12話 小夜の能力
その頃、高台にいる小夜は――。
「奥様、穢れもだいぶ晴れました。やがて鬼道も閉じるでしょう。退魔師の部隊は優勢です。旦那様はお強いので大丈夫ですから、そろそろ帰りましょう」
石本が小夜を促す。
「そうですね。旦那様に見つかったら大変です」
小夜が弓を下げた途端、ふらりと体がかしいだ。
「奥様!」
「だ、大丈夫です。ちょっと疲れただけで、さあ、帰りましょう」
石本に支えられながら人力車に乗り、小夜は夢うつつの中で家路につく。
玄関には明かりがついていて、驚いたことに八重が待っていた。
「まあ、奥様、手にひどい怪我を」
ひたすら弦を弾き続けていたので、小夜の手が切れて血が滴っていた。
疲れ切った小夜は、うわごとのように八重に礼を言ってそのまま意識を失った。
◇
翌朝小夜が目を覚ますと、日は高く昇っていた。
(寝坊をしてしまったわ!)
この家に嫁いできて初めてのことだ。こんな調子では離縁しても雇ってもらえないかもしれない。
小夜が布団から身を起こそうとすると目が回る。
「小夜、まだ、起きるのは無理だ。まったく、こんな無茶をして」
「旦那様……?」
小夜の枕元に、和装姿の惟明が座っていた。
「お前、熱を出しているぞ」
「あ、あの……」
「小夜、深夜の外出は禁止だ」
惟明がきりりと眉を吊り上げる。
「ひっ」
小夜は情けない悲鳴を上げる。惟明にバレてしまった。
「言っておくが石本から聞いたわけではない。あのような高台から弓を打てば、お前の姿がはっきり見えるに決まっているだろう。尤も行平は小夜だと気づいていなかったようだが、バレたら大ごとだ」
「は、はい」
起き上がれない小夜は布団に横たわるしかない。惟明が、桶で手ぬぐいをしぼり、小夜の額を拭ってくれる。
小夜は頬を赤く染める。
「旦那様が介抱してくださっていたのですか?」
「いや、俺は途中からだ。明け方まで八重がお前の面倒をみていた」
「とんだ、ご迷惑を」
固い決意のもとに惟明を助けに行ったつもりが、かえって迷惑をかけてしまった。
「迷惑などかけられていない。お前が来なければ、俺の部隊にも犠牲者が出ていただろう。小夜の手柄だが、褒める気はない。そんなことをすれば、またお前は来るだろ?」
「はい、旦那様は大切な方ですから」
惟明が目を見開いた。二人の視線が合った瞬間、彼が目をそらし、小夜は自分の大胆な言葉に気づき真っ赤になった。
「まったく、だからといって、このような無茶を。神通力は使い過ぎると命にかかわるのを知らないのか?」
「存じております。母から大切な時にしか使わないようにと、人に知られないようにとずっと言われて育ちました」
「それで、俺と石本の他に誰が知っている」
惟明が真剣な表情で聞いてくる。
「誰も知りません」
「お前の実父もか」
「はい、母から、父にも絶対に言ってはいけないと教えられました」
「なるほど。小夜の実家はいろいろと事情を抱えていそうだな。お前の父は小夜がそのような強い力を持っていることも知らずに、杉本のような屑に嫁がせたのか」
呆れたように惟明が言う。
「はい。それに巫女は神職ではありませんから。……それで、あの旦那様。離縁したあと、ここで雇ってくださるというお話はまだ有効ですか?」
「は?」
小夜が熱に潤んだ目を向けると、惟明が眉根をよせて首を傾げる。
「そんな、お忘れですか? 離縁した後、小夜をここで雇って下るとおっしゃったではありませんか」
小夜はきゅっと胸が締め付けられるような不安を覚えた。
「おい、何を言っているんだ? まず、なぜ俺がお前と離縁するのだ?」
驚いたように惟明は言う。
「え……、だからそれは、私は石女ではないかも、しれないから」
「いや、はっきりとお前に言わなかった俺も悪かった。あれは冗談のつもりだった」
惟明がため息をつく。
「旦那様も冗談を言うのですか! では私はここで雇ってもらえないので――」
「そうではない。雇うも何も、小夜とは離縁しない」
惟明が小夜の言葉を遮った。
「……ご本家の方は?」
「本家の肝いりで決まった結婚だ。離縁などありえない」
惟明の言葉が小夜の心にじわりと染み渡る。ぽろぽろ涙があふれてきた。
「よかった。ずっと旦那様のおそばに置いていただけるのですね」
小夜はひとしきり泣いた。
「ここへ嫁いできた日から、小夜はずっとそれを気にしていたのか」
「はい、私は一度、婚家からおいだされていますから」
「杉本のやり方は悪質だな」
「それに旦那様が一度も寝所を訪れないので、てっきりほかに恋人がいるのかと」
「なにを言っている。俺には断じて恋人などいない。小夜だけだ」
小夜はじっと惟明を見つめる。惟明はほんのりと顔を赤くして困ったように笑う。
「小夜が、俺を恐れているようにみえた。それにお前はすぐに謝るし、俺がそばを通っただけで怯える。だから、待とうと思っただけだ。小夜が、俺を恐れないようになるまで」
「旦那様……」
小夜の目から再び大粒の涙があふれ、惟明のため息がふってきた。
「だが、もう一つ懸念事項が増えた」
「え?」
「お前には強い神通力があるし、巫女としても優秀だ。それが本家にバレたらひと騒動起こることは間違いない」
一時は安堵したものの、小夜の心は再び不安に揺れる。
「そうなると小夜と床を共にしたとして、身ごもったら俺はお前とややこを守らなければならない。その際の対策を立てねばならぬから、しばらく寝所には行けない。だが離縁は絶対にしない」
小夜は嬉しさに嗚咽を漏らしながら頷いた。
「俺は、お前を霧生の御家騒動に巻き込んで申し訳なく思っている」
ふと、惟明の顔が陰る。
しかし、小夜にとっては離縁されないだけでも、とてもありがたいことだった。
杉本家を追い出されたことが、小夜の中で大きな心の傷となっていたのだ。