73 オムライスの子。
ネネと出掛けている時だった。
もっと言うと、俺の血反吐を分けた後、だった。
『私は、こんなに大変なのに。何で、どうしてアナタは幸せそうなの』
女に手を挙げた事は無いし、コレから先もそんなつもりは全く無かったが。
刃物を持っていた女を、殴った。
「ちょっ、大丈夫ですか」
《それ、どっちに言ってるんだ》
「刃物に立ち向かった方です、怪我は」
《何も無い、だが手加減が分からなかった、診て貰った方が良いと思う》
『“申し訳御座いませんでした、どうか全てお任せを”』
「あ、あぁ、全て任せてくれて構わない。だそうですが」
《なら任せる、全て》
「“全て任せる、だそうです、私もお任せします”」
『“ありがとうございます”』
ネネの方はマシだったが。
ヒナが本当に大変だった。
『殺します』
《ダメだ、俺もネネも望んで無い》
『でも殺そうとするなら殺されて当然です』
《でも、ダメだ》
『何故ですか』
何故、どうしてかは直ぐに分かった。
悪魔シトリーが、俺とネネに思考を理解させた。
《アレも子供の頃に大変だったんだ、そうやって捻じ曲がった、半ば捻じ曲げられた被害者なんだ》
『私は、殺そうとしません』
《お前は良い子だからだ、根っこが良い子で、ネネも良い根っこだから悪さをしなかった》
『アナタも根は悪くないです、悪い部分は有りません』
《けど、傷付けた》
『でも私は嫌です、傷付けられるのは嫌です』
《アレの見た目は大人だったが、中身は子供だ、大人と子供の辛さは違う》
大人と子供の傷は違う。
大人は逃げられる。
逃げ道が多く有る。
酒、仕事、恋人や友人。
同僚、昔の同級生、恩師。
でも子供の逃げ場は少ない、逃げ道は殆ど無い。
殴られるか刺すか。
逃げ道はそれしか無かった。
それしか知らなかった。
『だとしても、ココには他に道が』
《ヒナは半分は大人だ、でもアレは見た目が大人なだけ、道が有っても見えないんだ》
『何故ですか』
《首も目も動かせない、1つ考えるとその事ばかり、そうなってしまうんだ》
『なら悪魔は、何故』
《ヒナは向こうの外を知らないだろ、だからだと思う。外には楽しい事も有る、でも嫌に思う事も有る、それが向こうの外なんだよ。自由で、不自由で、楽しくて危ない》
『だからお母さんは私を守ってたと言いたいんですか』
《いや、言わない、俺はそうは思わない》
『じゃあ、何故なんですか』
《どう想定してる》
『関わりたく無かった、嫌だったんだと、思います』
《俺もそう思う、それには理由が有るかも知れないし、無いかも知れないとも思う》
『だから』
《でだ、俺もネネも、ジュリアもロミオも。ヒナには、簡単な理由で誰かを殺して欲しくないと思ってる》
『簡単ですか』
《俺達は怪我して無いし、傷付いてもいない》
『でもネネさんは』
《それは俺が保証する、殆ど見えてなかった、音で驚いただけだらしい。魔獣にも尋ねた、恐怖より驚きだったそうだ》
『何で、ネネさんを帰したんですか』
《お前がこうなると思ったからだよ、凄く怒ってるだろ》
『はい』
《俺やネネが凄く怒ってる所を見せたか》
『いいえ』
《本当に怒って殺そうとしたら、ネネは悲しむんじゃないか》
『じゃあ、何なら殺して良いんですか』
《そりゃ大概の知り合いが同意した場合だな、ネネが酷い目に遭って、八つ裂きにされたら殺しても構わない。でも今回は、誰も傷付いて無い、しかも良い大人だから幾らでも解消出来る術が有る》
『何もせず、許せって言いますか』
《いや、ただ殺すのは無しだ。辛い思いをさせたいなら生かせ、俺と同じ様に、分からせる案を出せ》
ココの刑罰は見合う内容なら、被害者、被害者遺族の意向が尊重される。
それが無ければ、今までの判例通りとなる。
『大事なモノを、失う恐怖を味わって欲しいです』
《そうだな、もうしない様に、な》
『アナタなら、どうしますか』
《恋人が出来た頃、全く同じ状態にさせて、別れさせる》
ヒナには大きな怒りが有る。
だからこそ、過激な事を言う。
怒りの大きさはまだ分からないが。
きっと、両親を殺せるだろう。
『分かりました、任せます』
《おう、任された》
ネネ様の考えは正しかった。
「ありがとうございます、確かにアナタが居なければ、ネネ様が怒りを処理する事になっていたでしょう」
《少しは、認めてくれたか》
「はい」
《はぁ、正直、俺が歪めたのかも知れないと思ってる》
「確かに変化は有りますが」
《いや、もしも、もしも被害者遺族なら。ヒナの歪みは、怒りは、俺のせいだ》
歪み。
「僕の叔父は、あの虹の国のエルフです」
《お前、それは》
「ヒナ様には言っていません、言うつもりも有りません」
《まぁ、あの勢いなら、蘇生してまで殺しそうだが》
「穢れて欲しくない、誰かを異様に恨んだり、殺して欲しくは無いんです」
《愚問だろうが、何故だ》
「自己嫌悪です、自己嫌悪は死を招きます」
《あぁ、悪かった、本当に》
「いえ、僕には有りませんから」
《けど、有ったんだろ、叔父さんには》
「はい、繋がった時だけしか知りませんが、はい」
《でも、生きては、もう死んでるのか?》
「いえ、訃報は無いので、まだ生きているかと」
《はぁ、本当に、俺からも謝罪を》
「もしも、もしも目の前に現れたら、どうしてくれますか」
《アレか、アレは、何度も上げて落とすのが効果的だろうな》
「詳しくお願い出来ますか」
《言い寄られては、思い切りフラれる。各国を転々とさせながら、全世界の男から否定させ、醜い男にだけ言い寄られ周囲からも大々的に祝福される》
「それが何故、効くのでしょうか」
《自尊心が高いなら、砕く、けどアレはかなり堅そうだから削り取る。で戦意を喪失したらまたアレの好みの男を差し向け縋らせ、散々に謗らせ、また暫くは醜い男にだけ構われる》
「不規則に、ですか」
《そうそう、但し如何に間違っているかが分かる様にさせる、答えが無い問題を解かせるのは拷問だ。けど俺達は善意から指導する、正しい答えはコレだ、とちゃんと分かる様にな》
「教育的、指導」
《そうそう、万が一にも後悔してくれたら、民も少しは溜飲が下がるんじゃないか》
「汚い事を綺麗に仰る、本当に天才的な詐欺師ですね」
《ヒナの怒りを綺麗な方向へ向けたい、それは俺やネネも同じだ、ドロドロに煮詰まるよりずっと良い》
正しく憎む事は悪では無い。
そう分かっていても僕の中に幾ばくか残っていた汚い塊が。
ほんの少しだけ、綺麗なモノになった気がしました。
「はい、僕もそう思います」
半熟オムライスの子は、妬みから凶行へ至ろうとした。
では何故、そこへ至ったのか。
《良かった、無事だねネネ》
「はい、驚きだけです、本当に」
《そう、何故かは疑問じゃないんだね》
「はい、非常に、生き辛さの有る子だっただけです」
《けれど、生き辛いからと言って、犯罪を犯す子は多くない筈》
「親の教育が無かったから、厳しく躾けられたから、放置されていたから。それは要因であって原因では無い、様々な要因が、そうなる以外に無かった場合のみ許される言い訳だと思います」
片親でも立派な者も居る。
貧困層だったとしても立派な者は居る。
たった1つ、ソレだけが原因だった犯罪が、本当に有るんだろうか。
《そうだね、それで、彼女の言い分は?》
「頭に血が上って、八つ当たりをした、羨ましさと苦しさで傷付ける他に思い付かなかった」
《納得した?》
「はい、彼女の思考を、体験しましたから」
思考が視野狭窄となり、幾つかの考えしか浮かばなかった。
羨ましい、苦しい、憎い。
私は頑張ってるのに出来無い、何も無いのに、どうしてアナタは持ってるの。
私の欲しい物、全部、どうして持ってるの。
羨ましい、辛い、壊したい。
《奪う気は無かったんだね》
「はい。なので彼女には、記憶を消した後、一律で穏やかな場所に行って貰う予定です」
服の色は赤と青と白だけ。
平日はパンとスープを食べ、土曜日には鳥を焼き、日曜日には残り物とワインを飲む。
誰もが平等で、外部の者は決して立ち入れない、1つの像だけを崇める村。
誰も出ようとはしない、永遠に閉じた村。
《今日も上手ね》
『ありがとうございます』
私は異世界に来て、とっても幸せです。
皆が優しく教えてくれて、皆が褒めてくれて、とっても幸せです。
でも、村の外には悪魔が居ます。
私達を暴れさせる悪魔が。
だから誰も外に出ようとはしません。
でも幸せです。
出なければ、ずっと幸せに暮らせる村、ですから。




