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短編

私がヒロイン? 知らんがな

作者: 猫宮蒼



 マリー・ベルランドは男爵家に生まれたごくごく平凡な少女である。

 平凡ではない部分を述べよとなれば、それは恐らく前世の記憶がある事だろうか。

 とはいえそんな事、周囲に言えるようなものでもない。

 前世の記憶がある、というそれは、マリーの心の中だけの秘密だった。


 この国では成人前の数年間貴族の家の子は学園に通う事が義務付けられている、と知った時、何かどっかで見たような……? とは思ったのだ。


 とはいえ、前世ではその手の設定は割とよくあったので、まぁ知ってる感じの話と似た世界があってもおかしくはないなとマリーは自分を納得させたのである。


 入学前に学園ではどういう事をするのか気になって両親に聞いてみたりした結果、いくつかの情報を得る事ができた。両親もかつては学園に通い生徒だった時があったので、当時の思い出話に脱線したけれど、両親の馴れ初めが聞けてマリーとしては突然のコイバナにときめきを摂取できたので良し。


 貴族、と一言で言っても家の資産状況は大きく異なる。

 家庭教師を雇い充分な教育を受けられている家はまだしも、爵位があって歴史があろうとも家計がカツカツ、なんてところは教育が不十分だったりもするらしい。

 それでもどうにか貴族としての体裁を保つくらいはできるだろうけれど、しかし他の国の貴族と関わるような事になった時。


 その不勉強な部分が大きな恥をかく結果になるかもしれない。

 実際過去にそういった事があったらしい。


 故に、学園ではまず爵位でクラスを決め、そこから更にテストを受けた結果の成績でクラスを細分化してきっちり学んでもらうのだとか。


 マリーは男爵家なので、低位貴族クラスなのは間違いない。

 そして低位貴族の中でも更に成績によってAクラスからEクラスのどこかに振り分けられる。


 将来のことを考えたらなるべく上を目指した方がいいんだろうな……とは思ったけれど無理をしすぎて空回ったりしてもダメなので、そこそこのペースで頑張ろ……とゆる~くマリーは思っていた。何せ前世では受験勉強でいい学校へ、と言われて頑張ったものの、入学した後地獄を見たので。試験に合格すればどうにかなる、とかとても甘い考えだった。入学した後、授業内容はどんどん難しくなるのだからスタート地点で苦戦しているようではそりゃ厳しくもなろうというもの。


 しかしそれにしても学園か。

 お友達とかできるだろうか。

 一応知り合いはいるけれど、同じクラスじゃなかったら休み時間に会うくらいだろうし、場合によってはそれも難しいかもしれない。

 折角の機会なので、せめて親しい友人が増えればいいな、とマリーは学園生活にほんのりと希望を抱いていたのである。



 そんなマリーに両親は「あ」と何かを思い出したらしく、一応これだけは頭に入れておいてね、とマリーに忠告してくれた。


「恐らく関わる機会はないと思うのだけれど、一つ上の学年にハンニバル第一王子と、その婚約者であるエレクトラ公爵令嬢、将来的にその側近となられる令息の方々と、後はそうね……マリーと同学年になるけれど、ブラッドベリ第二王子もいる、という事は覚えておいてちょうだいね。

 まぁ、ブラッドベリ王子も高位貴族クラスだからマリーが同じ学園内で出会う事はまずないでしょうけれど……」

「後で私の書斎にある貴族名簿から確認だけはしておきなさい。知らず無礼を働く事はないと思うが、念には念をだ」


「わかりました」


 両親に対してとてもいいお返事をしたマリーは、内心でますますどっかで見たようなやつだな? と思った。



 貴族たちが通う学園。

 王子、その婚約者。そして王子を取り巻く側近たち。

 なんというか、とても既視感がある。


 そう……乙女ゲームとかそれをモチーフにした恋愛系創作とか。


 そして自分は男爵令嬢。

 いや他に男爵令嬢どれだけいると思ってるんだ、と思いつつも、前世のあれこれを思い出してみれば、なんというかこれはまるで……乙女ゲームのヒロインみたいなポジションに自分はいるのではあるまいか? と思えてしまって。


 いや他の男爵令嬢がヒロインの可能性もあるし、子爵令嬢がヒロインの可能性もあるのだけれど。

 自分以外の令嬢がヒロインである可能性はさておき、なんだかそういう世界観っぽくはある。


 いやでもまっさかー、とマリーは内心で笑い飛ばした。


 いくらなんでもコテコテすぎやしないだろうか。

 いかにもな世界に転生してるから、もしかしたらそうなんじゃないか、って理由をつけて心のどこかが安心したがっているだけではないだろうか。


 仮に、もし、万が一。


 本当にここが前世に存在していた乙女ゲームかそれに近しいジャンルの創作物とほぼ同じ世界であったとして。


 マリーはそういった話をある程度嗜んだことはあるけれど、しかしこの世界がどの作品か、なんてズバリ当てるなどできなかった。


 ヒロインがマリー、という少女。

 というだけだと、まず真っ先に思いついたのは乙女ゲームではなくRPGに該当する作品だ。

 魔王を倒すわけでもない、学校の成績のために四苦八苦してその結果でいくつかのエンディングがあるそれなりにやりごたえがあったゲーム。


 けれどもマリーという名前はゲームでは確か愛称ではなかっただろうか。それに、家名がそもそも違うと思う。

 あっちのゲームのマリーは家名があったかどうかもこのマリーにはもう記憶にすらないのだ。


 大体彼女は貴族の生まれでもなかったはずだ。どっか田舎の出身だったはず。



 なので、この先自分が大きな鍋をぐるぐるかき混ぜて道具を作ったりする展開にはならないと思っている。そもそも病弱な幼馴染もいないし。


 なので、パッと思いついたそのゲームとは無関係である事だけは証明できる。


 他にマリーという少女が主人公で恋愛要素が含まれる作品、というのにマリーはとんと心当たりがなかった。

 もしゲームだったとして、マリーがデフォルトネームだったとしても案外乙女ゲームのプレイヤーは自分の好みの名前を付け直したりすることもあるので忘れているだけかもしれない。


 デフォルトネームだと名前をきちんと呼んでくれるタイプのゲームだったら変更しない場合もある。

 名前を変えたらその部分だけ不自然に空白になるか、きみ、あなた、といった呼び方に変わるのもあったとは思う。


 まぁどのみち、あれこれ考えてみたけれどマリーは乙女ゲームの世界だったとして、自分がヒロインだとはこれっぽっちも思っていないし、もし自分が知らない作品のヒロインになっていたとしても。


 原作など知らんのだから原作通りになど動けるか、という話だったのである。


 大体、ゲームだったらまだしもこうして現実と認識している状態で、自分が恐らく攻略対象だろう相手に元気いっぱい擦り寄れるか、と言われてもそれはそれで微妙。

 マリーは優秀だとお世辞にも言えない程度に普通の少女なので。

 学園で恋愛にかまけていたらあっという間に成績が落ちて下手すりゃ落第なんてならんだろうな……という恐怖すらあったのだ。


 成績ごとにクラス分けしてるのにそれでも落ちこぼれるとかどう考えても問題しかない。

 Eクラスは落ちこぼれ生徒の集まりというわけではないらしいけれど、どうしても最下層というイメージが一瞬であったとしてもちらついてしまう。

 実際は家庭教師を雇える程の余裕もなく、また家の手伝いなどをして勉強どころではない本当に名ばかりの貴族が入るクラスらしいのだが。


 マリーは一応さらっと家庭教師に基礎中の基礎、みたいな感じで最低限だが教えてもらっているので、せめてEではなくCかDあたりのクラスに入れたらいいなと思っていた。



 学園に通う事になる貴族たちは皆王都住まいというわけではない。領地で生活していて王都になど余程の事がない限り足を運ぶことがない、という貴族だって当然いる。

 なので毎日自宅から通え、なんていう前世みたいな事は無理な場合も当然あって。


 それ故に、寄宿舎というものが存在していた。


 マリーはギリギリ自宅から通える範囲だったので、寄宿舎生活にはならないが、そちらも成績や家格で部屋割りを決められるそうなのでそれはそれで何というか大変そうだな、とも思っていた。


 もしここが乙女ゲーム系の世界だったらヒロインとか自宅じゃなくてきっと寄宿舎生活だと思うのよな……なんて偏見があったので、やっぱり自分はそういう役割ではないのだろうと思う事にする。

 むしろ無関係であれと思いたいだけだった。


 乙女ゲームに限った話ではないが、どれだけ素敵な作品があったとしても、その世界の中に入り込みたいわけではないのだ。

 妄想でそういう事を思い浮かべる事はあっても、現実において実際にその中に入れ、というのは全力でお断りしたい。


 現実世界で創作物をそういった世界観のもの、として分かった上で楽しむなら問題ないが、いざ自分がその世界に入ったとなればまず法律とか身の安全とか人権とか生活をしていくためのあれこれだとか。

 そういった、現実を見据えないといけないものを考えなければならなくなってしまう。

 ネタとしてそういうのを突き詰めて考えた結果、みたいな話も嫌いではないがやっぱり自分が直接体験したいわけではない。



 よーし、私はモブ! しがない男爵令嬢その6!

 たとえゲームでセリフがあるようなモブだとしても、重要な情報などぽろりするはずがないモブ!



 そう思いながら、マリーはこれからの学園生活に確かに思いを馳せていたのだ。




 入学前にクラスは低位貴族クラスとわかっていたが、ではどこのクラスになるか、というのは事前テストで決められる。

 その結果、マリーは無事にBクラスに入る事ができたのである。

 思ったよりいい感じ! だけど油断してクラス降格、なんてならないようにしなくちゃ……と不安を抱きつつも入学式があるその日、マリーは新生活に胸躍らせつつ学園の門をくぐろうと……したのだが。



 なんというか、思っていた以上に人だかりがあって、いかにも何かありましたよ、という雰囲気がぷんぷんしていて思わず意気揚々としていた足はぴたりと止まった。

 馬車で通学する者もいるけれど、マリーの家はそんな裕福でもないし、一応徒歩で通える範囲内なので徒歩だ。

 けれども学園の入口付近には何故だかマリーと同じく学園に通うことになった生徒たちであろう人がごった返しているのである。


「えっ、何かあったのかな……?」


 門をくぐった先で芸能人がいるとかで、あの辺に人でも集まってるんだろうか。

 いやそもそもこの世界に芸能人って言われるタイプの人いたかな。劇団の役者さんとか人気の人はそういう扱いかもしれないけど、スターと呼ばれても芸能人とは言われないはず。


 と、割とどうでもいい事を考えつつもモブらしく周囲に紛れるようにしてマリーは入口へと近づいた。


 するとなんという事だろう。


 学園の門を通ったその先は勿論校舎がある建物へ続く道があるわけなのだが、その建物は複数に分かれている。その分かれ道と言わんばかりの所は少し広めの場所で、目印かどうかは知らないが噴水が設置されていた。


 その噴水手前に。


 なんだかやけにキラキラしい一同が立っていたのである。



 直接会った事はないけれど、父に言われて確認した貴族名簿と一部の高位貴族の姿絵で見知ったそれは、間違いなく第一王子ハンニバルと公爵令嬢エレクトラ。そして、将来的に彼の側近となるであろう優秀な令息たち……と、第二王子ブラッドベリもそこにいた。


 うわぁ、なんだろアレ……とマリーが思うのも無理はない。


 学園の生徒なら知っていなければならないお相手だ。男爵令嬢であるマリーからすれば雲の上の存在と言ってもいいくらいの、気軽に声をかけてはならない存在。

 一人だけでも恐れ多いのに、複数、というかそこに全員集結したも同然の状態なのだから、そりゃあ他の生徒たちも門のあたりでなんだなんだと様子を窺っているのだろう。

 これから学園の入学式があるというのに。

 だが入学式を行う建物へ行くにしても、あの噴水がある場所は通らなければならない。

 しかしそこには、下手な高位貴族ですら気軽に近づいてはならぬ高貴なお方がずらりと勢ぞろいしている。


 下手に近づいたら何かとんでもない事になるのではないか。

 普通でマトモな貴族の子息、令嬢たちはそう考えて身動きがとれずこうして門のあたりで立ち往生しているという事なのだろう。それくらいはマリーにも理解できる。というかマリーだってそうする。



 このままでは入学式に行けず遅刻してしまうかもしれないが、強引に通り過ぎるには難易度が高すぎる。さてどうしたものかと思いつつ、マリーはほへぇ、と間の抜けた声をあげつつも彼らを見ていたのだが。



「マリー・ベルランド! そこにいるのはわかっている!」


 第一王子ハンニバルが声高に名を呼んだ事で、マリーはくそめんどくさい事になったと思った。

 自分が王族から名を呼ばれるような事はないはずだ。

 直接顔を合わせた事もない。今が初。


「出てこい、貴様には伝えておかなければならない事がある!」


 周囲の誰もが聞き間違えようがないくらいの声量で言われて、マリーはしぶしぶ彼らの前に姿を見せる。とはいえ、それでもそこそこの距離はとっていたが。

 今日は学園の入学式で、新しい生活に胸躍らせる日だったはずなのに何故だか突然衆人の前に引っ立てられた罪人みたいな気持ちになった。

 だがしかし、王族の言葉を無視するのも大問題。私以外に同じ名前の人とかいないかな、とか現実逃避まがいな事を考えるのも仕方のない事だった。

 主にマリーの心を守る的な意味で。


 ずらりと立ち並ぶ一同とマリーは今日が初対面だ。

 名前とお顔は存じておりますが……と言うくらいはあるかもしれないが、神に誓って今日が、というか今が初対面である。何か失礼を働いた覚えは一切ない。

 けれども何故だか男性陣は険しい視線をマリーへ向けて、唯一その場にいる女性、エレクトラはどこか勝ち誇った笑みを浮かべていた。


 傍から見れば立場の弱いものを大勢の前で甚振る光景に見えなくもない。


 あれ、私これからもしかして酷い目にあわされたりするのかしら……? と急に命の危機すら感じ始める。彼らの手に武器があったら確定だろうけど、そうではないのでまだ直接的な暴力がくるとは思いたくなかった。殴る蹴るの暴力フラグはそのままだけど。



 正直行きたくねぇ~~~~! という気持ちでそろりそろりとした足取りで出て行ったので、余計に周囲から見るマリーは一体何をしたのだろうか、と見守られていた。本人も戸惑いたっぷりだったので、何かやらかしたとかそういう心当たりがあるわけじゃなさそうだぞ……と、周囲もじゃあなんで呼び出されてるんだろうかと困惑気味である。


 この場にいるその他の学生たちも、マリーと直接面識がある者は少ないが、それでもベルランドが男爵家だというくらいの情報は頭にある。そして呼び出したのは王族を筆頭に高位貴族の面々。

 どう考えても低位貴族の令嬢と面識があったとは考えにくいし、どこぞの茶会で公爵令嬢の不興を買うといった事もないだろう。何故ってまず二人が一緒の茶会に参加するような状況がないのだ。


 だからこそ、大勢の前でのこの呼び出しはその場で目撃者するしかなかった学生たちからしても謎だったのである。


 けれどもハンニバルを筆頭に一同はそんな視線すら、困惑気味の空気すら気に留めていないようで。


「マリー・ベルランド! 貴様は今後我々に近づくな! もし近づくようなら容赦はしない!」


 堂々たる宣言。

 ハンニバルは言ってやったぜと言わんばかりの顔だし、ブラッドベリや側近たちも当然のような顔をしているし、エレクトラもそれは同じだった。


 近づくな、も何も。


 マリーからすれば今日が、というか今が初対面。


 しかも近づくも何もそっちが待ち伏せしていたも同然である。


 何言ってんだこいつ、という感情が大きいのは言うまでもない。

 けれどもあえてそう言う、という事はつまり……とマリーはどうしてそんな事を言われているのか、理由を考えて。


「えっ、つまり皆さん落第して留年したんですか!? 第二王子もあまりの成績の悪さで低位貴族クラスに!? 揃いも揃って!?」


 納得のいく理由を考えた結果、思わずそう叫んでしまっていた。


 突然の宣言に、周囲でそれらを目撃することを強制された生徒たちは、小声で近くの者たちとなんでこんな事に? みたいに話していたので、少し前まではざわざわしていた。

 だがしかし、マリーのその言葉に。


 まるで天使でも通り過ぎたのかと言わんばかりに静寂が訪れたのである。



「何故そうなる!?」


「えっ? だって、両親からは一学年上の先輩として第一王子殿下や婚約者、側近の方々がいる、とは聞かされておりましたし、同学年に第二王子殿下もいらっしゃる、ので失礼があってはいけないよ、と言われておりましたけれど。

 でも普通に考えたら一学年上の先輩、それも上位貴族クラスと自分とは異なる学舎で学んでいるであろう御方とそう遭遇する事はないでしょうし、第二王子殿下もやっぱり学舎が異なるのでいる事は知っていても直接会って何かあるわけではないでしょう? 私低位貴族クラスなので。

 わざわざ会いに行く用事もありませんし。接点だってありませんでしたよ、今こうして呼び出されるまでは。


 どうして呼び出されたのかはわからないけれど、でもそう言うって事は接する可能性があって、との事なんですよね?

 では、そういう可能性はどうしたら成り立つか。と考えたら、私が上位貴族クラスに編入するなんて事はあり得ませんし、となるとあとは……皆さまの成績があまりに悪くて留年し、挙句低位貴族クラスからやり直せ! と言われて同じクラスになった可能性くらいしか……

 私は低位貴族Bクラスですが、もしかしたらそこでそれなりに上の成績が出たのかもしれないし、留年した方々がその程度で自分と肩を並べられると思っては困るから、あえて事前にそう通達したのかなと思いまして」


「そんなわけないだろう!?」

「では、何故わざわざ本来ならば関わらないだろう一生徒に対してそのような宣言を?」


 怒りのせいか顔を紅潮させていたハンニバルだったが、渾身のきょとん顔をするマリーと、確かにそうだよな、みたいな反応をした周囲に感情のまま怒鳴りつけかけていた口をどうにか閉じる。



 マリーの言う通り、本来ならばまず関わる事のない人なのだ。


 マリーに限った話ではない。

 低位貴族のクラスの生徒全員にそれが言える。

 たとえば、高位貴族のクラスで身近にいるのであれば、何かを勘違いして思い上がって接触するという事をしでかす者が現れてもおかしくはない。

 けれど、低位貴族のクラスの者がそのような勘違いをおこして接触しようとしたところで、そもそも学舎が異なる時点でそちらに入り込むなど土台無理な話なのだ。

 学び舎以外の場所で偶然を装い会って接触しようと試みるにしても、学食とてそれぞれの学舎にあるので、まずもって低位貴族の者が高位貴族たちのランチタイムに紛れ込む事はない。その逆も然りだ。


 では、学園内の敷地。建物の外、つまりはこういった場所で出会った場合に関して、と考えるも、それとて特に親しいわけでもない者が気軽に近づける事などありはしないだろう。


 マリーに限った話ではないがでは何故マリーだけ名指しでそう告げたのか、とは次に浮かぶ疑問である。


 それもマリーの推測から何となく察せられた。


 落第し留年し、低位貴族クラスからやり直せと言われるくらい酷い成績を出してしまった面々は、それでもまぁ低位貴族クラスの上の方にかろうじて引っかかった。

 そしてそのクラスでの成績上位に入る相手を勝手に、それこそ一方的にライバル視したのではないだろうか。

 もしくは、マリーが自分たちより成績が上だからと図に乗るなよと釘を刺したつもりかもしれない。


 普通に考えて有り得ない話ではあるのだが、しかしでは何故わざわざ初対面である彼女を名指しでそう言ったのか、という謎は残ってしまう。けれどマリーが言うような推測であったなら、納得できない事もない。


 もしかしたらマリーに宣言したらその次の相手も同じように前に呼び出されて宣言されていた可能性もある。お前らと同じクラスになったとはいえ、だからといって同じ立場だと思うなよ、と一人一人念入りに宣言する予定だったのかもしれないな、とその場にいた目撃者たちは思わずそう考えてしまった。


 それも、本来ならば有り得ないが、けれどもわざわざ彼らが行動に移った事がまずあり得ないようなもので。

 それに理由をつけるのであれば、そうなのかもしれない、と思えるそれは本来ならば無いはずなのにやけに有り得そうな気がしてきたのだ。


 再びざわざわと周囲が騒めきはじめて、マリーの言葉に信憑性を帯びていき噂として広まっていく。

 そうじゃないなら、王子たちの行動はどう見てもおかしすぎるのだ。


 ハンニバルから見れば一介の男爵令嬢など遭遇する機会はないし、身近にいるような状況も滅多にない。国の催しで貴族であれば参加するような式典だとかがあったとしても、王子の周りにそういった低位貴族が群がるような事はまずもってないのだから、そのような宣言をせずとも関わる事などないはずで。


 それをあえて、わざわざ言ったとなると、ではその男爵令嬢の言葉が途端に信憑性を増すのだ。


 理由もなく初対面の令嬢に絡むなど、これが社交の場で、パートナーもいそうになくて、自分の好みだから是非これを機にお近づきになりたくて……といった感じで声をかけるならあるけれど、それ以外でとなると理由が思いつかないのだ。授業に関するお知らせだとかを連絡しました、ならわかるが、王子の発言は周囲で足止めをくらっていた生徒たちからは何も理解が及ばないものだった。だからこそマリーの発言の説得力が出てしまうわけで。


 人は、理解の及ばないものを本能的に恐れたり遠ざけようとする事はある。けれどそのわけわからんものに理由がつけば、そこで納得や理解できて安心できれば、そういうものとして受け入れてしまう。


 マリーの言葉はまさしくそれだった。


 ざわざわと周囲が騒がしくなったあたりで、ハンニバルが「エレクトラ、これは一体どういう事だ!?」などと婚約者に何やら問い詰めようとしていたが、流石にあまりにも生徒たちが固まって誰も入学式に来る様子がなかった事でいい加減教師も不審に思ったのだろう。


 ここにきてようやく、この場をどうにかできる大人が現れたのである。



 一体何をして、と思うのは当然だ。

 王子や高位貴族が何やらしでかした、というのは察した。

 新入生がそのせいで先に進めず入学式を行う建物へ行けなかったというのもわかってしまった。


 王族や高位貴族といっても、学園内で何やってもいいわけではない。尊ぶべき存在であろうとも、それはそれとして常識的な行動を求められるのである。なのでそぐわない事を仕出かした事は当然やって来た教師に叱られたし、新入生たちは気にせず先に行きなさい。入学式がそろそろ始まるぞ、と言われたので。


 はい、先生!

 と、とても良いお返事をして皆で入学式が行われる建物へと向かったのである。勿論その中にはマリーもいる。


 入学式は恙なく終わったし、その後新入生たちはそれぞれのクラスへと向かったのだけれど。



 まぁ、当然ながらマリーのクラスには第一王子たち先輩である生徒も、第二王子もいなかったのである。



 だからこそ王子のあの発言は尚の事謎を呼んだ。

 原因のわからない不思議な出来事として、マリーと同じクラスになった生徒は当事者であるマリーに本当に王子殿下と知り合ったりはしていないの? なんて聞かれたけれど。

 間違いなく今日が初対面だと念を押した。大体しがない男爵家で、両親だって王城で仕事するような人たちではない。そこから更にもうちょっと下の方。王都で働いているけれど、お城で仕事はしていないので王族と関わる事はないし、故に知り合いの伝手で王族と顔を合わせる事がありました、なんてこともない。


 マリーのあの発言は事実ではなかったようだけれど、では一体なぜ……と周囲は再び疑問に包まれたのである。


 まぁ、それをきっかけにマリーは周囲からたくさん声をかけられて、その流れで数名親しい友人を得る事ができたので、わけのわからない言いがかりをつけられたけれど特に何事もなく済んで良かったなぁと思っている。




 ――良かったなぁ、で済まなかったのは王子たちである。


 学園で謎の騒ぎを起こした事に関して勿論説明を求められたし、やらかしは親へと通達された。

 結果として成人前とはいえ、ほぼ大人扱いをされかけていた年齢になってお父さんやお母さんに叱られるという恥ずかしい思いをすることになったのである。

 まぁその程度で済んで良かったね、とは言えるのかもしれない。


 ちゃんとした成人だったなら、その程度で済まなかったかもしれないのだ。



 この先もマリーが知る事のない真相を明かすとするならば。


 公爵令嬢エレクトラ。

 彼女もまた転生者だった。


 そして彼女は自分が転生した世界の事を前世の知識として知っていた。そう、乙女ゲームである。

 マリーはもしかしてそういう世界に転生してたりしないよねー、まっさかーあっはっはー☆ くらいのノリで内心で笑い飛ばしたりしていたが、エレクトラからすればここは間違いなく前世で自分が何度も遊んだゲームの世界と同じものだったのだ。


 エレクトラは、ヒロインであるマリーを虐める悪役令嬢としての立場だった。

 婚約者である王子を選ばなければまだしも、もしヒロインが王子を選んだなら間違いなく自分の人生は転落確定の悪役令嬢である。

 そんな事はさせない! と思った。

 どうして婚約者である自分が、その婚約者に近づいた下賤な娘を諫めただけでその後の人生転落しなければならないのか。おかしいではないか。

 ヒロインが主役だから、といってしまえばゲームならそれで済むけれど、だがしかしこうしてエレクトラとなってしまった自分はそれを受け入れられるはずがない。


 本当だったらヒロインの存在を抹消してしまいたいくらいだったけれど、だがしかし流石にまだ何もしていないヒロインを処分したとなれば、公爵家の名に傷がつく可能性もあった。適当な罪をでっちあげるにしても、ベルランド家が処刑されなければならないような罪に関われそうなものがなかったのだ。

 政敵相手にやるならともかく、ベルランド家は公爵家から見て政敵と認定するものでもない。立場的には保守派寄りの中立といった感じなので、国にとって不穏な何かを企んでいる、とかそういうでっち上げも不自然になりかねない。


 原作が始まる前にヒロインを始末しよう、という案は結局のところ現実的ではないと早々に悟ったエレクトラは、では、と次に自らが覚えている原作知識でもって、ヒロインよりも先に攻略対象者たちの悩みを解決し、攻略を前倒しで終わらせたのだ。

 ゲームで彼らが何に悩んでいたかを知っている。だからその心の傷に寄り添うように、時として力強く鼓舞し、彼らの悩みを解決し、その上で婚約者として王子との仲もしっかりと深めた結果、他の攻略対象たちは将来この二人が国を導くなら自分たちはそれを支えよう、となって強い絆で結ばれる事となったのである。


 そう、ヒロインが誰を攻略しようとするかはわからないけれど、でも事前に全員こっち側につけてしまえばいい。

 学園に入学してそこから誰かに言い寄ったところで完全に手遅れ。

 もう貴方の付け入る隙なんてございませんわ、という方法に出たのだ。


 王子たちにとっては、自分たちの抱えていた心の闇を払拭してくれた素晴らしい女性、それがヒロインではなく悪役令嬢にスライドしただけだ。

 これで自分の人生も安泰だと信じて疑わなかった。

 エレクトラは婚約者である王子に対してどこまでも一途であったし、その他の攻略対象者の婚約者との仲も拗れないよう上手く立ち回った。


 付け入る隙はこれでないはず、と思っていた。


 けれども、あまりにも心の中を読んだようなエレクトラの言動は、王子たちからすれば不思議に思えるもので。

 どうしてそんなに自分の事をわかってくれているんだろう、という疑問をぶつけた事もある。


 ここで適当に察する能力が高いのだと思わせても良かったが、そうなると問題は原作が終了した後にやってくる。

 原作知識を用いて彼らの悩みを取り除いたに過ぎないので、それが終わった後、彼らに新たなお悩みができたとしても、エレクトラにはそれを完璧に理解する事はできない。


 原作期間中は優秀な女性だったのに、原作が終わった途端今までのバフが消えて本来の状態に戻りましたよ、という風になってしまえば。

 プラスだったのがゼロになっただけでも、落差によってはそれがマイナスになったと思われるかもしれない。

 前までは優秀だったのに……なんて陰で嘆かれるような事になったら、エレクトラも流石に耐えられそうにない。



 だからこそ、彼女は実は夢で見たのです、という風に誤魔化したのだ。

 実際原作で起きた事件に関しては夢でみたのだ、と言って既にいくつか解決済みだった。

 だからこそエレクトラは予知夢を見ているのではないか、と一部で思われるようになっていた。


 夢ならば、自分の意思で自由自在に見ようと思っても中々みられるものではないので、いくらでも誤魔化せる。

 それによって救われた者も実際にいるのは確かだ。

 それに夢ならば。


 最近は夢を見る頻度が少なくなってきているの。

 もしかしたらもうじき全部、悪いことが解決するのかもしれないし、単純にこの能力に終わりが近づいているのかもしれないわ……

 なんて言えば。


 目に見えるわかりやすい能力と違って、夢なのだから流石にそれについてはどうにかしようとしたところでどうなるものでもない。

 どうにかできる方法があるものならとっくにしている。


 その能力に助けられてきた者からすると惜しむべきものではであった。

 一度ならず何度か助けられてきたのだ。

 それがなくなる、となれば、簡単に手放せるかと問われると……まぁ未練は残るだろう。

 人生の先などわからないのが当たり前だけれど、それでもその力で助けられた以上、もしまた何かあった時の事を考えたなら失われるのは惜しいと感じる。


 だがどうなるものでもないので、これからは皆で協力して頑張っていこう、と王子たちは結束を新たに誓い合ったのだ。



 ここで済めば、いい話だったなー、で終わるのだが。


 エレクトラが恐れていたのはヒロインである。

 そして、あまりにも原作通りに彼らを攻略できてしまったので、万が一の原作の強制力や修正力といった未知なる力を恐れた。

 だからこそ、原作の最初、ヒロインであるマリーが攻略対象者たちと出会うそのシーンが台無しになれば、ヒロインに自分の立場が脅かされる事はない、と思ったのだ。


 故にエレクトラは本当かどうかはわからないのだけれど……ととてもしおらしく王子たちに訴えたのだ。


 マリーという女と学園で出会う事で、彼らが彼女に心を奪われるかもしれない未来が見えたのだと。

 もしそうなれば、自分と王子の婚約は最悪破棄されてしまうかもしれない。それに、マリーが王子以外の彼らのうちの誰かと恋に落ちたとしても、そうなればやはり婚約解消、相手の令嬢があまりにも不憫だと。

 さめざめと、これがただの悪夢なら良いのですが……と訴えてみせたのである。


 今までも夢でみたというあれこれが自分たちにとって救いになった彼らは、勿論エレクトラの言葉を信じた。

 これが最初のお告げであったなら、ただの夢だろう、と一蹴したかもしれないが既に実績を積んでいるのだ。何度も助けられた以上、ただの夢とはとてもじゃないが言い難かった。


 もし今回の夢も現実に起きてしまったら、エレクトラを捨てそのマリーという女と結婚をする事になるかもしれない、となった王子は露骨に嫌悪感を見せた。

 マリーという女とはまだ言葉を交わした事もなければ、顔だって見た事がない。

 けれども、最愛のエレクトラとの関係を破局させる可能性を持つ相手、というだけでハンニバルは嫌悪を抱いたのである。


 とはいえ、まだ現実に起きていない出来事を罪として裁くわけにもいかない。

 エレクトラの能力は極一部しか知らないのだから。具体的に言うなれば、王子含む攻略対象者だけ。エレクトラは身内にもその話をしたりはしなかった。政治的に何か利用できないか、とか思われても面倒だったというのもある。原作知識しか知らないエレクトラに、そんな有効活用など到底できるはずもない。下手に期待だけされて、その後でガッカリされるのは回避したかった。だからこそ、攻略対象者たちだけに明かしたのだ。



 もし単身でそのマリーと出会った事で、何らかの力が働いて彼女に魅了されるような事があったら、と考えた結果、マリーと関わる可能性が高い相手一同で最初にマリーに牽制をかけておこうという流れになった。それがあの入学式前の騒ぎである。


 マリーという娘が特殊な力を持っているかは定かではないが、エレクトラの夢による予知、というものがある以上、無いとも言い切れない。

 単身で会って話をするよりは、全員そろっていた方が何かあった時に対処もできるだろうと思ったからこそ、ハンニバルは関係者を集めたのだ。



 結果、大勢の前で恥をかく事となってしまったのだが。


 まさかそんな返しがやってくるとは思ってもいなかった。


 確かにマリーという少女は今年入学する新入生だ。

 普通に考えて低位貴族のクラスに在籍する少女とハンニバルたちが出会う事はないはずなのに。

 エレクトラの言葉を信じ、そのあたりをすっ飛ばして我々に関わるな! と宣言した結果、それはこの後関わる事になりますよ、という意味だと受け取られたとは思いもしなかったのだ。


 まさか留年して低位貴族クラスに落とされた、という風に考えられるとはハンニバル自身夢にも思わなかった。けれども確かに普通に学生として過ごすなら、高位貴族クラスの生徒と低位クラスの生徒が関わる事などそう滅多にない。


 不安に駆られるエレクトラを安心させたいという思いは少なからずあった。

 今まで、自分たちの心を支えてくれた大切な女性だ。

 だからこそ、ああいう風に本人に対してこちらは関わるつもりなどないと宣言すれば、少しでも安心できるのではないか、と思ったのも確かだ。


 普通に学生として過ごすのならば、出会うはずもない少女とわざわざ接点を作りにいくなど、する必要などなかったのに。



 不名誉極まりない噂が流れ、更には教師から親に連絡がいく始末。


 弟と一緒に両親に叱られるなんて、ハンニバルの人生で初めての事だった。何も嬉しくない初めてである。


 一同がそろって、というところで、関係者が全員城の一室に呼び集められて事情を確認された結果、そりゃもう盛大に叱られたのだ。


 貴族にとって噂話なんてそれこそ真偽問わず様々なものが日々流れているけれど。

 今回のこの話は盛大に広まるだろう。

 何せ目撃者が多すぎる。あの場にいた全員に口止めをしようとしてもあの場にいた全員を把握しているか、と問われればしていない。あの時はひたすらマリー・ベルランドにのみ意識を向けていたのだから。

 他の者たちは、ハンニバルにとってただの観衆程度にしか思っていなかった。いや、むしろそこらにある石ころくらいにしか思っていなかったと言われても否定できない。



 いずれ、ハンニバルは王位を継ぐ事となっていた。エレクトラはその妃として。

 そして他の令息たちは側近として。ブラッドベリは他国へ婿に出るか、はたまた国内で臣下となり兄を支えていくかのどちらかだった。ハンニバルに何事もなければ、という前提があるけれど。



 だがしかし。


 一介の男爵令嬢に大勢で絡みに行った結果、本来なら関わる事のなかった令嬢からあのように言われるような事をしでかしたのである。あの男爵令嬢もある意味で失礼な事を言っているのだが、しかし普通にしていたら関わるはずのない相手にそう言われて、関わる可能性をあの場で必死になって考えた結果あの結論だったのだろう、というのはわからないでもない。

 あんな事を言われる前から王子たちに近づく気満々でした、というような前兆もないのだ。

 もし、そういった考えがあったとして、その上でその目論みはバレている、と釘を刺すつもりであったなら効果的だったかもしれないが、あの男爵令嬢にはそんなつもりはこれっぽっちもないようだった。


 実際数日様子を見たが、高位貴族にむやみやたらと近づこうというような事は一切なかった。



 だからこそ余計にハンニバルたちの行いは国王たちから見れば不可思議極まりなかったのである。




 何故そのような事になったのか、という点で、エレクトラが夢に見たから、としぶしぶといった形で答えたのはハンニバルだ。

 そこで終われば、エレクトラが元凶かとなりそうだが、すべての罪を彼女に押し付けるつもりがなかった王子や令息たちは口々にエレクトラを庇い始めた。


 曰く、彼女によって自分たちは救われたのだと。


 実際幼い頃に受けた心の傷を最近になって何やら乗り越えたらしい、というのを感じ取った令息の親もいた。決して他人に明かすつもりのなかった事情をこの場であえて説明した令息もいた。

 エレクトラは夢で見た事で、自分たちの助けになればと尽力してくれたのだと必死に言い募った。


 ハンニバルだけではなく、ブラッドベリもエレクトラが見た夢によって助けられたことがあるのだと言う。


 一度だけなら偶然を疑うだろうけれど、こうも複数の証言があれば流石に偶然と片付けるには不自然で。

 エレクトラの父もまた本当かと娘に問いかけ、エレクトラは躊躇いつつも頷いた。


 ですが、その夢といっても毎回自由にみられるわけではないから。

 最近はあまりみなくなっていたから。

 だからきっと力が薄れてきたのではないかと……


 言葉を濁しつつ、だからもうその力を証明してみせろ、と言われても無理なのだと暗に告げれば。



 周囲の大人たちはほとんど同じタイミングでそれぞれに視線を交わしあっていた。


 今から噂の火消しに走ったところで無駄だろう。

 生徒の親から社交界へ。

 当日に呼び出して何故このようなことを、と聞けたならもう少し別の対応もできたかもしれないが、学園から連絡がいって、当事者を集めての事情確認をするまでに実に二日経過している。

 その二日。

 たった二日で噂はもう社交界全体に広まっていると言ってもいい。


 実際ハンニバルたちは留年なんてしていないし、ブラッドベリだって高位貴族のAクラスに在籍している。決して出来が悪いわけではない。


 けれど。


 一度ついた瑕疵はそう簡単に消える事はない。

 自国内だけで広まって消える噂で済めばいいが、下手をすれば他国に流れているだろう。

 それでも優秀さを見せつければそれがただの噂であると理解されるとは思うが、ではどうしてそのような噂が流れる事になったのか、とたとえば同盟国の王子や王女に聞かれた場合を考えると。

 そしてその原因を話したとして、では何故そのような愚行に出たのかと聞かれるのは間違いないのだ。



「……次の王は第三王子セイルロッドとする」


 第三王子はまだまだ幼いが、しかし第一王子、第二王子ともにどうしようもない醜聞がついた以上は仕方がない。教育に関しては今から始めれば問題はない。もう少ししたら王の座を譲って引退を考えていたけれど、その期間が延びた事以外で問題らしい事はなにもない。


 国王の決断に、その場に居合わせた貴族たちは何も言えなかった。反対などできるはずがない。


 その決定にハンニバルとブラッドベリが驚いたように目を見開いていたが、何故とみっともなく喚く真似をしなかったのはマシだろう。


 一度であろうと、彼らが低位貴族並みにしかできない、という不本意極まりない噂が流れてしまった以上、今後それはついて回る。彼らの足を引っ張ろうとする勢力からすればいい感じに突ける部分だ。幼い頃の微笑ましい失敗であればまだしも、成人間近でのやらかしはそう簡単に噂であろうと消えてはくれない。


 あの場にいて一部始終を見ていた者は勘違いをしようもないが、しかしあの場にいないで噂だけ聞いていた者はその話を曲解して受け取ったりもするだろう。

 将来、令息たちとそんな者たちが同じ仕事場で働くことになった時、低位貴族レベルだって話だったのに何故ここで働けるんだ、だとかの言いがかりをつけられるだけで済めばいいが、裏で何か不正をしているだとかの噂にまでなれば、次はそれを隠れ蓑に彼らに罪を着せようと動く者が出てくるかもしれない。


 彼らだけが馬鹿にされて終わるくらいなら可愛らしいものだ。実害はないと言える。

 けれど、そんな彼らが裏で何か犯罪をしているに違いない、と決めつけ、ついでに自分たちの罪もかぶせてしまえ、となる者が現れたりすれば、国が内部から荒れる可能性が充分にあるのだ。


 令息たちだけなら、側近候補を総入れ替えすればいいが、その中に王子が二人もいるのが大問題だった。


 国を運営する以上綺麗ごとだけでやっていけないのは仕方のない話で、多少なりとも後ろ暗い事だってある。けれども、そこを必要以上につつかれるのも、そうして他の所で何か別の問題を起こされるのも、無いに越した事はないのだ。


 であれば、醜聞を自ら作ってしまった王子を王になどしない方がいい。

 幸い第三王子というまだ何もしでかしていない王位継承権を持つ者がいるのだ。それならば彼を次の王に、とした方が余程手っ取り早いし確実である。



 令息たちも自分たちの立場が思い切り揺らいでいる事実を把握してはいるものの、しかしどうにかできるような手段は現状存在していなかった。

 夢の内容を鵜呑みにして空回っただけ、と言えばそれまでだが、そのそれだけが問題なのだ。


 貴族としての籍を剥奪するまでの事ではないけれど、家の跡取りだとか、将来的に就けるはずだったポストから遠ざけられるのはこの時点で決定されてしまった。

 華々しく国の中枢に関わるはずだった彼らは、それとは真逆の目立たない、密やかな場所での仕事しか割り当てられなくなるだろう。将来有望だと思っていただけに、正直損失は大きく感じられる。



 納得がいかないようだったのは、エレクトラだけだった。


 何故、と食い下がろうとしたものの父親の冷ややかな眼差しにたじろぐ。


「夢という不確かなものを愚かにも信じ切った結果がこれだ。勿論その夢に助けられた者がいた、というのも否定はしない。

 だが、仮に王妃となった後で、国の危機に陥るかもしれない夢をみたとして。

 そうなれば勿論その夢で見た内容を防ごうと対策を練るだろう。

 だがそれが、今回と同じように間違いだった場合お前はどうするつもりだ?」


「どう、って……」


 父の問いに、エレクトラはすぐに答える事ができなかった。

 原作にあった内容なら答えられただろう。だが、王妃となった未来の話、不確定要素しかないあやふやなもの。具体的な危機を口に出してくれれば、それに対する対処法を答えられたかもしれないが、あくまでも国の危機としか言われていないので答えようがない。


「……すぐには答えられんか。話にならん。

 仮に、災害が国を襲う、というのであれば災害対策を打ち立てるだけで済むだろう。結果その夢が外れであったとしても、災害はいつか起きる可能性がある。故に、そこまで無駄にはならない。

 だが――たとえばこれが、他国からの貴賓を招いた時、その貴賓が何らかの事件を起こす、といった内容だったらどうだ。

 そのような夢を見た以上、何らかの警戒をするだろう。何も起こらないように注意を払い、何かあった時のための対策として人員を配置するだろう。

 それが、間違いであった場合、どうするつもりだ?」


「それは……お詫びを」

「話にならない。根拠もなく夢で見たからという理由で一方的に警戒し疑いの目を向けるような事をしておいて、何もなかったから気のせいでしたごめんなさい、で済むわけがないだろう。

 相手に気付かれないよう対応できればいいが、招待した貴賓を歓迎するのと警戒するのとでは配備する人員とて異なってくる。そういったものは余程上手くやらないと雰囲気に出る。

 相手がそういった事に鈍感であればいいが、敏感だった場合そのちょっとした空気はあっさりと見抜かれるのだぞ。


 相手が寛容に許してくれる、などと甘い考えは捨てるべきだ。場合によってはそれが原因で戦争に発展する事もあるのだぞ」


 戦争なんて大袈裟な、と言いかけたエレクトラだったが、周囲の大人たちの目が、表情が、決して大袈裟な事ではないのだと言わんばかりで。エレクトラは思わず委縮してしまった。


 原作にある展開なら知っているのだから、堂々と対応できただろう。

 けれど今のこの状況は、エレクトラにとってあるはずのない状況だった。

 それ故に、どうするのが最適解なのかがわからない。


「仮になぜこのような事を、と問われた時正当性のある理由を即座に言えるか? まさか夢で見たなどと馬鹿正直に答えるわけではなかろう?

 そんな事を言えば頭のおかしい気狂い扱いをされても仕方がない」

「気狂いだなんてそんな」


 前世で知っている、というよりは余程マシな理由だと思っていただけに、そう吐き捨てられてエレクトラは思わずむっとした表情を浮かべてしまった。


「実際その根拠のない夢のせいで今こうなっているのだろうが!

 あの男爵令嬢が何をした? 何もしていない。ましてや高位貴族とどうにかして近づこうなどと考えているようでもない。家を調べたが、ベルランド家は貴族としては腹芸も得意ではない家だ。何かを企むにしたってもし本当にそうであったならすぐさま気付けただろうよ。

 これがラツメルト子爵家やフォンディエ伯爵家だと言われたなら、まだ一考する余地はあった。噂でしかないが、黒い噂の絶えない家だからな。

 だがお前が警戒したのは、警戒する事すら無意味だったベルランド家だ。


 今回の夢でそれだ。もし他国からの貴賓相手にやらかしていたならどうなっていたか、それがどれだけの事かも理解できないお前には、王妃の資格などないだろうよ。

 ……陛下、この度は誠に申し訳ない。まさか娘がこのような……

 夢の内容ごときに踊らされて、もし王妃になってからもそうなれば国が一大事を迎えていたかもしれないと考えると……」


「よい。今回は一部の者の醜聞だけで済んだ話だ。まぁ、その醜聞で未来が変わった者がいるのは確かだが」


「えぇ、今後も夢だのといったものに踊らされて世間を騒がせられても困りますので、娘は修道院に入れる事にします。北の、プルガリオル修道院へ」

「そっ、ちょっと、お父様!?」


 目を白黒させてエレクトラは叫んだ。

 その修道院は、国内で最も厳しいと有名なところだからだ。


 自分はただ、原作知識でもって破滅の未来を回避したいだけだったのに。

 原作で悪役令嬢として最後に断罪された時、確かに修道院に送られるというエンディングもあったけれど。

 だが東にあるというそこまで戒律の厳しい修道院ではなかったはずだ。だというのに、そこですらないもっと最悪な場所。このままでは原作以上に最悪な事になりかねない……!


 どうにかこの展開を回避しようと考える。

 一人でどうにもできそうにないのなら、せめて婚約者であるハンニバルなら、口添えをしてもらえばもしかしたら……焦る頭で考えてハンニバルへ視線を向けるが。


「ハンニバル、そなたの婚約は今をもって白紙となる。ブラッドベリ、お前に婚約者はいないけれど、流石にこのまま国内に二人を留めておくわけにもいかぬ。

 少しばかり遠いが、友好国へ婿としてそれぞれ――」


 国王の言葉に、エレクトラは信じられないような顔をして国王を見るも、冗談で言っているわけもない。どうにかしようと思ったところで、次々にハンニバルたちの処遇が決められていく。

 エレクトラは目の前が真っ暗になったような感覚に陥って、国王の言葉を最後まで聞けていなかった。






 ――かくして、悪役令嬢は舞台から消える事となったのである。



「え、王子様たち学園やめて早々に他国へ婿に行く事になったの? 側近候補だった人たちも? ふぅん?

 あれ、それじゃ王子様の婚約者だったあの、エレクトラ? 様だっけ? あの人は? へぇ、彼らの無事をお祈りする形で修道院に? うーん、何か偉い人の考える事ってわからないけど、元気でやっていけるといいね」


 後日友人から聞かされた噂で、自分に絡んできた先輩方と同学年の王子様の顛末を聞かされたマリーであったけれど。


 そもそも自分とは縁のない人間である。

 なので、まぁ。


 そんなの聞かされたところで完全に他人事であった。

 人生が破滅する切っ掛けってちっぽけな事だったりするよね(´・ω・`)

 とりあえずヒロインに絡みにいかなきゃハッピーエンドだったよっていうのだけは述べておきます。


 次回短編予告

 魔女の話。失恋要素ありだがしかし恋愛ジャンルと言い切れないやつ。

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