27話 迷子
結局、パーラーの支払いは、「私が誘ったから」と千鶴が払ってくれた。
随分長い間話し込んでいたようで、店を出るころには夕暮れが近かった。
パーラーの前で千鶴と別れて、小夜は石本がつけてくれた下男ふうの強そうな式とともに帰る。
車を拾ってもよかったが、小夜は気温が下がり涼しくなってきた町を少し歩くことにした。
銀座から公園の方へと歩いていく。
この辺りは野外音楽堂や有名な食事処があり人通りが多い。
ゆっくりとお堀沿いの道を歩くと、さわやかな風が吹いて来た。やがて乾物屋や食事処、茶店が並ぶ通りに出る。
日が暮れる前には家に着かないと八重も石本も心配するので、小夜はそろそろ車を拾うことにした。
車夫に声をかけようとしたちょうどその時、通りの向こう側にいる小さな男の子が目にとまる。
年のころは六つくらいだろうか。
兵児帯をしめた絣の着物姿で、俯いて泣いているよう見えた。
(迷子かしら?)
小夜の頭に真っ先に浮かんだのはそのことだった。
暗くなってしまってからでは大変だと思い、小夜は取りあえず話を聞こうと男の子のもとへ足を向ける。
その瞬間小夜は袖を引かれた。
「母さん」
小さな子供の声におどろいて振り向くと、通りの向こう側にいた絣の着物姿の男の子が立っていた。
(あら、通りの向こう側にいた子かしら? 着物も兵児帯も一緒だわ)
ふと疑問が浮かぶが、わりと一般的な格好なのでそれほどきに気にならない。
「ごめんなさい。間違えちゃった」
男の子が泣きはらし目を小夜に向ける。
「あなた、迷子なの?」
「迷子? わかんない。母さんにここで『待ってて』って言われてずっと待ってる。でも母さん来なくて」
悲し気に俯く子を見て、小夜は胸が痛む。
もしかしたら捨てられたのかもしれない。小夜は、かがみこんで話しかけた。
「それは心配ね。お母さんと別れたのはいつ頃なの?」
「覚えていない」
これには小夜も困ってしまう。
「お母さんがあなたのことを探しているかもしれないわ。あなた、お名前は?」
「シゲ」
「ではシゲちゃん、近くの派出所にいってみましょうか」
そう言ってシゲの手をとって小夜が顔を上げると、町全体が夕景につつまれていた。
とても美しい景色のはずなのに、小夜の背筋をゾクり悪寒が走る。
通りに人気はなく、板葺き屋根の木造家屋が坂道にかぶさるように並んでいて、目の前には大きな桜の木があった。
そして近くに海が見える。
先ほどまで町中で喧騒につつまれていたのに、ここは別世界。
ぎゅっと小夜の手を握った子供が、無垢な視線を向ける。
小夜は一つ深呼吸をする。
(ごめんなさい、旦那様、八重さん、石本さん。小夜はこの世界から帰れないかもしれません)
「シゲちゃん、一緒にお母さん探そうか」
小夜がそう声をかけるとシゲは安心したように頷いた。
◇
行平と巡回している惟明のもとに烏の姿をした石本の式がやってきた。
伝言を聞いた惟明の顔色が一瞬で変わる。
「隊長、どうしました」
ただならぬものを感じた行平が惟明に声をかける。
「小夜の気配が今しがた途絶えた。恐らく神隠しだ」
「何ですって!」
「小夜には石本の式がつけられていたから、消息を絶った場所はわかる。すぐに向う」
石本の放った烏を追って走っていくと、店や人が行き交う通りに着いた。
「こんな賑やかな場所で神隠しに遭ったって言うんですか?」
「ああ、ここに何かがあるはずだ」
石本の烏が、店が並ぶ通りの辻の片隅に降り立ち、ふっと姿を消すと紙に戻る。
「妖魔の気配はないし、鬼門が開いた気配もない。しかし、辻とは嫌な場所ですね」
行平が眉根をよせる。
惟明はその場に立ち、道端に落ちた紙を拾いあげた。
「行平、これは妖魔の仕業ではない。今すぐ四番隊を呼んでくれ」
「呪術の類ということですか?」
「いや、おそらく神、もしくは神であったものが関係している。この道は最近増えた自動車や市電のために拡張したのだろう。きっとその時何かを蔑ろにした。その当時の状況や様子も含めて、関係各所に連絡し聞き込みをしてくれ」
「わかりました。隊長は詰め所に戻りますか?」
行平の問いに惟明は首を振る。
「いや、俺はここで小夜の気配を探る。うちの石本が優秀な式神使いだということは知っているだろ。石本が小夜につけた式が紙に戻ったとしても、小夜を守っているはずだ」