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退魔師の望まれぬ花嫁  作者: 別所 燈
第二章 穏やかに見える日常の裏側で
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19話 小夜の穏やかな日常

 惟明が義之を捕まえるために吉原にいる頃、小夜は心配であまり眠れなかった。


 結局寝不足のままで目覚め、台所に向かう。


 のれんをくぐってすぐに八重に声をかけられた。


「あらあら、奥様、あまり眠れなかったんじゃないですか? 朝のお支度は気にしないでください。八重がしますので、奥様は休んでいてください」


 そういって八重がいつものふくふくとした笑顔を浮かべる。


「いえ、大丈夫です! 私は元気です。今日のお味噌汁の具はなんですか?」

「お豆腐にワカメ、油揚げを少々入れようかと考えています」


「わあ、美味しそう。では私が油揚げの油抜きをしますね」

 その時小夜の手元がふらついた。


「まあまあ、奥様。火傷をしたら大変です。こちらは八重がやりますので」


 小夜は張り切ってみるが、それで目の下のクマが消えるわけもなく、ワカメを水洗いしながらあくびをかみ殺した。


 その後、小夜はいつものように朝餉を惟明の部屋に運び、彼が碗に手を付けたのを見計らって口を開いた。

「義之様はみつかりましたか?」

「ありがとう、小夜。お前が言った通りの場所にいた」

 惟明がそう言って微笑んだ。


「それで……家に戻られたのですか?」

「強引に連れ戻した」

 惟明の口調はさらりとしているが、本家とはいろいろと軋轢があるようなので、小夜は心配になる。


 だが、なんと言葉をかけていいのかわからなくて口をつぐんでしまう。


 小夜が食後のほうじ茶をついでいると惟明が口を開く。

「小夜は、義之が家出をした理由はわかるか?」

「いいえ、そういうものはわかりませんでした」

 場所ははっきりと見えたが、理由まではわからない。


「義之も怠け者で困ったものだ」

「怠け者ですか?」

「ああ、本家の人間にしては神通力もそこそこにあった。それなのに十四の頃から突然、勉学も鍛錬も放り出して昼間からふらふらしだしたんだ。本家の跡目としてしっかりしてもらわなければ困る」

「まあ、そうだったんですか」


 小夜と惟明が結婚するときに本家の人間が誰も来なかったから、全く付き合いがないものかと思っていた。


 だが惟明は、子供の頃は交流があったような口ぶりで話す。


 霧生家の親戚関係は複雑そうで、どこまで家の事情に踏み込んでいいのかわからない。


 小夜にとって惟明は大切な旦那様である。それゆえに慎重になってしまって、彼との距離を測りかねていた。


 今まで大切に扱われたことがないので嬉しいと反面、戸惑うことも多いのだ。


「ところで小夜。今日はもう休め」

「え? まだ朝ですが」

 小夜はびっくりして目を瞬く。


「顔色が悪い。夕べ眠れなかったのだろう。心配をかけてすまない」

「いえ! そんな小夜は元気です。大丈夫です」

 小夜は慌てて首を振った。


「いいや、駄目だ。今日はゆっくり休め。小夜は我慢強すぎる。それに義之を見つけるときにずいぶんと神通力を使ったはずだ。倒れる前に横になれ。自分の限界を知ることも大切だぞ」

 説得力のある惟明の言葉に、小夜は頷いた。


「わかりました。今日はお休みします。あの、でも旦那様のお体も心配です」

「俺は、日頃から鍛えているから大丈夫だ」

「そんな、旦那様だけ、働くなんてずるいです」

 惟明は驚いたように目を見開いたあと声を立ててわらった。

「ははは、そんなことを言われたのは初めてだ」



 その後、惟明は「義之の奴、早く身を固めてくれないだろうか」と珍しく一言ぼやいてから、仕事にでかけていった。


 小夜は朝餉の後片付けをしようとしたところ、八重と石本に止められて部屋でやすむように言われた。


 まだ働ける気もしたが、小夜は八重と石本に心労をかけたくなくて少し横になることにした。


「昼間から、こんなに贅沢な時間を過ごしていいのでしょうか」

「当然ですよ。さあ、奥様、葛湯をどうぞ」

 八重から差し出された葛湯は程よい甘さでトロリとしていておいしい。


 さじのうえでふうふうと冷まして飲む。

「八重、ありがとうございます」

 急に眠気がさして小夜はゆっくりと目を閉じた。


 すっと誰かに頬を撫でられたような気がして、小夜は目を覚ます。

 障子一枚隔てた外からさす光りはすっかり午後のものになっている。 


「どうしましょう! 私ったら、すっかり寝入ってしまったわ」

 小夜はせめて掃き掃除でもと思い身繕いをする。


 廊下を足早に歩いていると、八重に声をかけられた。

「奥様、お目覚めですか? どちらへ」

「はい、私ったら、つい寝過ごしてしまって……。これから掃除をしようかと思って」

「あらあら、奥様、昼餉もまだですのに」

 八重がいつものおっとりとした口調で言う。

「たくさん寝たから、大丈夫です」

「そうおっしゃらずに今から奥様のお部屋に昼餉をお運びします」

「すみません。準備をしてくださっていたのですね」

 八重はニコニコと微笑む。


「奥様が謝ることではありませんよ。さあさあ、お部屋でお待ちください」

 手伝うと申し出たがいつものように断られ、小夜は部屋で美味しい昼餉を食べることになった。


 ふっくらとしたキスのてんぷらと優しい味の野菜の煮しめに舌鼓を打つ。


(私、こんなに幸せでいいのかしら)


 三食食べられるだけでも嬉しい事なのに、ここでは食事が驚くほど美味しい。


「そうだわ。おやつは私が用意しましょう」


 小夜は毎月惟明から、お小遣いをもらっているが、公江がいなくなってから使い道がない。


 それならば霧生家で働いてくれる人たちのために何かしたいと思い、近くの和菓子屋に買い物に行ことにした。


 近所へ買い物に行くだけだと言ったのに、過保護な石本が小夜に式を付ける。実家や杉本の家にいた頃は袋を持ってコメを買いに行ったりしていた。


 それがこの家ではちょっと近所に行くだけでも式か石本、八重がついて来てくれる。


 皆、公江の一件から慎重になっているのかなと申し訳なく思う。

 とはいえ、小夜も皆に少しは休んでほしい。

 すぐ近くのなじみの和菓子屋で美味しそうなくずもちを買う。


 家に帰ると八重と石本、それに炎天下の中で働いている胡麻塩頭の庭師の大山を誘っておやつにした。


 皆、最初は恐縮していたが、小夜が一人で食べるのは寂しいと言うと、縁側に集まって来てくれた。


 ほどよく冷えた麦茶を飲みながら、きな粉と黒蜜をかけたくずもちを皆で食べた。


「いやあ、奥様。ありがとうございます。甘さが体にしみますねえ。のど越しもいい」


 大山は良い食べっぷりを見せ、麦茶をごくごくと飲み干していた。


「いつも熱い中での作業、ご苦労様です」

「奥様、たまにはご自分のためにお小遣いを使ったらいかがでしょう」


 石本はそう言うが、小夜にはこれと言って欲しいものはなかった。


「着物も、飾りもすべて揃えていただいているので、取り立てて欲しいものはないのです。あっ、でも本は欲しいかもしれません」


「それならば、新聞なども面白いですよ。お部屋にお持ちましょうか?」

 八重に勧められ、小夜はさっそく読んでみることにした。


 世の奥様は皆こんなに楽をしているのだろうかと思いもしたが――。

「そんなわけないわよね」

 小夜は独り言ちた。

 

 どうにも嵐の前の静けさのようなきがしてならない。


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