彼女の部屋にいたら、警察がやってきた
「よし、動くな。
この部屋の住人から通報があった。留守宅に何者かが侵入しているってな」
一戦終わった若奈と休憩がてら飲んでたら、いきなり警察が何人も踏み込んできた。
通報って言ったか? 早苗は今日は帰ってこないはずだ。なんだってそんな…。
焦って何も言えないでいると、
「この酒はどうした?」
とか訊いてきた。
「そんなん、冷蔵庫から出したに決まってんじゃん」
あ、バカ! 若奈が答えちまった。
なに勝手に答えてんだよ!
「そうか、2人とも、名前は?」
「俺はここの住人だよ!」
「この部屋の住人は、女性で独り暮らしのはずだけどな?
身分証見せてもらえるかな?」
しぶしぶ免許証を見せると
「うん、住人と名字違うね」
「だから、同居人だって!」
「ここの住人からの通報だって言ったでしょ?
独り暮らしで誰もいないはずなのにって怯えてたよ。
そういうわけで、住居侵入と窃盗の現行犯で逮捕するから。
言い訳は、署に行ってから聞くからね」
なんてこった、逮捕!?
俺はロクな抵抗もできないまま手錠を掛けられた。
人生で手錠を掛けられる日が来るなんて思わなかった。
取調室ってとこに押し込められて、目の前の刑事から、黙秘権だの弁護士を頼めるだの、色々言われた。
で、なんであの部屋に入れたのかって話になって
「部屋の借主の寺沢早苗は、俺の彼女です。
合鍵だって貰ってます。
それ使って入ったんだから、住居侵入ってこたないでしょう。
早苗に連絡とってください。
そうすりゃ誤解だってわかります」
「その寺沢さんは、今日は出張の予定で誰も来るはずがないって言ってるようだけど?」
ぐっ…
「いや、その、留守なのはわかってましたけど、だからって、入っちゃいけないってことはないですよね。合鍵貰ってんだから」
「合鍵は、いつ貰ったの?」
「1年くらい前? ですかね?
付き合ってしばらくしてからだから…」
「一緒にいた女の人は誰?」
「職場の同僚です」
「ふうん。
ま、いいや。とりあえず今はあなたの弁解を聞く手続だけするよ。
詳しいことは、また明日ね」
「明日!?
いや、明日は仕事あんですけど!」
「うん、逮捕されると、48時間は警察の持ち時間なんだわ。
明日になったら、ちゃんとした担当が決まって、話聞くから」
なんか、調書っての作って、指紋と、口の中に綿棒入れられてDNAとられて、その日、というか夜は終わった。
終わったっていうか、留置場ってとこに入れられた。
翌日は、午前中は呼ばれないで、昼食後にまた取調室に連れてかれた。
「今日から、あなたの担当になる里井です。
短い間になると思うけど、よろしく」
「早苗に会わせてもらえねえ?」
ダメ元で言ってみたけど、やっぱりダメだった。
「君を被害者に会わせるわけにはいかないんだよね。
ちょっと確認するけどさ、あなたが夕べあの部屋に行った目的はなに?」
目的…そりゃ、若奈とヤるためなんだが…
なんせホテルと違ってタダだし、俺の部屋より広いし、冷蔵庫に酒も入ってるし。
あいつ自炊するから、俺んちの冷蔵庫より大きいの使ってんだよな。
「なんつうか、うちより広いし綺麗だから、ちょっと使わせてもらおうかと。
付き合ってんだし、合鍵も持ってんだから、勝手に入ったって問題なんかないだろう」
「その論法でいくと、大家さんや不動産屋は、あなたの部屋に入り放題ってことになるんだけど。
なんせマスターキー持ってるわけだし、元々持ち主だし」
「それとこれとは違うだろ」
「一緒にいた女性はどなた? あなたとどんな関係?」
「職場の同僚だけど」
そう、同僚つうか派遣社員で、いつだったか飲み会の後誘われて、そういう関係になった。
早苗と別れる気はないけど、あいつ、変に真面目で息が詰まるんだよな。
「ベッドルームのゴミ箱から、使用済みのコンドームが出てきたんだけど、あれはあなたが使ったのかな?」
ゴミ箱って……そんなとこまで漁るのかよ!?
「まぁ、そうだけど」
「使った相手は誰?」
「相手って…」
どうする? 早苗だってごまかすか?
「答えたくないならいいよ。そういう権利あるし。
どうせDNA鑑定ですぐわかるし」
DNA鑑定!? そんなことまですんのか!?
あ…
「昨日の綿棒…」
「そう。もちろん一緒にいた彼女も、部屋の借主も、みんなDNAとってるから。
さすがに今日中ってわけにはいかないけど、わかるんだよね。そんなわけだから、言いたくなったら言ってね。
あなたは、明日送検される。
その後、裁判所に行って、とりあえず10日の勾留をつけてもらう予定だよ」
検察庁!? 裁判所!? いや、それより…
「10日!? おいおい、仕事穴開けちまうじゃないかよ!」
今日無断欠勤してるだけでもヤベエのに、10日って…。
「うん、弁護士頼んだら、そっちから連絡取ってもらうこともできるよ。
まあ、あなたが希望するなら、警察の方で事情説明してもいいけど」
警察から電話がいったりしたら、一発でクビだよ!
「なんとかなんねぇんすか?」
「現状、最良は弁護人をつけることだと思うよ」
「弁護人? 弁護士じゃねぇの?」
「まあ、同じと思っていいよ。
知ってる弁護士がいれば連絡とってあげるし、いないなら国選弁護人をつけられる。
国選と言っても、弁護士会が斡旋するんだけどね。
とりあえず国費で雇うかたちになるから『国選』っていうんだ」
「じゃあ、それ、頼みます」
午後イチで、弁護士が来てくれた。
「最初に確認しますが、一緒に逮捕された女性の方、浮気相手ということでよろしいですか?」
どストレートに訊かれた。警察でもここまでストレートには訊かなかったぞ。
どう答えるか考えてると、
「答えづらいでしょうが、弁護活動を行う上で非常に重要な部分ですので、正直に答えてください。
上手く立ち回れば起訴はされませんが、そのためにはまず状況の正確な把握が必要なんです」
「あ~~……そうです」
「部屋主の彼女とは、いつ頃から交際されていて、浮気はいつ頃から?」
「早苗とは2年くらい付き合ってて、若奈とは春からなんで4か月くらいかな…」
弁護士は、少し考えて
「なるほど。
おそらく寺沢さんは、あなたと別れる方向で考えていると思われます。
一番いいのは、二度と関わらないことを約束して別れ、示談にしてもらうことでしょう」
「示談?」
「今回のケースは、犯罪というよりは浮気による民事的な問題の色が濃いと言えます。
確かに犯罪として成立していますが、被害はごく小さいものですから、示談できれば起訴されないでしょう。
失うものは大きいですが、起訴されたらそんなものではすみません」
「失う……そうだ、無断欠勤になってるはずだ!」
「そうですね、いずれにしても仕事は失うことになるでしょう。
とりあえず休暇の代理申請をしておきますが、今回の件が幹部の耳に入れば、辞めざるを得ない空気になるものと思われます。
もし寺沢さんがあなたの浮気を許し、今後も交際を継続するという意思を示してくれたら、あなたが失うのは浮気相手だけとなりますが……今もって被害取下がない以上、あちらにその気はないでしょう」
「あいつ次第なんですか?」
「いえ、その段階は既に過ぎています。
今の最善は、寺沢さんに慰謝料を支払い、二度と連絡を取らないと約束して示談することでしょう。
それなら応じてもらえる可能性が高いと思います」
「慰謝料!?」
「ええ、恋人がいるのに浮気したんですから、請求される可能性は元々あるんですよ。
今なら、留守宅に勝手に上がり込んだ分の慰謝料と抱き合わせができます。
100万なり払って、一切の債権債務がないと一筆もらえば、後顧の憂いがなくなります」
「100万なんて無理だ」
「なら、いくらまで出せるでしょうか?」
「その…示談しないとダメなのか? あ、ダメなんですか?」
「示談する気がないとすると、最悪起訴される可能性があります。
窃盗の罰金は最高50万円、相場は30万ほどです。
その場合、会社は懲戒免職で、寺沢さんへの慰謝料が残ります。
慰謝料の相場は、100万から300万といったところでしょうか。
クビになると、再就職にも差し支えます。経歴詐称は、バレたら即クビですのでリスクが高い。
依願退職なら、履歴書に『自己都合退職』と書けますよ」
「クビになるのは確定ってことか…ですか?」
「いえ、起訴されなければクビにはならないでしょう。
ただ、いずれにしても最短で10日以上休むことになりますので、居づらい雰囲気にはなるでしょうし、園崎若奈さんですか、浮気相手の方も同じ職場ですよね? 噂になる可能性も高いですし、辞めざるを得ない状況に追い詰められる可能性は高いです。
少なくとも、恋人がいるのに同僚と浮気していたという噂が流れれば、社内の風当たりは厳しくなるでしょう」
そんな……俺の人生、メチャクチャじゃないか…。
「なんで、そんなことに…」
「浮気というのは、リスクが高いものなんですよ。
そのスリルを味わいたいという方も一定数いますが、私のような商売の者からすれば楽観的に過ぎると言わざるを得ませんね。
ともかく、示談できなければ本当に詰んでしまいますから、示談を優先に考えるべきだと思いますよ。
もちろん、あなたの方でどうしてもこうしたいという要望があれば、その方向でやりますが」
「じゃあ…」
「ああ、要望というのは、窃盗の犯意について争うであるとか、無罪を主張するとか、そういう意味です。
勝ち目は薄いですし、無罪を勝ち取っても浮気による慰謝料請求権は残りますので、お勧めはしません」
「じゃあ、結局俺は早苗も仕事も金も失うってことか…」
「ご自分のなさったことの結果ですので、それは仕方ないかと。
ちなみに、100万は無理とのことでしたが、貯金はいくらくらいありますか?」
「…全部で、120万くらい…」
「それなら、100万払えますが…」
「払ったら、貯金が全部なくなっちまう! 車を買い替える資金なんだ!
仕事クビになるなら、なおのこと金は残さないと…」
「なるほど、そのお気持ちはわかりますよ。
ただ、ここで下手に出し渋ると、何もかも失う危険があるということはご理解いただきたいのですが」
要するに、示談しないことには破滅しかないってことらしい。
納得できない。できないが、プロがそう言うならそうなのかもしれないとも思う。
「示談が必要ってことはわかった…わかりました。
なるべく安く示談するってことはできませんか?」
ダメ元で訊くと、
「そうですね。寺沢さんの性格によるところが大きいので、いくらなら、ということはお約束できませんが、そういうご要望ということでしたらなるべく沿うようにはしますよ。
ただ、あまり低い金額では話を持っていくこともできません。
普通なら100万円を提示する事案ですからね。
少なくとも70万円は覚悟してください。
それが嫌なら、示談は難しいかと思います」
70万…貯金の半分以上がパーか。
でも、示談できなきゃ貯金ゼロの上にクビだ、仕方ないか。
「わかりました、よろしくお願いします」
「とりあえず私の方で立て替えて、釈放後に返済していただくということでよろしいですか?」
「わかりました」
「ところで、寺沢さんの連絡先はおわかりになりますか?」
「ああ、それならスマホに…」
「スマホは使わせてもらえませんから。
電話番号、暗記していませんか?」
いや、そんなん覚えてる奴いるのかよ?
「いや、まったく」
「仕方がありません、検察を通して連絡を取りましょう。
多少時間は掛かりますが、なんとかなるでしょう」
3日後、弁護士がやってきて、
「なんとか60万で示談できましたので、明日か明後日には釈放されるでしょう」
と言ってくれた。
よかった、これで自由だ。
翌日、検察庁で、二度と早苗に連絡を取ろうとしないことを約束させられてから、ようやく自由の身になった。
迎えに来た弁護士は、スマホのアドレスとかから早苗を全部消すよう言ってきて、目の前で消させられた。
もし約束を破って電話でもかけようものなら、また逮捕されるとかさんざん脅かされた後、立て替えの60万を払わされて、弁護士ともサヨナラした。
会社の方は、明後日まで休暇になってるらしいが、1日も早く復帰した方がいいだろうから、明日から出られると電話した。
夜になって、若奈から電話があった。
なんでも、スマホの電源入れたら、派遣会社からクビの連絡が入ってたそうだ。
正社員の俺と違って、突然仕事に穴開けたことは許されなかったらしい。
俺のせいだから責任取れって、泣いてやがる。
とりあえずなだめて、明日の夜会うことにした。
翌朝会社に行くと、周り中からジロジロ見られてる気がする。
逮捕されたなんてことは知られてないはずなのに。
なんというか視線が痛い。
始業時間になると、課長に呼ばれた。
商談用の会議室に行くのかと思ったら、総務の来客用の部屋につれてかれた。
ソファに座らされると、目の前には総務部長が座ってる。
こいつは、最悪の事態かもしれない。
「さて、横田くん。
代理人の弁護士先生から話は聞いている。
派遣の園崎若奈さんと浮気をして、恋人と別れ話になったということだが……間違いないかね」
うわ、ストレートだな。「間違いないかね」と言いつつ、もう決めつけてるじゃねえか。
「…はい」
「園崎さんについては、無断欠勤ということで別の人に替えてもらった。
それで、君の処遇についてだが。
君の担当だったところには、既に担当変更を伝えてあるから、もう営業に回る必要はない。
内部的な引継を今週いっぱいでやってもらって、来週からは生産の方に異動してもらうことになる」
「工場…ですか?」
「そうだ。心機一転、頑張ってくれたまえ。
もちろん園崎さんをつれていってもらっても構わんよ」
目の前が真っ暗になった。
地方の工場に行くというのは、うちの会社では島流しと呼ばれる左遷だ。
戻って来れた奴はいない片道切符。
そこに、俺が。
嫌なら辞めろって通告だった。
無職になる踏ん切りが付かなかった俺は、受け入れるしかなかった。
夜、若奈と会うと、結婚してくれと迫られた。
元々俺が早苗と別れたら結婚したいと思っていたそうだ。
俺が今回の件で工場行きになったことを伝えても、「仕事があるんでしょ、だったら食べていけるじゃん」と平然としていた。
何もかも失うよりは、若奈だけでも残ってよかったって思うべきなんだろうか。
俺は、若奈を連れて引っ越すことにした。