26話 初めてのパーラー
――その頃、東京では町に出かけた若い女性が行方不明になる事件が頻繁に起きていた。当初は誘拐事件かと思われたが、身代金も請求されないことから、妖魔がらみではないかと疑われるようになった――。
退魔部隊一番隊隊長である惟明には執務のために一室与えられていた。
惟明は現在そこで警視庁から送られてきた分厚い文書を読んでいる。
「隊長、警視庁に押し付けられたんじゃないですか?」
先ほどから惟明の部屋に居座っている行平が、面倒くさそうに言う。
妖魔退治の時は頼りになるが、彼は休暇をこよなく愛していて、忙しいことを好まない。
「向こうも巡回しているんだ。そう言うわけではないだろう。しかし、日比谷から九段下付近とは範囲が広い。せめて場所がもう少し絞られていればな」
「今月に入って七人も消えているんでしたっけ? そういえば隊長の家もあの近くですよね。美人ばかりが行方不明になるっていうから、奥さんが心配じゃないですか?」
惟明はピクリと反応する。
「小夜はあまり外出を好まない」
とはいえ惟明は心配になる。
「それはめずらしいなあ。隊長の家は資産家じゃないですか。ああ、でも前に会った時、遠慮深そうな人だったから、本当は出かけたくても、隊長が恐くて言えないんじゃないですか?」
と言って行平はけらけらと笑う。
彼とは長い付き合いで、お互いに言いたいことを言い合っている仲だ。
遊び人なのが玉に瑕ではあるが、大規模な妖魔退治では頼りになるし、なかなか鋭いことを言う。
小夜がときどきびくっとした様子で惟明を見ていることがあるので、気になってはいた。
「では、俺が休暇をとって小夜を連れ出してやろう」
小夜にはもっと打ち解けてほしかった。
気づいた時には彼女は八重や石本にとても懐いていた。庭師の大山とも楽しそうに庭の手入れをしている姿を見かけたこともある。
あのくらい自分にも気を許してくれればと、惟明は思う。 小夜が使用人と仲良くしている姿は微笑ましいが、その反面惟明は焦りを感じていた。
「やだなあ。冗談ですよ。結婚前より帰りも早いし休暇も取っているし。隊長は愛妻家ですよ」
惟明はその言葉に少し照れた。
小夜は神通力が強いから安心できる部分もあるが、何分気が優しいので心配ごとの方が多くなる。
「そんな事より、巡回に行くぞ。昼日中から人が消えるなど物騒でならない。人混みの中に鬼門が現れるようなことがあれば一大事だ」
「そうですね。ずっと詰め所に待機なんて嫌ですから、さっさと解決しましょう」
少々うんざりしたように行平が言う。
「しかし、妙な事件だな。強い妖魔の気配が感じられない。四番隊に気配でも探らせるか」
この事件が解決しなければ惟明も行平も休暇が取れないのだ。
◇
暦の上では秋に入ったが、今年の残暑は厳しく、その日も蒸し暑かった。
小夜は珍しく出かける予定があり、桐の箪笥から着物を出して選んでいた。
迷いに迷っている小夜を見かねた八重が、一緒に選んでくれる。
「ご本家の千鶴様と銀座のパーラーで待ち合わせなんて、どきどきしてしまいます」
「奥様、あまり本家の方に心をお許しにならないでください。あの家はいびつです」
八重も惟明と同じようなことを言う。
「はい、気を付けます」
結局、小夜は涼しげな青磁色の着物に透け感のある黒っぽい紗の羽織、日傘を持ってお出かけすることにした。
心配した石本がいつものように紙の依り代を使って、下男ふうの強そうな姿をした式を付けてくれる。
待ち合わせのパーラーは目立つ建物で、すぐにわかった。
少し早く着いたのに、すでに和装姿に日傘をさした千鶴が待っていた。
まずはお互いに挨拶を交わす。千鶴に丁寧に礼を言われ小夜は焦った。
その後一緒に店内にはいる。
店が豪華で洒落ていた。洋装の若者が多く、小夜は場違いな気がして落ち着かない。
そんな小夜を見て千鶴が微笑む。
「大丈夫よ、小夜さん」
「千鶴様は慣れているのですね」
小夜が感心したように言う。
「惟明さんと小夜さんのお陰で最近こういう場所に来る機会が増えたの」
「そんな。私は、何もしていません」
テーブルに着くとメニューを覗いた。しゃれた横文字の名のデザートが並んでいる。
小夜は立派な店内をついきょろきょろと見まわしてしまう。
紅茶とケーキを楽しんでいる人の中に、不思議な飲み物を飲んでいる人たちがいて小夜は目を丸くする。
「まあ、あの飲み物はなんでしょう? 流行っているのですか?」
ソーダ水の上にアイスクリームが乗っていて、見た目も綺麗で美味しそうだ。
「ふふふ、ではあれを頼んでみますか? 私もまだ飲んだことはないんです」
二人で同じものを注文した。
注文を終えるとふと沈黙が落ち、小夜は緊張感を覚えたが千鶴が口を開く。
「小夜さん。私、兄があんなだから、家ではいつもいい子を演じてきたんです」
千鶴は気が強そうで、しっかりした感じだから、家族に頼られてしまうのかもしれない。
慰めたいと思うのだが、上手い言葉が見つからない。
「それは……大変ですね」
「ええ、そのうえ最近では両親から『子はまだか』としつこく言われて、すごく嫌だったんです。今もそれは変わらないけれど、『兄様が身を固めて子をなせば済むことではないんですか』って言ってやりました。母は私が反抗したものだから驚いていたけれど、いい気分でした」
千鶴はすっきりしたような顔をしている。
そんな話をしている間に、ソーダ水の上にアイスクリームを乗せた不思議な飲み物がやって来た。
しゅわしゅわと音を立てるソーダ水の上に乗るアイスクリームを見て、小夜は思わず歓声を上げる。
「まあ、とても綺麗です! 私、アイスクリームが大好きなんです」
「小夜さんって、無邪気な方ね」
そう言われて小夜は赤くなる。
「あの……私、銀座に来たのはこれで二回目なんです。だから見る物すべてが物珍しくて」
「一回目は惟明さんと?」
「はい、牛鍋というものをいただきました」
小夜が嬉しそうに答えると千鶴が笑った。
「今度は洋食を食べに連れていってもらうといいですよ。いい店をお教えします」
「ありがとうございます」
「といっても、私もこうやって出かけられるようになったのは最近なのだけれどね。兄様は毎朝いやいや退魔部隊に出勤しているわ。それに社の仕事も手伝うようになったし」
そういって楽しそうに笑う。
それから千鶴は昔話をしてくれた。
子供の頃は本家で行事があるたびに惟明と義之、千鶴の三人でよく遊んでいたが、年を経るごとに頭角を現す惟明に義一が嫉妬して、遊ぶことを禁じた。
以来口を利くこともなくなってしまったらしい。
「それに惟明さんのおうちは分家の中でも変わっていて、恋愛結婚が多いの。だから、うちの父が霧生の血が薄まると言って敏子を惟明さんにあてがったんです。敏子の家は分家の中でも序列第三位だから、一見妥当にみえるけど、惟明さんが子供の頃から性格の悪い敏子を嫌がっていたのを知っていてわざと押し付けたのよ」
「まあ……そうだったんですか」
本家と分家の対立はまるで子供の喧嘩のようだと小夜は思う。だが、それに振りまわされる人たちはたまったものではない。
「正二郎さんは入り婿で来てくれたけれど、兄様がもう少ししっかりしてきたら、二人で本家を出るつもりです」
「え?」
小夜は思い切った千鶴の発言にびっくりした。旧家でそんなことが許されるのだろうかと思ってしまう。
「あの家は息苦しくて嫌なんです。それに兄は散々両親にかわいがってもらったのだから、両親の面倒は兄に見てもらうつもり。どのみち家を継ぐのは兄様だし、兄がこのまま結婚すれば、私たち夫婦は邪魔になるか使用人のように扱われるでしょう。なんだかあの家のいるのが馬鹿らしくなってしまって」
「私にそのようなお話をなさっても大丈夫なんですか?」
小夜は千鶴が心配になった。なぜなら孝行は美徳であり、当然のこととされているからだ。
しかし、千鶴はまだ心の奥底にうっぷんを抱えているようで、彼女のいうように本家を出たほうがいいのだろう。
「はい、体裁ばかり気にして見栄っ張りな親に付き合うのはやめにしました。私、毎日調子が悪かったんです。気分が欝々として、ちょっとしたことで腹を立てたり、頭が痛くなってぼうっとなったり、母に『霧生家の長女であるあなたがしっかりなさい』と叱られることも増えて。でも小夜さんたちが来て……小夜さんが私の話を聞いてくれて、吹っ切れました」
小夜は千鶴の言葉に頷いた。
「千鶴様は強いのですね」
「千鶴様なんてやめて、千鶴と呼んでください。年も近いことだし」
そう言って彼女は意外にもはにかんだように微笑む。
「私、生霊を飛ばしていたんですよね。大した神通力も持ってやしないのに。ねえ、小夜さん知っている? 霧生って姓は、昔鬼が流れると書いたそうよ。だから鬼の血が流れていると言われているの。私、あの家にいたら本当の鬼になってしまいそうで怖いんです」
気が強そうに見える千鶴の弱気な表情に小夜の心は揺れる。
生霊を飛ばす人間は、また同じような状況に陥れば、人を恨んで生霊を飛ばす。
「大丈夫ですよ。千鶴さんには素敵な旦那様がいらっしゃるのですから」
ただの気休めにしかならないが、小夜は千鶴に微笑みかけることしかできなかった。
「ありがとう。小夜さんにそう言ってもらえるとほっとする。小夜さんって不思議なひとね。なんだかあなたの周りの空気って、清らで安らかで安心できるの。だから惟明さんからとても大切にされているのね」
千鶴に褒められて小夜は大いに照れた。