29話 つながる思い
「隊長!」
惟明は行平の声に振り向いた。
「どうした。原因がわかったか?」
「惟明、道祖神だよ」
行平の後ろから、義之がひょっこりと顔を出して言う。
「義之か。まさか道路の拡張工事で壊したとでもいうのではないだろうな?」
「そのまさかです。工事の途中で壊れたので、近くの小川に捨てたといっていました」
行平は珍しく緊迫した表情で答える。それを聞いた惟明の表情が険しくなった。
「まったく何てことしてくれたんだ。おい、義之、気配をたどれるか?」
「え? 僕?」
「当たり前だろ。調査なのだから四番隊の仕事だ。早く道祖神を見つけて元に戻せ」
「わかった。僕も惟明や小夜さんには借りがあるからやってみる」
惟明の指示でその後すぐ一番隊と四番隊の混合編成が組まれた。
夜も深くなったころ、近くの小川から道祖神が引き上げられたが一部が欠けていた。その後も捜索は深夜まで続く。
◇
小夜とシゲは縁台に腰をかけたまま夕日を眺め続けていた。
「早く夜にならないかな」
「シゲちゃんは夜が好きなの?」
小夜の問いにシゲは首を傾げる。
「あのね。夜になると眠れるから。俺ずっと眠っていない。それにじっちゃんが迎えに来るから」
「じっちゃん?」
シゲがハッとしたように顔を上げる。
「シゲちゃん、どうかしたの?」
「じっちゃんだ。もうすぐじっちゃんが来る」
シゲの言う「じっちゃん」が何ものなのかわからないので、小夜は少なからず恐怖を感じたが、ぐっとこらえる。
その時小夜の腕がちりっと熱くなった。
小夜は不思議に思い袂を探る。
すると石本が作った式の依り代が入っていた。
しかし、一部が焦げていて不思議なことに熱を発している。
「お姉ちゃん、どうかした?」
シゲが不審そうに小夜を見るので、小夜は慌てて依り代を袂に隠す。
「もしかして、お姉ちゃんも帰りたくなった?」
小夜はシゲの黒目が小刻みに震えるのを見た。
(ああ、この子は悪霊になりかかっている)
絶望しかけたその時、小夜の頭にとぎれとぎれの声が響いた。
《小夜……聞こえ……、絶対に……助ける》
惟明の声に小夜は思わず涙ぐむ。
「ねえ、お姉ちゃん。袂に何を隠しているの? とっても嫌な臭いがする。その臭い苦しいよ」
シゲが苦しげにうったえてくる。
「お願い捨てて」
恐らく惟明はこの依り代を通して小夜に接触してきたのだろう。
(これを捨ててしまったら、外との連絡は絶たれてしまう)
シゲが縁台から降りて、小夜と距離をとる。
「お姉ちゃんも、俺を捨てるんだね」
その黒い瞳はがくがくと震え、二つに裂け始めている。
一刻の猶予もない。
捨てるしかないのだろうかと小夜がそう思い始めた時――。
「シゲ坊」
何の前触れもなく、しわがれた男性の声が聞こえてきた。
少し離れた民家のそばから白いひげを生やした老人が、ニコニコと微笑んでシゲに向かって手を振っている。
「じっちゃんだ!」
見る間にシゲの瞳は元に戻る。
シゲは老人を目がけて駆け出した。
《小夜……、奴らとは逆の方向に走れ!》
惟明の力強い声が、再び聞こえてきた。
小夜は思い切り駆け出す。考えるより先に体が動いた。
《何が……あっても……振り向くな》
「お姉ちゃん! 俺と一緒にいてくれるんじゃなかったの?」
縋りつくようなシゲの声に振り返りそうになる。
「お姉ちゃんも、そうやって俺を捨てるんだ」
親に捨てられた子供の悲痛な叫びに、胸が締め付けられる。
だけれど、シゲは此岸のものではない。
「行っちゃ嫌だ! いい子にするから、お願い捨てないで!」
小夜は追ってくる声を振り切るように必死に走る。
《空間……斬る……裂けめ……飛び込め!⦆
途切れ途切れの惟明の声が聞こえたその刹那、小夜の目の前に空間の裂け目が出現した。
先には漆黒の闇が広がっていて、小夜は恐怖を覚える。
(この聞こえてくる声が、旦那様ではなく、別のものだとしたら?)
《小夜!》
惟明の声に小夜は裂け目に飛び込んだ。
(最後に聞こえるのが、旦那様の声ならばどうでもいい)
「……小夜。小夜!」
体をゆすぶられる。うっすらと目を開くと目の前に必死な惟明の顔があった。
その向こうには夜空が広がっている。
(帰って来たの?)
そう自覚した瞬間、小夜は水の冷たさに跳ね起きる。
「冷たい!」
惟明にぎゅっと抱きしめられた。
途端に彼の体のぬくもりが伝わってくる。
「だ、旦那様、本物の旦那様ですよね?」
こわごわと顔を上げるとすぐそばに惟明の顔があった。
「よかった。小夜、よく頑張った」
頭を撫でられ、惟明に抱き上げられた。
するとぽたぽたと水音がする。
小夜は小川の中にいたのだ。水を含んだ着物が重く冷たい。
岸の上ではかがり火がいくつも焚かれていて、岩のような石が置かれ、そこにしめ縄がつけられ、たくさんの者たちが祈祷していた。
小夜と惟明のもとに、大勢の退魔部隊の隊員や巡査が集まり、小夜の無事を喜んでいる。
「道祖神……」
小夜が岸を見て、震える声で小さく呟いた。
「ああ、どこかのバカ者がこの小川に投げ捨てたらしい」
惟明が震える小夜を抱いたまま、岸の上に運ぶ。
「小夜ちゃん、無事でよかったよ」
岸に上がった途端、抱き着いて来たのは清子だった。
「お義母…さま」
声が枯れてうまく出ない。
それに寒くて歯の根が合わない。
「小夜さん、本当に無事でよかった」
忠正までいる。
小夜は安堵の涙を流した。