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退魔師の望まれぬ花嫁  作者: 別所 燈
第一章 初婚ではありませんが、旧家に嫁ぎます
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初婚ではありませんが、旧家に嫁ぎます

 小夜(さよ)は、二十畳はあろうかという広い部屋で、二つ並べられた布団を前にして畳の上にぽつんと正座していた。


 浴衣の前を何度も合わせ、そわそわとする。

 なぜなら、今夜が新しい夫、霧生惟明との初夜だからだ。

 緊張と不安でどきどきがおさまらない。


 こういう時、どうやって夫を迎えたらいいのか、わからない。

 畳の上に三つ指でもついて、ふすまの前で待っていればいいのだろうか。


 こころもとない行燈の火影の中で小夜は一人思い悩む。


 風呂上がりの小夜の髪は湿り気を帯び、頬は緊張に上気していた。



 ◇


 小夜が初めて霧生惟明(きりゅうこれあき)と会ったのは、ある春の昼下がり。

 仲人に連れられて霧生家分家の惟明宅へ向かった。


 麹町のとある場所――。

 長い築地塀の先に、立派な兜門がある。この大きさで分家というのだから驚いた。数ある霧生家分家の中でも、一番権力のある家だ。


 だが、その強い分家でさえも本家の命には逆らえないようだ。


 小夜は広い玄関で石本(いしもと)という五十がらみの家令に迎えられ、鯉が泳ぐ大きな池が見える広縁を歩き、広い座敷に案内された。


 緊張しながら、仲人と共に挨拶をして和装姿の惟明と向かい合う。


 霧生家は神職華族で陰陽師の家系にあり、代々退魔師(たいまし)を生業としている。退魔師とは中務省(なかつかさしょう)に所属して、あやかしや物の怪と呼ばれる妖魔を退治する軍人だ。


 一度は廃止された中務省だが、文明開化が進むに連れ、この国の鬼門(きもん)は大きく開いてしまった。そのため国中に鬼道(きどう)と呼ばれる異界への道が出没し、そこを通って妖魔が湧いて出る。

 その妖魔を退治するのが、退魔師である。


 だから、てっきり惟明は強面なのかと思っていた。

 だが、小夜の予想に反して、惟明は端整な顔立ちをしていた。


 年は数えで二十四。体は大きく軍人らしく引き締まっている。薄い唇に涼やかな目元、すっと通った鼻筋に短く切った髪、精悍な雰囲気が漂っている。


(ちょっと冷たそうな方。乱暴でなければいいのだけれど)


 小夜は、彼にそんな第一印象を持った。


 退魔師の結婚相手は、たいてい同じ血筋の者から選ばれる。しかし、今回は出戻りかつ霧生家の傍系ですらない森川(もりかわ)家の小夜が選ばれた。


 共通点は神職華族ということのみで、家格も霧生家の方がずっと高いし、財力もある。

 疑問に思うも、小夜に答えをくれるものはなかった。


 父からは「杉本(すぎもと)家から離縁されたばかりのお前を貰ってくれるんだ。ありがたく思え」と言われ、腹違いの妹の朝子からは、「なぜ、小夜が霧生様の家に嫁げるの? 石女(うまずめ)で離縁されたのに! 納得がいかないわ」とやっかまれた。

 とはいえ、朝子はすでに入婿を迎えている。


 しかし一番納得がいかないのは小夜だ。

(なぜ、条件の悪い私なの?)

 逆に不安を覚える。



 見合いとも呼べない簡単な顔合わせから、半月もしないうちに二人は、祝言を上げることになった。

 急転直下の出来事であるが、小夜に拒否権はない。



 小夜は初婚ではないし、惟明も仕事が忙しいというといことで、祝言は霧生家の主だった親戚が見守る中で簡単にすませた。


 霧生本家はどういうわけか出席せず。


 数多くある分家の主だった親戚のみが麹町の惟明宅に集った。


 そして、なぜか小夜の親族は誰一人として参加していない。


 霧生家とつながりができると喜んでいた父は、祝言への参加を拒否されたとたいそう腹を立てていた。

 だが、霧生家はお上に仕える家柄である。盾突くことはできなかった。


 儀式の始まりから、不穏な空気が漂っていた。


 それもそのはず、惟明には分家の霧生敏子という許嫁がいたのだ。そのことを小夜は式の前日に仲人から知らされた。それだけでも気が重い。


 三々九度が済んだとたん、紋付きの中年男性が怒りの声を上げる。


「惟明さん、どうしてこんな石女(うまずめ)を娶るのか!」


 小夜はその男性が誰かわからない。ただその横には小夜と年の変わらない女性が寄り添っている。

 恐らくその女性が惟明の元許嫁の敏子で、中年男性はその父だろう。


 それを皮切りに大広間に集まった面々からこの結婚に対する不満の声が漏れ始めた。


「なぜ、敏子さんがいるのに、ひどい話」

 同情したように一人の中年の女性が敏子の横に座り聞こえよがしに言う。

 きっと彼女は敏子の母親なのだろう。


「離縁された性悪女だ」


 ひそひそとしていた声が、やがてざわめきに変わる。


「そうよ。本当なら、私が惟明さんの妻になるはずだったのに」


 恨めしげに敏子が睨んでくる。無理もない。今年女学校を卒業した彼女が惟明と結婚するはずだったのだから。


 さぞ悔しかろうと、小夜は申し訳なく思う。


 そして、この結婚に一番混乱しているのは小夜だ.


 図らずも小夜は、敏子から惟明を奪った形になってしまった。


 小夜は罵声が浴びせられる中で、そっと目を伏せた。


 こういうときは泣いてもダメ、怒ってもダメ、傷ついた顔をしてもダメ。なぜなら被害者は小夜ではなく、彼らなのだから。小夜は嵐が過ぎ去るのを静かに待った。


 こうして縮こまっていると小夜の中にある大切なものが削られ、心が虚ろになっていく気がする。


 きっと惟明も不満を飲み込んで、この結婚を承諾したのだろう。ここにいる誰もが彼女を嫁にと望んでいない。


 実家にすら小夜の居場所はなかった。


 (なぜ、こんなことになってしまったのだろう……)


 その時、小夜の前にふっと影が差す。


 一瞬打たれるのかと思い小夜は固く目を閉じる。しかし、いつまでたっても痛みは襲ってこない。

 恐る恐る目を開けると、惟明が小夜を庇うように前にたっていた。


「これより、私の妻を貶すものは許さない」


 静かだが重く強制力を持つ声に、広間はしんと静まり返る。


 惟明は、小夜を振り返る。


「小夜、嫌な思いをさせて悪かった。部屋に下がってよい。今日はもう休め」


 まさか夫が庇ってくれるとは思っていなかった。


 親戚たちは、いったん口を噤んだものの、今にも不満が爆発しそうな状況だ。

 特に敏子の視線は小夜の肌を突き刺すようだ。


 張り詰めた空気のなかで、小夜は広間をでた。

 小夜は廊下で待っていた使用人連れられて、しずしずと大広間を出た。

 その後、彼らの間で、どのような会話がされたのかわからない。




 小夜が夜の寝所で惟明を待ちながら、昼間の回想にふけっていると、


「小夜、入るぞ」


 惟明の声が聞こえた。


 がらりと目の前の襖が開かれ、小夜は緊張に体をこわばらせて、思わず三つ指をつき頭を伏せる。


「小夜。面をあげろ」


 彼の言葉は静かで、怖くはないのに、どこか強制力を持っていた。これが退魔師としての力なのか、小夜にはわからない。


 小夜はゆっくりと顔を上げる。


 すると惟明は軍服に一振りの日本刀を手に持っていた。その姿に小夜は恐れおののいた。


「呼び出しがかかった。俺は仕事に行かねばならない。今夜はこれで失礼する。小夜はゆっくり休め」

「は、はい」


 ぴしゃりとふすまが閉まると、彼の足音が遠のいていく。


 小夜の心臓は驚きのあまり飛び出しそうになる。


「優しい方、なのかしら……?」


 惟明の表情は、揺らぐことなく、にこりとも笑わない。


 だが、祝言では小夜を親戚たちから庇ってくれた。


 そして今は使用人に頼まず、自ら不在を小夜に伝えに来てくれた。


 少し前まで世話になっていた杉本家とはずいぶんと勝手が違う。


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