のような石女を娶って下さったのでしょう」
「本家の意向だ。分家は本家にさからえない」
惟明はそう言って口を引き結ぶ。それ以上は話す気がないようだ。
小夜は勇気を振り絞る。
「それは私との間に子を設けないということですよね」
惟明は眉間にしわを寄せる。いつ怒り出すかと小夜はひやひやした。実際、父も前の夫もとても気が短く、すぐに怒鳴り手をあげた。
「だからどうだというのだ?」
彼は柳眉を軽く寄せ、じっと小夜を見る。
「あの、少し長い話になりますが……」
「小夜。俺はこれからまた仕事に出なければならない。次の機会にしてくれ」
ぴしゃりと話を打ち切られてしまった。
「は、はい」
「しばらくは夜勤が続いて忙しい。俺は当分夫婦の寝所の行くことはないから、お前は部屋で好きに過ごせ。使用人の手は足りている。お前が手伝わずともよい」
「はい、かしこまりました」
しかし、小夜はこれには従うつもりはない。しっかり手伝う予定だ。もしかしたら、このさき離縁されても屋敷においてもらえるかもしれない。そんな思いもあった。
「それから、お前はなぜそのような着物を着ている?」
「え?」
惟明に言われて己の着物を見る。実家から持ってきたものだ。小夜はこの義母のお古の着物しか持っていない。
「箪笥に着物が入っていただろう?」
「人様の家のものですから、勝手に開けてはいません」
小夜が慌てて首を振ると、惟明が呆れたような顔をする。
「では、今すぐお前の部屋の箪笥を開けて、好きな着物を選んで着替えろ。お前の部屋にあるものはすべてお前のものだ」
小夜は惟明の言葉に目を見開いた。
「え……? あ、ありがとうございます」
驚きと戸惑いに声を震わせて、頭を下げる。
小夜が嫁入りに持ってきたのは母の形見の行李が一つ。
「お前はいちいち大げさだ。これでは使用人のようではないか。卑屈すぎる。それから、その着物に思い入れがないのならば捨てろ。この家にはいつ客人が来るかもわからん。身だしなみは整えてくれ。さあ、もう用はない。部屋から出ていけ」
まるで犬を追い払うような言い方だが、別に怒ってはいないのだろう。
終始淡々とした口調だった。
小夜は慌てて箱膳をさげ、台所に運ぶ。惟明の部屋から台所は遠くて小夜は焦った。
やっと台所に着くと八重に片づけは手伝うと言いおいて、足早に自室に向かう。
着替えている時間はないので、実家から持ってきた行李を開け、そこから火打石を持ちだし、玄関に向かう。夫をお見送りしなくてはならない。
惟明はすでに長靴を履いていた。
「旦那様」
小夜は思わず声をかけた。惟明は小夜の手に握られている火打石を見て、片眉を上げる。
「ほう、切り火か」
「はい」
小夜は上がり框からおり突っ掛けを掃くと、背伸びをして惟明の後ろの右肩に、カツンカツンと石を打つ。
すると不思議そうな顔をして、小夜を振り向いた。
「お前は……」
「ご不快でしたか?」
不安になって尋ねると、惟明は首を横に振る。
「いや、なんでもない」
彼は何かを言いかけてやめた。
「小夜、俺の帰りは待たなくていい。では行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
玄関先に立ったまま惟明が門の向こうに消えるまで見送った。
その後すぐに八重の元に向かうと、ほとんど洗い物は済んでいた。
「奥様、洗い物などしなくていいですよ。手が荒れてしまいます。それより朝餉がさめてしまいましたね」
「すみません」
せっかく八重が小夜のために整えてくれたのに申し訳なく思う。
「奥様、使用人の私に謝らないでください」
八重が困ったような顔をする。
そんなやりとりの後、小夜は「いただきます」と手を合わせると、まず汁物をいただいた。冷めていても出汁がしっかりときいている。
「美味しい……。こんなに美味しいお味噌汁は初めて食べました。今度お出汁の取り方を教えてください」
「私が、奥様にお教えするのですか?」
八重が驚いたように目を丸くする。
「とても美味しいです」
「でしたら、私のことは八重をお呼びください。でないと私が旦那様に叱られてしまいます」
小夜は普段から使用人とは同僚のような付き合いをしてきた。実家でも杉本の家でも、女中のような扱いを受けてきたからだ。
しかし、ここでは違う。
「わかりました。えっと、八重……これからもよろしくお願います」
小夜の言葉に、八重は嬉しそうににっこりと笑った。