28話 夕映えの町
小夜はシゲの手を引いてひたすら歩いた。
もうなん刻歩いたかわからない。
一つわかったのはこの街並みは江戸を色濃く残していて、夕景から変わらない。夜も来なければ朝も来ない世界だということだ。
「シゲちゃんのお母さん、早く見つかるといいね」
「うん、さっきからずっと歩いていて疲れない?」
シゲが小夜を見上げる。その瞳美しく澄み切っていた。
「私は大丈夫よ。シゲちゃんこそ疲れていない?」
「お姉ちゃんは俺の心配してくれるんだ。今までそんな人いなかった」
シゲが心細そうに小夜の手をぎゅっと握る。
「一人で寂しかったね」
「すごく寂しかった。だからたまに綺麗な着物を着た人に声をかけるんだ。俺のお母さんかと思って。でも皆大騒ぎして泣きわめいて……別のものになっていっちゃう」
シゲが寂しげに瞳を揺らす。
「シゲちゃん、お母さんに『待ってて』と言われた時もこんなきれいな夕焼けだったの?」
シゲが少し考える。
「違う。真昼間だった。俺はいつもお腹すかせた。でもその日は違って、焼き団子に梅干しの入った白飯のおにぎりをいっぱい食べさせてもらった。俺、白飯を食べたのは初めてだ」
「お母さんと一緒に食べたの?」
シゲは首をふる。
「母さんは見ているだけで、あまり食べていなかった。それで、いつもと違うすっごく綺麗な着物を着ていたんだ」
「それからシゲちゃんはお母さんと別れて、夕方になるまでお母さんを待っていたのね」
シゲと手をつなぎ板張りの塀が続く路地裏を歩いた。
ここを歩いたのは何度目かわからない。
違う道を選んでいるようで、同じ場所をぐるぐると回っている。永遠に出られない夕景の町。
普通ならば恐怖心に駆られて悲鳴を上げてしまいそうなものだが、小夜にはこの状況がなんとなくつかめていた。
昔、実家の神社がある鎮守の森でも似たような目にあった。
あの時はずっと星の降るような夜空の下、ひたすら歩き続けた。
戻るのに三日かかった。
小夜は自分が鬼道に飲み込まれたわけではないとわかっている。
ただ今回はいつ戻れるかわからないし、戻れないかもしれない。
いろいろと条件が揃って運が良ければ……。
(大丈夫。期待をしなければ、絶望もしない)
「ねえ、どうかした? ここにいるのは寂しい? それとも悲しい? 怖い?」
小夜はシゲの質問に首を振る。
「私は大人だから大丈夫。シゲちゃんは偉いね。ずっと歩きっぱなしなのに、文句も言わないなんて。足、痛くない?」
小夜は、何度目かに通りかかった水茶屋の縁台を指さした。
「シゲちゃん、あそこで少し休まない?」
「うん、いいよ」
二人で並んで腰かける。ここからは海がとても近くに見えた。それなのに潮の香りはしない。
「綺麗な夕焼けだね、シゲちゃん」
夕暮れの茜色の空。あたりの景色は金色に輝いている。
ここには電柱も電線もない。
「俺は……嫌だ」
「どうして?」
「母さんが出掛ける時間だから。それに見飽きたんだ。この景色」
小夜は黙ってシゲの話しに耳を傾ける。
「『ここで待ってて』って言ったきり、夕刻になっても母さんが戻らないから、俺、泣き出したんだ。その時近所の知っているおばさんが俺の前を通った。母さんのこと知らないか聞いた」
シゲはそう言って唇をぎゅっと噛み締める。
「そのおばさんはなんていったの?」
そこでシゲが首を傾げる。
「おかしいなあ。なんて言ったのか覚えていない。その後も近所のおじさんが通ったから声をかけたけど、何も言わずに逃げてった」
小夜がシゲの小さな手をぎゅっと握る。
「シゲちゃん、つらかったね」
シゲが小夜の言葉に首を傾げる。
「変だな。『つらかったね』ってほかの誰かに言われた気がする」
「ここにはほかの誰かがいるの?」
「よく思い出せないんだ。でもとっても大切ななにか……。俺が寂しくて泣いていると……そのなにかかが来て。あれ? 誰だっけ、覚えてないや」
小夜はシゲにやさしく微笑みかける。
「シゲちゃんにとって大切ななにかだったんだね」
「うん、とっても大切な……。ああ、そうだ大きな手をしてた気がする。俺が泣いていたら撫でてくれたんだ」
(私はこの寂しがり屋のシゲちゃんと、ずっとここを彷徨うことになるかもしれない)
◇
惟明は、小夜が消えた地点にたったまま、石本の作った式神の依り代を握る。
ただひたすら小夜と会えることを祈った。
初めてであった頃、小夜は惟明を見て怯えていたように思う。
小夜は出戻りと聞いていたのに、愛らしい少女のような見た目をしていたので驚かされた。本当にこの娘が自分の結婚相手なのかと疑ったほどだ。
そして杉本とは一度も床を共にしていないと小夜から衝撃の告白をされた。
その後小夜は八重にかわいがられ、石本にかわいがられ、時々八重や石本に化けて屋敷にやってくる惟明の両親が、裏表のないいい子だと喜んでいた。
守ってやらなければ、惟明はそんなふうに思っていたのに守られたのは惟明だった。
小夜は不思議な女性だと思う。
いつもはびくびくしているように見えるのに、妖魔退治の応援に駆け付けきた時の凛とした姿には驚かされた。
あの状況下で梓弓を弾く度胸と、想像以上に強力な神通力。
それに先日の本家の義之と千鶴の件も、『お手伝いしたい』と言って小夜はついて来たのに、結局解決したのは彼女だ。
きっと小夜は見た目よりもずっと強い。
それはわかっているのに、怖がっているのではないか、泣いているのではないと心配でたまらなかった。
小夜は心がきれいだから、気が優しいから攫われたのだろうか。
(小夜、必ずお前をこちらの世界に連れ戻す)