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退魔師の望まれぬ花嫁  作者: 別所 燈
第二章 穏やかに見える日常の裏側で
21/43

21話アイスクリームと不幸の手紙② 杉本家の事情

 小夜は自室に戻ると、文机の上で封を切り手紙を広げた。


『小夜、いつまでも分不相応な生活をしていないで帰って来なさい』


 最初の一文を見て、小夜はびっくりした。

 それと同時に粗相をするとすぐに食事を抜いた杉本家の怖い姑の顔が浮かぶ。


(帰って来なさいってどういうこと? 離縁されて杉本家を追い出されたのに……)



「なんだか、この先を読むのが恐い」

 嫁いでいたころの恐怖を思い出し、思わず委縮してしまう。


 しかし、相手が何を要求しているのか知らないことは、もっと怖い。結局小夜は読むことにした。

 

 そしてすべて読み終わった小夜は、ただただ困惑した。

 

 手紙の内容を要約すると、赤石家から嫁いできた絹子が、赤子を放りっぱなしで遊びまわっているという。

 直之のために子が産めなかった小夜が、手伝いに来て当然だという内容だった。


「なぜ、離縁された私が……? こういうことってよくあるものなのかしら? 子が出来なかったのは私のせいではないのに」

 

 姑は手紙の中で、石女の小夜を三年も面倒見てやったのに、恩知らずで非常識だとなじっていた。


(非常識……?)


 常識と言われても小夜は困ってしまう。

 そもそも小夜は学校に通っていないし、同じ年頃の友人すらいない。

 常に実家の神社の手伝いや、家事に忙しく、ずっと働きづめだった。


 読み書き計算、護符やお守り作り、結界の張り方、御神楽などは母から教育をうけた。

 実家の神社の仕事を手伝っていた関係で更に知識は増えていったが、小夜の世界はとても狭い。


 嫁に行った杉本家では、ことあることにしきたりだの常識だのと言われ続けていた。だが、霧生家では全然違う。

 常識って何なのだろうと考えさせられてしまった。


小夜が頭を抱えているときに、襖越しに八重の声が聞こえた。

「奥様、お茶をお持ちしました」

 小夜はその柔らかな声に安堵を覚える。


「まあ、八重さん、ありがとうございます」

 八重はすっと襖をあけ、盆をもって小夜の部屋に入る。

 盆には麦茶に水ようかんがのせられていた。


「わあ、とてもおいしそうです!」

「奥様、八重でございます」


「あ、ごめんなさい。八重、麦茶と水ようかんをありがとうございます。それで、あの少し相談があるのですが」


「どうなさいましたか? 奥様」

 八重がいつものあたたかな笑みと眼差しを小夜に向ける。

 

「実は常識について知りたいことがあって」

 八重が意外そうな顔をする。


「まあ、常識ですか? この八重でお役にたてるでしょうか?」

「もちろんです。実は手紙に書かれていたことなのですが……離縁された家がたいへん忙しいときに手伝いに行かないのは非常識で恩知らずなことなのでしょうか?」


「は?」

 八重が心底不思議そうな顔で首を傾げた。


 そこで小夜はたどたどしく手紙の内容を八重に知らせる。

 珍しく八重が黙り込んでしまったので、小夜は少々焦った。


「奥様」

「は、はい」

 突然八重に呼びかけられ、小夜は思わず背筋を伸ばす。


「お手紙が私信であることは存じておりますが、私がいったんお預かりして石本に渡し、石本から旦那様に判断を仰ぐということでよろしいでしょうか?」


 八重がきっぱりとした口調で、ここまで長く話したのは初めてで、小夜は大きな目を瞬いた。


「は、はい。そのほうが助かります。なんだか持っているのも嫌な気がして……。八重、よろしくお願いします」


「奥様、もちろんでございます。このような非常識な者にはきっとご当主が適切な対応してくださるでしょう」

 八重はそう言って、いつもの柔らかい笑みを浮かべる。


「そうですか。よかったです。非常識なのは相手だったんですね。私、自分がおかしいのかと思ってしまいました」


「いいえ、奥様は心がけの立派な方ですよ」

 八重に褒められて小夜は赤くなる。

  

「ありがとうございます。これからも精進してまいります」


「まあまあ、奥様。なんてことを。私のほうこそ使用人とし精進してまいります」


 八重に丁寧に頭を下げられて焦ってしまったが、このころには小夜も、霧生家の使用人には使用人としての矜持があるのだとわかりつつあった。


 霧生家の使用人は常に主人を立てる。そうしなければ、彼らの面目が立たないそうだ。

 

 ◇


 夕餉は、小夜が一人で食べることが多い。

 惟明は帰る時間がまちまちで、たいてい夜中が夜明けが多い。なぜなら、逢魔が時から夜明けまでが妖魔が活発に活動する時間帯だからだ。


 そのため小夜は先に食事をして寝るように言われていた。

 だから朝餉をとる時だけ、惟明の顔を見ることができる。

 小夜はそれを楽しみにしていた。


 しかし、その日の朝はいつもと違った。

 小夜が、台所ののれんをくぐって八重に挨拶をすると惟明はもう出かけるところだという。


 慌てて玄関に向かうと、惟明はすでに退魔部隊の制服姿で長靴を履いていた。

 働き過ぎな惟明が心配になる。


「旦那様、今朝は随分とお早いのですね」

「小夜、心配しなくとも大丈夫だ。俺は必要があれば、隊舎できちんと仮眠をとっている」

 惟明の元気そうな様子にほっとして、いつものように切り火をする。 

 

「今日は仕事の前に、杉本家に寄っていく」

「え?」

「小夜は何も心配することはない。俺がしっかりとけりを付けてくるから安心してくれ」 


「今から杉本家に行くのですか? 旦那様が、どうしてですか? それに使用人は起きているといると思いますが、杉本家の方々はこの時間、皆寝ています。あの行くなら私が……」

 惟明が小夜の言葉に首をふる。


「小夜。お前は絶対に杉本家に近寄るな。俺ならば問題ない。今から杉本の奴らをたたき起こす」

 惟明はそう言ってにっこり笑う。

「え、あの問題ないって……そんな」

「では奥様、私も今朝はご当主とご一緒します。午前中には戻ります」


 あっけにとられる小夜を残して、惟明と石本はどこか楽しげな様子で出かけて行った。 

 

 あの手紙は八重から石本に石本から惟明の手に渡ったのだろう。


 なんとなく落ち着かなくて、小夜がそわそわしながら、玄関の掃除をして庭の掃き、鯉に餌をやっていると八重が呼びに来た。


「奥様、昼餉のお時間ですよ」

「え? もうそんな時間……」

「さあさあ、奥様、今日は働き過ぎですよ。ゆっくりと昼餉をおとりください」

 

 小夜は八重に促され、手と顔を洗って自室に戻る。

 すぐに箱膳が運ばれてきた。  

「奥様、お食事の後にと思ったのですが、お気になさっているようなので」

 そういって、八重に渡されたのは杉本家からのわび状と菓子だった。

「ええ! あの杉本家がわび状を……」

 惟明が杉本家に行ったのは今朝だ。

 あまりの杉本家の早い対応に驚いた。


 それだけ霧生家が格が高いということだ。

 そもそも杉本家は江戸の頃から続く裕福な呉服屋ではあるが、華族ですらない。


「本当に弁えていないのも非常識なのも、あちら様ですよ。そうそうこちらのお菓子はカステラですが、いかがなさいますか。奥様がご不快なら、八重が処分いたしますが」

 いつもの柔らかい笑顔をうかべ、八重が怖いことを言うので、小夜は慌てて首をふる。


「いえ、お菓子に罪はありませんから。食後にいただきます」

「では、八重がしっかりとお毒見してお出しします」

「え! 毒見ですか? 必要ありません。それに毒見なら私がします」

「奥様にこのような危険なことはさせられません」

 いつの間にか杉本家からのお詫びの菓子が毒物扱いされている。


 小夜は慌てたが、結局八重と一緒におやつにカステラを食べ、平和な午後を過ごした。

 

 翌日、朝餉の折りに小夜は惟明に事の顛末を聞いた。


「俺は大したことはしていない。霧生家の嫁にこのような真似をしたら、次は身代を潰すと言っておいただけだ」

 なんでもないことのように言う惟明に、小夜はびっくりして小さな悲鳴を上げる。


 きっと本当に霧生家にはそれができるから、杉本家も慌ててわび状と菓子を送って来たのだろう。蓋を開けてみれば、杉本家のもと姑のただの嫌がらせだったようだ。


 これくらいのことで、忙しい惟明の手を煩わせずとも小夜自身の手で対処できないと――小夜は反省しきりだった。

 

「それにしても小夜はやはり不思議な力を持っているようだ」

「神通力のことですか?」

「いいや、小夜が杉本の家を出てから、どうも呉服屋の経営がうまくいっていないらしい」

「とても羽振りの良いおうちでしたのに」

 儲かっていたから、直之が働きもせず遊びまわっていたので、意外な気がした。


「羽振りがよくなったのは小夜が来てかららしい。小夜を追い出してからは不運続きで右肩下がりだと言っていた」

「まあ、そうだったんですか」

 不思議なこともあるものだと思うが、それと小夜は関係ないような気がする。


 しかし惟明は言う。

「小夜はまるで座敷童のようだな」

「小夜は童ではありませんし、人間です」

 小夜が慌てて訂正すると、惟明がおかしそうに笑う。

 からかわれたのだとわかって、赤くなった。


 食後のお茶を注いでいると、惟明が何かを思ついたように口を開く。

「そうだ。小夜。もしお前の実家から何か言ってくるようなことがあれば必ず俺を通せ」

「実家に何かあったのですか?」

「いいや、一人で抱え込むなということだ」

「旦那様、ありがとうございます。小夜は優しい旦那様のそばにおいてもらえて幸せ者です」


 小夜が素直な気持ちを口にすれば、惟明がびっくりしたような顔して、珍しく照れたように頬を赤らめた。


「行ってくる」

 お茶を飲み干すと彼は仏頂面で立ち上がった。

 今の小夜には惟明が怒っているのではないとわかる。


 小夜はその日も惟明の無事を祈って玄関で見送った。





 

 

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