71 褒めると口説く。
非常に、プロでした。
社交辞令としての褒める、本気で口説く、勘違いさせる為の口説きと褒め。
この3つを見事に演じ分け、気を付けるべき男の注意点を上げ、無事にカウンセリングを終えました。
「本当にプロですね、色んな意味で」
《実に複雑な感想をどうも》
『褒めているだけ、口説いている、は分かりましたが。恋や愛は良く分かりませんでした』
「やっぱり、時期かと」
『初潮を迎えないと分からないかも知れませんか』
《まぁ、それか、恋愛に興味が向く程の安定感が無いからか。だな、アンタなら分かるだろ》
「はい、正直、そうでした」
『何でも分かりますね』
《何でもじゃないけどな。ヒナ、想定は幾つか出来てるか》
『はい、でも怖いです、動物園で泣いたみたいに泣くのは嫌です』
同意します。
もう、アレは色々と混ざって高ぶった様な状態でしたから。
《それはどっちだろうな、泣くのが怖いのか、悲しいのが怖いのか》
『両方です、台風みたいでした、中もぐちゃぐちゃで水浸しでした』
分かります、ほぼ同じでした。
《言葉が溢れたか、それとも気持ちが溢れたか》
『気持ちでした』
《ならまだだな、恋愛以外で言葉に出来無い気持ちが多いなら、まだ準備が出来て無い》
あぁ、そこは大丈夫ですね。
悲しい、悔しい、そうした言葉で溢れてましたから。
『捨てられた時は準備が出来てましたか』
《いや、かも知れないとは少しだけ思ってたが、本当にほんの少しで。空っぽになった、まさかと当然がせめぎ合って、考える事が勝手に止まる時も有るが。敢えて、自分で止めた、気を紛らわせる為に》
分かります。
『ずっと空っぽでしたか』
《いや、不意に思い出して泣いたり、どうして分かってくれないんだって怒ったり。心配になったり、またボーっとしたり、だな》
分かります。
まるで熱が出ている時みたいに、思考出来無い、纏まらない時も有る。
『死にたくなりましたか』
《勿論、もうどうしようも無い失敗をしてしまったと思って、何度も包丁を手にした。けど弟は悲しむ、後悔するかも知れない、そう思って何も出来無かった》
『だから準備をしておけと言いますか』
《そうだな、台風に耐えられる様に、水浸しになっても直ぐに水が出せる様になってからが理想だが。知りたい、対処したいんだろ》
『はい、どうにかしたいです』
《けど時期が早い、なら気を逸らす必要が有る。アンタならどうしてた》
「全く無関係なゲームの実況を繰り返し流してました、そしてテトリスをして、食べて寝て起きてを繰り返してました」
『あぁ、なら俺達がゲームをしてるのを見るのはどうだ、ヒナは見てるだけ』
『それは、楽しいんでしょうか』
《した事が無いから分からないが、試してみて良かったなら、ジュリア達にも頼めるぞ》
『じゃあ試してみます』
「それで、何をするんですか」
《ごっこ遊びだ》
この流れで、まさか仲の悪い夫婦を演じるとは思いませんでしたが。
ごっこ遊び、シミュレーションは教育には良いそうですし、してみましょか。
「お帰りなさい」
《あぁ》
こんな険悪なごっこ遊び。
初めてなんですが。
「はい、どうぞ」
《あぁ》
本当にコレされたら、秒で離婚しか無いと思うんですが。
「あの、休憩で、どうしてコレで離婚しないんでしょうか」
《お互いに離婚すると生活が苦しくなる、大嫌いでも無いが、好きでも無い》
「原因は、何でしょう」
《お互いに無理して合わせてたが、お互いに疲れた。この前にはそこそこ喧嘩もしたが、もう決定的に合わないと悟り、同居人として過ごす事になった》
「細かい、お客さんですか」
《まぁな、続けるぞ》
「あ、はい」
本当にごっこ遊びに戻り、食べるフリをして。
《もう寝るわ》
「そう」
コレで、ヒナちゃんは何を学べるんでしょうか。
《ヒナ、混ざりたいと思ったか》
『いえ、あんまり入りたく無かったです』
《どっちが悪そうだ》
『どっちもどっちだと思います』
《で、どっちかが浮気をして、子供が出来て出て行った。この想定は有ったか?》
『無いです』
《なら、まだまだだな》
『はい、まだ想定が甘いです』
《よし、じゃあ次はお医者さんごっこだな、先生任せた》
「えっ、はい、今日はどうなさいましたか」
《吐くし腹が痛いです》
「痛くなる前、何を食べましたか」
《サンドイッチ》
「食中毒かもしれませんね、看護師さん、点滴の用意を」
『先生、在庫切れです』
《マジか》
「残念ですが、お帰り頂くしか無いかと。次の方」
『アズールさん、診察です』
「え、あ、はい」
《もう退場かよ》
「今日はどうなさいましたか」
「手が、痒くて、皮が剥けて困るんです」
「あー、手湿疹ですね。看護師さん、お薬を塗ってあげて下さい、処方箋をお渡ししますから、後でお受け取りになって下さいね」
「はい」
『先生、お薬を塗ったらベタベタすると思います、どうすれば良いですか』
「では包帯を軽く巻いてあげて下さい」
『はい、分かりました』
考えるな、は難しい。
執着するな考えるな、言うのは簡単だが、修行にすらなる事なんだ。
何も無しに気にするな、考えるな、は大人ですら難しいのに。
それが子供なら、余計に難しいだろ。
「寝ましたね」
《あぁ、貴重な体験だろ》
「あぁ、まぁ、そうですね」
《それに、紛れたかは分からないが、紛らわせ方は教えたつもりだ》
「在庫切れ、ふふふ」
《アレは本当に驚いた、まさか梯子を外されるとは本気で思わなかったからな》
「凄いですよね、あの発想力と言うか、型に嵌まらない感じ」
《けど、型に嵌めなきゃならないんだよな》
「人の中で生きるなら、ある程度のルールは必要ですからね」
《家族が要らないなら、母親と言うものは全部はそうだ。当たり前で特別に驚く必要は無い、それが常識だ、と言えば終わる事なんだがな》
「凄い斬新ですが、ココなら、それもアリだったかも知れませんね」
《加減が全く分からない、どの程度悲しむべきだと示せば良いか、物差しが不安定なんだ》
「そこは、個体差が有る、で大丈夫では」
《それは悲しむ側だろ、悲しまない側としては、無くは無い。なんだよ》
「あぁ、ですけどやっぱり個人差、学園で学ぶ事では」
《そこも心配なんだ、今回は友人候補が居るとは言わないんだ》
「それこそ、やはりジュリアさん達に伺うべきかと」
《アンタより優しくないんだが》
「そりゃ、綺麗な場所で生きてきたからでは」
《だからか、少し腹が立つ。知らない癖に、あの苦労が分からないだろう、って》
「弟さんには思わなかったんですかね」
《捨てられるまでは、無かった。けど今でも、そう無い、俺にとっては幼い弟だから》
「あ、知ってます、そうやって弱みを見せて口説く手法」
《なら何でアンタは騙された》
「多分、最初に私が妥協したせいだと思います。顔は好きでも無いけど嫌いでも無い、けど胡散臭くも無いし、居心地も悪くない。結婚するならこう言う人なんだろう、コレで穏やかな結婚生活が叶うんだろう」
《その、だろう、何処の誰から知った》
「家族は相応しい相手を其々に見付けてました、居心地が良い相手、分かり合える相手。周囲は色々と、今となっては綺麗事や社交辞令だけの、無難な言葉を選んでただけだと思います」
《家族からは抽象的だが正解を、周囲からは具体的だが半ば虚偽の常識を鵜呑みにした》
「はい、ですね、馬鹿でした」
《自信が無かった》
「はい」
《自分にはコレ位だろう、そう見積もった結果と相手が合致した様に思えた》
「はい」
《相手は、アンタはもっと高望み出来るだろ、と思っていたが言わなかった。でアンタに問題が有るんじゃないかと思ったが、無かった、でもアンタに相手にされたんだもっと高みを目指すぞ。失敗した、優しいし1度は俺を選んだんだ、復縁出来るだろ。出来なかった、本当にバレて無かった、失敗した》
「はい、だと、思います」
《あぁ、見下してたからフラれたのかもよ、とか言われたか》
「はい」
《それは無い、自分より遥かに上に居る者に着いて行くには物凄いエネルギーが居る、だから賢い者は同じか少し下を選ぶ。けど、それは下も同じ、しかも後から上がったり下がったりする場合も有る。自分が無理無くどうにか出来る範囲内の相手を選んだ、だけだ、その下振れだっただけ》
「自分では、そう思っていたつもりなんですが」
《まさか、好意を偽るだなんて思わなかった、そんな事をする奴は少数だ》
「はい」
《善性を信じて裏切られた、しかも前科が有ると知ってるなら未だしも、偽りの経歴と面接態度に騙された。重要な職業なら、経歴詐称、犯罪だぞ》
「はい」
《互いに好き合っている、と互いに思い込む方が利が有る、と思わせる。それがホスト、詐欺師、結婚じゃないか》
「利を、私が提供出来ていなかった」
《いや、価値が分からない奴には何をしても無駄だ。他人にアレは良いぞ、と勧められて買ったとしても、気に入らなければ結局はゴミ同然の扱いになる。確かに馬鹿に利用されたが、珍しくない、しかも擬態方法がそこらに転がってる。1番は、その擬態方法を悪用する奴だろ、情報だけなら善も悪も無い筈だ》
「詐欺師の理屈が若干見え隠れしてましたが、包丁は悪くない、悪いのは犯罪に使う奴ら。ですが、良く殺せる包丁です、因みにこうすると良く殺せます。と売るのはどうかと」
《全く、その通りだと思う。けどな、騙された事が無い奴なんて、本当に稀有だと思うぞ。それこそ神頼みが最たるものだろ》
「屁理屈に近い道理ですね」
《癌が治る、目が良くなる、良縁に恵まれる。騙される機会が有れば、誰だって騙される事が有る》
「しかも、騙された事に気付かない事も」
《アンタの事を謗った奴は、親が老いた時か子供で悩んだ時に騙される》
「どうすれば騙されませんでしたか」
《俺が兄弟だったら、もっと褒めてる、自分の価値をしっかり分からせて俺も選ぶ》
「なら、アナタなら、それを信じましたか」
《いや、自分だけが平凡だと思ってたんだろ、おためごかしだろうと思うね》
「半ばそうでした」
《なら叔父とかが良かったんだろうな、そうすれば両方が救われた》
有り得ない、もしも。
もしも叔父に居たなら、少しは何か変わっていたかも知れない。
「では叔父として回避させて下さい」
《敢えて松竹梅で男を選ばせてから、1番上を狙わせ、上位3人は実は肩並びだと教える。そして幾ら付き合っても、中身は探りきれない事を認識させる。結局は家族ぐるみで付き合って、合うか合わないか、別れを特別扱いさせない》
「離婚も、珍しくない」
《そう、結婚まで猫を被ってる奴が少なくないからこそ、騙されたって言って離婚する奴が居る。確かに大袈裟に言う奴は居るが、本当に騙された奴が居ないワケじゃない。利を見出したら殆どは媚びる、偽る、無意識に無自覚に騙そうとするやつが居る》
「じゃあ、もう、面倒臭いので叔父さんが選んで下さい」
《勉強が出来て俺位は賢い奴で、気の良い友人が居て、立場が安定している奴。敬ってくれる、後回しにせず、常に一緒に過ごそうと努力し、正直に話せる。何の依存症も無く、奨学金以外の借金も無く、共感能力の有る奴だな》
「やっぱり、自信が無かったせいで」
《そこは家族の問題だろ、何人も居たんだ、もう少しマトモに自信を付けさせるべきだった》
「いや、協力してくれてたんですけど」
《他にも何か有ったのか》
「ざっと言うと、初恋の人に編んだ手編みのマフラーが盗まれ、その人の誕生日の翌日に見付かった。別の子が、その彼に自分が編んだと偽り渡してたんです、けど発覚後も彼は何も言わなかった。それに、私がイジメてると勘違いしていたクラスメイトも、何も言わなかった」
《よし、殺そう》
「ありがとうございます、そして就職先も、画家で売れてる妹と勘違いして私を採用しドタキャンした」
《潰れろ》
「無理ですね、かなりの大手ですから」
《何で新聞社だとかにタレ込まなかったんだ》
「恥だと思ったので、実績が本当に私だけ、無かったですから」
《バレエやってたんだろ》
「続けていても実績になったかは別です、あ、後はプロにアレンジが1回だけパクられた程度ですかね」
《結構、有るな》
「それはあんまり問題だとは思って無かったんですけど、まぁ、微妙な思い出と言う感じですね」
《成程な、方々から削り取られたら、家族でも埋めるのは難しいか》
「しかも引っ込み思案で泣き虫で、遊園地以外は特に興味が無かった」
《しかもなまじ賢いから言いくるめるのも難しい》
「家族の言う事は、素直に聞いていたつもりだったんですけどね、はいはいと流していたのは確かです」
《俺と同じ位に賢い男にしろ》
「はい、でも無理ですよ、そこそこ年上なんですから」
《けど年上は嫌だ》
「上手い様に使われるだろう、浮気だって隠すのは上手だろう、ですね」
《それも何か原因が有るのか》
「ドラマとか、テレビ、ですかね」
《あぁ、多かったからな》
「年上はろくでも無い、有名人はろくでも無い、顔が良い奴はもっとろくでも無い」
《何でも、大した事じゃないと思ってるんだろ、けど被害はその後に来る》
「実感が籠もってらっしゃる」
《まぁ、実感したからな》
叔父でも、良かったかも知れないな。
それなら、きっと誰も不幸にならなかった筈だ。




